『文化のダイヤモンド―文化社会学入門 (原書名:CULTURES AND SOCIETIES IN A CHANGING WORLD)』ウェンディ・グリスウォルド 著 / 小沢一彦 訳(玉川大学出版部)
「グローバル化する文化を記述するためのモデルの探究」
現代社会はグローバル化の進展が著しいが、それは我々が日々享受するポピュラー文化についても例外ではない。
一国あるいは一つの社会内だけでというよりも、幾重にも複雑化した状況下で文化を楽しむことが増えてきている。それは、歌詞が日本語の曲を歌うK-POPアイドルの現象であったり、あるいは、もともとはアメリカの影響を強く受けてきたジャンルである、日本製のアニメを通して日本語を学ぶ諸外国のファンがいたりというように、枚挙にいとまがない。
このように、現代社会とともにますます複雑化するポピュラー文化の状況は、いかにとらえられるべきなのだろうか。
この点について、旧来のモデルにきっぱりと別れを告げ、新たなモデルの提示とともに示唆を与えてくれるのが、アメリカの社会学者ウェンディ・グリスウォルドによって書かれた本書『文化のダイヤモンド』である。
この和訳書は1998年に出されたものだが、原書は1994年に出されたのち、社会状況の変化とともに改訂を加えられ、2012年現在、第四版が出るまでに至っており、まさに文化社会学のスタンダードなテキストの一つといってよいだろう。
さてその特徴は、まずもって、ポピュラー文化現象を単純な「説明」要因に帰属させるような旧来のモデルを明確に退けているところにある。
ここでいう旧来のモデルとは、いわゆるマルクス主義的な下部構造決定論であったり、マスメディアのメッセージの効果を過剰に強調する強力効果論などを想定するとよい。社会成員が特定の目標を共有しやすい、近代過渡期の社会ならばともかく、後期近代の成熟社会においては、もはやそのように特定の要因から「説明」できるほど、ポピュラー文化現象は単純なものではなくなっている。
あるいは、この現象は日常的に身近に楽しまれているものであるだけに、客観的にとらえることが難しいともいえるだろう。それゆえに素朴な「肯定論/否定論」であったり、あるいは「有益な文化/有害な文化」、もしくはもっと単純に「正しい/間違っている」「好き/嫌い」といった二分法的な議論ばかりがまかり通り、まっとうで深みのある議論がなされてこなかったのだと言える。
こうした点を踏まえて、グリスウォルドが提示するのは、むしろポピュラー文化現象に関連する、主たる存在や社会状況相互間の関連を考慮した、「説明」というよりも「記述」することに重きを置いたモデルであり、それこそが「文化のダイヤモンド」なのである。
日本語としては「ダイヤモンド」というよりも「ひし形」といったほうが正確なのだが、その左端に「(※文化の)創造者」を、右端に「受容者」、上端に「社会的世界」、下端に「文化的表象体」を位置づけて、これらをたがいに線で結んだ「ひし形」を描いた上で、グリスウォルドは「ある特定の文化的表象体を完全に理解するには、四つの点と六本の線をすべて理解する必要がある」(P32)と述べ、一定の複雑さを保持したままに、複数要因の絡み合った現象としてポピュラー文化を記述することを提言している。
このことを通して、ようやく素朴な「肯定論/否定論」であったり、単純な「説明」要因に帰結させたりする議論を退けて、ポピュラー文化現象に客観的にアプローチすることができるのだという。
同じようなモデル化の試みとして、他には、「表象」「アイデンティティー」「生産」「消費」「規制」という5つのプロセスの組み合わせから記述しようとするポール・ドゥ・ゲイの「文化のサーキュレーションモデル」なども挙げられるが、むしろ旧来のモデルとの対比のしやすさなどを考えると、評者は本書のほうに軍配が上がるように思われる。
しかし、だからといって本書で提示された「文化のダイヤモンドモデル」が最終回答であるわけではない。それが記述のためのツールであるならば、ますます複雑化し発展していくさまざまなポピュラー文化現象へのアプローチの記述を通して、より適合的なモデルへとさらに洗練していく努力が求められるといえよう。
実際に日本においても、社会学者の佐藤郁哉らによる、学術書の出版をめぐる文化現象の記述に用いられた前例があるが(佐藤郁哉・芳賀学・山田真茂留『本を生み出す力』新曜社)、今後もさらに多様な実用例を積み重ねていくことが期待されよう。
※補注は評者。