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『牛腸茂雄写真 - こども』牛腸茂雄(白水社)

こども - 牛腸茂雄写真

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「そのままの子供」

 2002年の夏、ある印刷教育に関する勉強会で、写真家の三浦和人氏の話を聞く機会があった。「写真における技術と感性」がテーマで、同じ写真をグラビア印刷した初版本とオフセット印刷した復刊本を見比べたりしながら、印刷方法や印刷技術者の力量でいかに読者に伝わるものが違ってくるかを、実例とともに解説していただいた。

 そのとき、何冊か回覧された写真集の中に、三浦氏の親友だった牛腸(ごちょう)茂雄氏の写真集があった。レンズを見つめる少年や少女の眼に引きつけられた。といっても、『PERSONA』(鬼海弘雄草思社)にあるような強烈な視線ではなくて、もっと普通の、笑っているでもなく、怒っているでもない、ただ、生(き)のままの表情だ。

 その写真集(たしか『日々』や『幼年の「時間(とき)」』だったと思う)が欲しくてたまらなくなって、しばらく神保町やネットで探していたのだが、牛腸氏の写真集はどれもこれも古書価が高すぎて、とても手が出なかった。

 今日(もう昨日だ)、事務所の近所の書店に行くと、この『牛腸茂雄写真 - こども』が棚に刺さっていた。びっくりした。奥付を見ると、構成・プリントは三浦和人氏で、発行はこの9月10日。できたてホヤホヤだ。それも1900円とは。やっと、やっと牛腸氏の写真集を手に入れることができた。

 本にあるプロフィールを見ると、牛腸茂雄氏は「1946年新潟県生まれ。幼少期に胸椎カリエスを患い、以来身体に重い障害を負う」とある。たしか件の勉強会で映された三浦氏のスライドでも、車椅子に座った牛腸氏の写真があったように記憶している。シャッターを切るのも大変そうな姿に見えた。

 『こども』は、タイトルどおり、子供が写っている写真だけを集めたものだ。何枚か、記憶に残っていたカットもあった(記憶の中では、もっと大きな写真だった)。

 写真の中の子供たちには、笑顔や泣き顔もあり、ほぼ記憶どおりだった写真にしても、思ったよりも表情があった。十年前は「生のまま」に見えた顔も、いま見ると、ちょっと居心地が悪そうだった。

 撮影は、1960年代半ばから80年代初頭にかけて。プリクラも写メもない当時の子供たちにとっては、誕生日とか七五三とか、運動会でもないのにカメラを向けられるなんて、一大事だったに違いない。

 どこか居心地の悪そうな子供たちの写真を見ていて、牛腸氏は、子供たちの「いかにも自然な姿」を写そうとしたのではなくて、知らないおじさんからレンズを向けられて緊張している、「そのままの子供」を写したかったのかもしれない、と思った。その少し固い表情が、子供らしくて、というか、人間らしくて、とてもいいのだ。

 巻末の解説にある、1983年5月に書かれた手紙によると、牛腸氏は『老年の「時間(とき)」』という連作も構想していたようだ。しかし、氏はそのひと月後に心不全で、36歳で亡くなってしまう。

 「幼年」の対となる「老年」の姿を、牛腸氏はどのように切り取りたかったのか。構想のみで終わってしまったのがとても残念だ。

 最後の最後に牛腸氏が残したかった老年の姿、人間の晩年の姿を想像しながら、何度も『こども』を読み返している。

 最後にちょこっとだけ印刷のこと。

 この写真集はAM175線(詳しくはこちら)、ちょっと贅沢なダブルトーン(墨とグレーの2色)でモノクロフィルムの粒子感がよく出ていて、とてもいい雰囲気ですよ。

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