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イヴォンヌ・シェラット『ヒトラーと哲学者』(白水社)

Theme 3 そのとき人はどう振る舞うか

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我々は書物から学ぶ必要がない。我々は運命によって、この奇跡を生きるように選ばれたのだ」と演説したヒトラーだが、彼の反知性主義を説得力あるものにするには哲学が必要だった。『我が闘争』には、カント、ヘーゲルニーチェが多数引用され、ナチ流に読み替えられた。次にヒトラーは大学に手をつける。ユダヤ人学者の放逐、禁書、検閲。一方でナチ的研究には補助金が与えられた。放逐された哲学者の代表が、ハイデガーの恩師フッサールである。20世紀を代表する哲学者ハイデガーがナチに加担したことはよく知られている。それが哲学的必然だったのか、いまだ論争が続くところだが、本書は哲学者のナチ協力を、ヒトラーの仕掛けた人文学解体の文脈の中で明らかにしていく。

ヒトラーにとって哲学は重要だった。哲学の弱体化が独裁に不可欠と心得ていた。独裁者に目をつけられたからには、哲学者は協力か抵抗か、態度を迫られることになる。本書の後半は抵抗の道を選んだ哲学者に焦点を当てる。もちろんそれは茨の道だ。ベンヤミンアドルノアーレント、フーバー。かれらが追い詰められていくと同時に、自らの哲学を構築していく様がまざまざと語られる。本書は戦後にも視点を伸ばし、ヒトラーの対抗者たちは21世紀の哲学の現場で正当に扱われているだろうか?と問いかける。哲学が「暗い時代」とどう生きるかを、鋭く証言してくれるドキュメントだ。

みすず書房 鈴木英果・評)

※所属は2016年当時のものです。