書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

プロの読み手による書評ブログ

カス・ミュデ、クリストバル・ロビラ・カルトワッセル『ポピュリズム』(白水社)

Theme 1 他者とともに生きる

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ポピュリズムは、需要と供給があるときに初めて力をもつ。この本で強く心に響いた箇所だ。ポピュリストという「供給者」がいるからポピュリズムが蔓延する。そう思い込んでいた。じつは「需要」すなわち人民側がうっすらと政治に期待しながら実現できないと諦めていたことや、どうしても許せない政治家への怒りにふさわしい言葉が与えられる時、ポピュリズムは台頭する。
いま、ポピュリズムがまるで敵のように書いたけれど、本書の副題にあるようにそれはこれまで「デモクラシーの友と敵」であった。友にもなる。政治を「完全な権威主義」(強い集団が決める)と「自由民主主義」(すべての人が議論して決める)を両極とする二つに分類した時、ポピュリズム権威主義の自由化、民主制への移行にも力を貸してきた。ポピュリズムは上下左右の「ホスト」イデオロギーに寄生して自由自在に姿形を変えることができる「中心の薄弱なイデオロギー」であり、移民排斥主義者の占有物ではないと知った。
歴史的にも地理的にも多様な具体例を比較しつつ、ポピュリズムの定義から民主主義への活かし方までを記した現代政治の入門書。疫病によって政治変動が起きたことは歴史が証明している。今、政治を変えたい人も、変えたくない人にも一読を薦めたい。

みすず書房 河波雄大・評)

ウィリアム・マッカスキル『〈効果的な利他主義〉宣言!』(みすず書房)

Theme 1 他者とともに生きる

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私たちはいま「効果的」という言葉にとても敏感だ。この予防法は、この支援活動は、この政策はほんとうに効果的なのか、という疑いをたえず抱えながら、世界各国の対応から身近な行政の一挙手一投足にまで、鋭い視線をむけている。私たち一人一人が、くまなく支援を受ける立場であるという、希有な時間を過ごしているからだ。
効果的な利他主義とは、確かな証拠や論理に基づいて慈善活動をおこなう運動であるという。慈善活動というと個人の心情と結びつけられがちだが、この運動は、入手しうるかぎりのデータを吟味・活用し、経済学などの専門的知見をとりいれながら、「どうすればできるかぎりよいことができるのか?」という疑問をひたすら科学的に追求していくことを特徴とする。本書は、過去になされた慈善活動の検証にはじまり、支援先の選び方、個人の消費の及ぼす影響やキャリア選択等において、行為の社会的影響を最大化するための考え方や実践法を指南する。マニュアルの体裁による明快さで、世界を改善していく具体的な方法が示されるだけでなく、読後には、行為の帰結にたいする自身の意識が研ぎ澄まされていることに気づくだろう。
目下の現実はどうだろうか。首をかしげたくなるような政策が、とつぜん浮上しては実現し、炎上しては消えていくなかでは、本書の徹底的に「効果」重視で、前向きな考え方に触れることだけでも、痛快な読書だった。

東京大学出版会 神部政文・評)

阿部公彦『小説的思考のススメ』(東京大学出版会)

Theme 11 たくらみを読み解く

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小説が読めない人が増えているという。本書の冒頭で著者自身が日本文学に対して近づきがたい臭気を感じていて、小説が読めない一人だと告白している。著者は日本文学の専門家ではない。「『いちいち説明してらんねえよ』とやりすごされてきた部分にこそ注目しようと思いました」と著者は書いている。徹底して読者目線なのだ。大学教授らしからぬ物言いにひきつけられる。英文学の研究者だからこその新鮮な目で、小説の言葉の「気になる部分」を違和感としてキャッチし、なぜ気になるのかを考え、さまざまな発見をしていく。

違和感がある文章は完璧な文章ではない。変に繰り返しが多かったり、助詞が正しく使われていなかったりして、読者にとっては心地よさが壊れる部分でもある。つまり、文章としては破綻しているのだ。なぜ太宰の『斜陽』の描写はバカ丁寧なのか? なぜ漱石の『明暗』は堅苦しくぎごちない表現を繰り返しているのか? 志賀直哉から吉田修一までの近現代文学11作品を取り上げ、違和感に注意して読んでいくと、作家の迷いや動揺から小説の仕掛け全体までが見えてくる。作家の個性まで浮かび上がり、日本文学の表現の豊かさを実感させられる。違和感を覚える自分の感覚を大切にしながら作品を読み進めることこそが、読者の読む力へとつながっていくというメッセージが効いている。「小説的思考」を本書で体感してほしい。

白水社 杉本貴美代・評)

 ※所属は2016年当時のものです。

デイヴィッド・ロッジ『小説の技巧』(白水社)

Theme 11 たくらみを読み解く

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この本のカバーにはゴッホの「小説を読む人」が使われている。書斎で本に見入っている女性の像なのだが、これは本書の考え方を象徴している。すなわち小説家というのは、ゴッホの作品に描き出されているような想像の世界への没入を読者に体験させる存在であり、そのためにはある世界観を共有してもらうように説得しなければならない。そして、その説得には「小説の技巧」が何より必要とされるというわけだ。

本書は、一般読者にも興味を持って読んでもらえるような形での小説の技法や歴史について書かれている。したがって「メタフィクション」「間テクスト性」のような専門用語だけでなく、「天気」「電話」といった日常的な事柄にも着目していて、そうした多様な主題の50章によって構成されている。もとが新聞連載なので各章が短くまとまっており、どんどん読み進められるのも魅力である。

とはいえ、技法上の諸ツールを伝えるだけのマニュアル本ではない。学者であり小説家である著者が、英米小説の名作を引用しつつ、実際にどのような仕掛けがなされているかを解き明かしてくれるので読んでいて楽しい。さらには、訳者二人による名訳も十分に味わえる。

小説の技術的な知識を持てば、同じテクストでも読み取れる情報量が増えるだろう。つまり、小説をもっと面白く読めるようになるのだ。これからも古典として読み継がれるべき一冊である。

東京大学出版会 小暮 明・評)

 ※所属は2016年当時のものです。

デイヴィッド・ヒーリー『ファルマゲドン』(みすず書房)

Theme 10 健やかに蝕まれて

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かつてEBMエビデンスに基づく医療)を提唱する医学雑誌の編集・制作に携わっていたことがあった。ざっくり言ってしまえば、それまでは医師のさじ加減(知識と経験)でやっていた予防・診断・治療を、誰にでもわかる、信頼性の高いデータに基づいて行なおうというもの。このEBMを実践する際の手順のひとつに、PubMedやコクランといった医薬データベースを利用し情報収集を行なうというのがある。データベース化されている臨床研究のうち、より信頼性の高い研究デザインとしてランダム化比較試験(RCT)が挙げられるが、本書によると、こうした臨床試験で得られたデータの隠匿や改竄など不正操作が以前から横行し、今や医療そのものが崩壊しかねない危機的状況にあるという。

原因の一つは、医薬品に特許を付与する際の基準が変更され、製薬企業がこれまでにない方法で医薬品を独占販売できるようになったこと。実際、本書を読むと、製薬企業が繰り広げるマーケティング手法に驚かされる。自社製品の開発・販売につながるようデータに手心を加え、「エビデンス」と称して医学界に発表させることなど朝飯前だ。こうなると、臨床試験の優等生だったRCTや、診療ガイドラインにさえも疑問符が付く。

臨床研究における利益相反問題にはかねてから厳しい目が向けられていたが、もはや関係者の自助努力だけでは立ち行かない。エビデンスの信頼性回復のためにも、著者が提案する臨床試験「生データ」の全公開と患者の医療リテラシーを高めるボトムアップの改革に望みをつなぐしかなさそうだ。

白水社 阿部唯史・評)

 ※所属は2016年当時のものです。

アンディ・リーズ『遺伝子組み換え食品の真実』(白水社)

Theme 10 健やかに蝕まれて

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「結局彼らの真の目的は、貧農の飢餓を解消することではなく、企業が食料の生産と流通を支配することにあるのだ」。環境運動家である著者は、遺伝子組み換えをめぐる問題について、その前史より説き起こす。1940年代に始まった工業型農業はやがて途上国へと導入され、食料増産を達成した「緑の革命」はしかし、農民層における貧富の拡大や自然の多様性喪失といった事態を生みだし、遺伝子組み換えが喧伝されているのもそれと軸を一にする等々。この原因を著者は冒頭の一文で表す。彼らとは誰か。「食品の生産から流通までを世界的に支配している」一握りの多国籍企業である。世界には巨大なマーケットがまだまだ残っているというわけだ。それらの企業が政府、研究者や国際機関を抱き込みながら多くの国で、フセイン政権打倒後の占領下などあらゆる場面で己が農法を広げてゆく過程、その「技術」の危険性が詳細に記される。正面切って語られることは少ないものの、それは現在の、食だけの問題でもなかろうというのが著者の見立てである。

かような現況に対する抗議活動や一人一人にできる具体的行動に触れ、糾弾に終始せず、希望の「兆し」も綴られる。食料自給率やTPPと絡めて日本における様相をまとめた訳者解説で既視感さえおぼえるのは、さもありなんか。日頃より「原材料名:じゃがいも(遺伝子組み換えでない)」を確認せずにポテトチップスを購入している諸賢に一読を。

みすず書房 飯島 康・評)

 ※所属は2016年当時のものです。

ハワード・W・フレンチ『中国第二の大陸 アフリカ』(白水社)

Theme 9 開発のこれまでとこれから

 

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あまり居心地のよくない読書だった。本はすばらしい。『ニューヨーク・タイムズ』支局長として世界各地を知る著者が、アフリカへ移住した100万以上の中国人の実情を立体的な取材から描いたものだ。モザンビークリベリア、マリ、ガーナ、ナミビア… 政体や事情もまちまちのどの国にも中国人は入り込み、それこそ何でもしている。「黒人」を低賃金で雇う農場や工場経営者はじめ、建築、医療、密貿易、売春などあらゆる職業で。きっかけは冷戦構造が解体し、欧米がアフリカを見捨てた1990年代半ば、中国政府が「ウィン・ウィン」関係を掲げてこの大陸に莫大な資金を投下し、食料や鉱物などを輸入するというものだった。それが、国家や国営企業と関係ない個人が自ら進んでなだれ込んだ。出身も育ちも生活様式も様々な彼らに共通するのは、とにかく金儲けをすること、「黒人は働く気がない」と考えていること、中国は競争が激しく、共産党にせびられ、環境も悪いストレスフル社会で、帰りたくないと思っていることだ。今の中国との関係がアフリカ諸国にどれほどの負債となるか、鉱物が枯渇するとどうなるか、人口増加は経済成長と結びつくのか。居心地がよくないのは、読後感として「やっぱり中国人は…」という紋切り型を抱え、アフリカの将来に暗澹としている自分に対してである。自分と無関係でないはずの著者の問題提起にどう応答すればいいか。本書にはアフリカとの関連で日本は出てこない。

みすず書房 守田省吾・評)

 ※所属は2016年当時のものです。