ハンナ・アーレント『イェルサレムのアイヒマン』(みすず書房)
Theme 3 そのとき人はどう振る舞うか
ニュルンベルク裁判以降、身を隠したアドルフ・アイヒマンは、秘密組織の斡旋で南米アルゼンチンに向かい、リカルド・クレメントとして亡命生活を送る。二年後には妻子を呼び寄せ、新たな生も授かった。そのなかで次第に自分の本当の身許を明かしはじめる。
本人も覚悟していたことが起きたのは1960年5月11日。仕事帰りに誘拐され、イスラエルに連行される。約一年後に〈ユダヤ人問題の最終的解決〉に果たした役割についての裁判が開始され、再審を経て、翌年判決が下る。その二日後に刑は執行された。
アイヒマンは冷酷非情の怪物なのか、それとも犠牲者なのか。彼はどのような証言をするのか。この国際法廷には世界的な注目が集まった。被告と同じ年に生まれた思想家アーレントが裁判を傍聴し、膨大な裁判記録の写しを参照しながらまとめたのが、この「悪の陳腐さについての報告」である。このような裁判に正義はあるのか。当時ヨーロッパ全体で繰り返された蛮行の背景を検証しながら、著者はその意味を徹底的に問い続けていく。
この本のエピローグにこんな一節がある。「アイヒマンという人物の厄介なところはまさに、実に多くの人々が彼に似ていたし、しかもその多くの者が倒錯してもいずサディストでもなく、恐ろしいほどノーマルだったし、今でもノーマルであるということなのだ」
全121回の公判中、被告はただの一度も傍聴席に顔を向けなかったという。
(白水社 岩堀雅己・評)
※所属は2016年当時のものです。