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『魯迅 ― 東アジアを生きる文学』藤井省三(岩波書店)

魯迅 ― 東アジアを生きる文学

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魯迅コンプレックス」

 岩波新書でタイトルが『魯迅』というと、何となく手に取る前から内容が想像できると思う人もいるかもしれない。魯迅は外国文学の作家でも最もよく読まれているひとり。教科書にも頻出するし、世紀初頭の日本への留学、医学から文学への転身、新しい文体の確立など伝記的事実を踏まえた「偉大なる作家」のイメージも定着している。書かれるべきことはあらかじめ決まっている!と思いがちだ。

 本書は、しかし、そうした魯迅像に実に新鮮な切り口をつける。何しろ冒頭の章のタイトルは「私と魯迅」。魯迅より先に、著者藤井省三氏自身の30年前の写真が載っている。「流れ流れて♪ 中国は紹興まで来ちまったぜ、ラララ♪」とでもキャプションをつけたくなるこの写真、そのちょっと気怠そうなポーズと、さわやかな帽子のかぶり方とで東映か日活か?と連想が走るのだが、中国留学時にしばしば魯迅の故郷の紹興を訪れたという著者の、写真に似つかわしいやわらかい文体による回想が心地よく読者に誘いをかけてくる。

 だが、「私と魯迅」で本書が始まるのは、著者が自己語りに惑溺するためではない。このように冒頭に「私」を立てる理由のひとつは、おそらく藤井氏自身の〝問い〟の息づかいのようなものを響かせることにある。たとえば本書のお楽しみのひとつ、魯迅の道ならぬ恋を扱った第五章を見てみよう。44歳の魯迅は刊行した小説集がベストセラーとなる一方、学者兼官僚としても名声を確立しつつあった。そんな折、講義の教室にいた女学生のひとりから手紙をもらう。この女学生が問題の許広平である。

許広平は二五年三月一一日に最初の手紙を書いたとき、「今お手紙を差し上げているのは、あなたの教えを受けて二年になろうとしている、毎週『小説史略』の講義聴講を待ちわびている、あなたの授業ではいつも夢中になって正直にそれと同様きっぱりとした言葉で、よく発言する小さな学生です」と述べている。これを読んだ魯迅には許広平が講義室のどのあたりに座っているどの学生であるか、すぐに察しがついたことであろう。(105-106)

そう。教壇からは聴講生の様子が実によく見える。だよね?という(自身大学教員である)藤井氏の肉声が聞こえてくる箇所だ。続く部分はもっとそうである。

 最初の手紙で許広平は教育界の淀んだ空気を嘆き、自分も剛毅な人間であり、先生もまた自分より一二万倍も剛毅であるにせよ、同様の気質の方であるのだから、時間と場所を限ることなく自分を指導していただきたい云々と、多分に一般論的な質問を書いている。このいわばファンレターに対し、魯迅は何と倍近い長文の返事を書いて、延々と我が人生観を語っているのだ。教師としての熱意につき動かされたと言うべきか、それとも女学生の誘いにうっかり乗ってしまい、倍返しの返書をしたと言うべきか……。(106)

段落末の「倍返しの返書をしたと言うべきか……」には ― とりわけ「……」には ― 藤井氏の魯迅に対する愛情が表れているともいえるが、同時にこの「あ~あ、やっちゃったね」的な慨嘆は、「偉大なる作家」を等身大の人間に引き戻す効果的な半畳ともなっている。この後、魯迅許広平の間では多数の手紙がやり取りされるが、それらに書き直しの形跡がないところをみると〝ラブレター〟は綿密な校正をへて投函されたのではないかと思われる(と藤井氏は想像をふくらませる)。これらの書簡が『両地書』とのタイトルで刊行されるとベストセラーになるのだが、そうした経緯を出来上がった〝文学史的事件〟として提示するのではなく、歴史化以前の地点でとらえようとするのが本書の特色である。『両地書』の出版の経緯から、当時の女子大生の状況、姦通メディアの盛況ぶりに至るまで上手に話題を脱線させるながら、藤井は世紀のスキャンダルを「今、ここ」の視点でとらえようとするのである。そこにはいつも「私」の視点がある。

 本書のもうひとつの読みどころは第七章の「日本と魯迅」ではないかと思う。中でも、かつて日本の魯迅研究をリードした竹内好に対する藤井の批判は、きわめて雄弁かつ痛烈で読み応えがある。太宰治の『惜別』は魯迅をモデルにして書かれた作品で、太宰は下調べのために竹内の『魯迅』をも参考にしているのだが、竹内は後に『惜別』を「おそろしく魯迅の文章を無視して、作者の主観だけででっち上げた魯迅像 ― というより作者の自画像である」として酷評する(164)。藤井に言わせればこのような酷評そのものが竹内自身の魯迅コンプレックスの裏返しに他ならない。竹内自身が魯迅像を引き寄せきれずにもがいていたからである。

 こうした〝とらえきれない魯迅〟との格闘は、竹内の魯迅理解に大きなゆがみをもたらした。その最大の現れが翻訳文である。竹内による魯迅の翻訳には過度の〝土着化(domestication)〟があると藤井氏は指摘する。「伝統と近代のはざまで苦しんでいた魯迅の屈折した文体を、竹内好は戦後の民主化を経て高度経済成長を歩む日本人の好みに合うように、土着化・日本化させているのではないだろうか」(180)との見方である。

 このような種類の議論は翻訳研究の中では珍しくはないかもしれない。事実、藤井氏の「土着化」という概念もロレンス・ヴェヌティから借りたものである。しかし、藤井氏の議論の持ち味は、その具体性である。

そもそも魯迅文体の特徴の一つに、屈折した長文による迷路のような思考の表現が挙げられよう。しかし竹内訳は一つの長文を多数の短文に置き換え、迷い悩む魯迅の思いを明快な思考に変換しているのである。(175)

竹内訳のこのような傾向は、時を経て行われた自身による「阿Q正伝」改訳でも相変わらず見られるという。

改訳版は旧訳版と同様に原文の二分を六文に分割した上、字数を二一九字へと二〇%減少したため、饒舌体もほぼ消失してしまった。これにともない「物の怪につかれているような」語り手の恐怖感に裏打ちされた阿Qへの共感も、たいそう薄らいでしまったのではあるまいか。阿Qのような一見愚かな人間のために、なぜわざわざ「正伝」を書くのか、という読者の疑問もこれにより後退しかねないことだろう。(178) 

 精緻な分析である。それもそのはずで、藤井氏自身が「阿Q正伝」をはじめとした魯迅の作品を翻訳、刊行してきた翻訳者なのである。いかに魯迅を受け止めるかという問題とも自身向き合ってきた。この章の見せ場も、著者が自身の訳と竹内訳とをならべ、いかに竹内訳に問題があるかを見せつけている箇所である。短編「故郷」終わり近くの一節はそれぞれの訳者により次のように訳されている。

 かれらがひとつ心でいたいがために、私のように、むだの積みかさねで魂をすりへらす生活を共にすることは願わない。また閏土(ルントウ)のように、打ちひしがれて心が麻痺する生活を共にすることも願わない。また他の人のように、やけをおこして野放図に走る生活を共にすることも願わない。(竹内訳)

 彼らが仲間同士でありたいがために、僕のように苦しみのあまりのたうちまわって生きることを望まないし、彼ら閏土(ルントウ)のように苦しみのあまり無感覚になって生きることも望まず、そして彼らがほかの人のように苦しみのあまり身勝手に生きることも望まない。(藤井訳)

さて、どちらがいいだろう。前者の方がわかりやすいと思う人もいるかもしれない。しかし、藤井氏は言う。三つの句点で三分割する竹内の文体は、歯切れはよいかもしれないが、屈折した迷路のような思考を取り逃しているのではないか、と。たしかにそうだ。なめらかに訳された翻訳の落とし穴に、現代の私たちは気づきつつある。

 

 おもしろいのは冒頭の「私と魯迅」の章で、自身のそもそもの魯迅体験の原点が「竹内魯迅」にあると藤井が告白していることである(4)。その著者が日本の大学で中国文学を勉強した後、上海の復旦大へ留学し、帰国する際には、目の当たりにした中国の疲弊ぶりに「社会主義にはもはや幻想は抱かない」という考えを持つようにもなった。本書の一つの柱となるのは「竹内魯迅の超克」というテーマだろうが、その超克は著者自身の「私」を踏み台にしてはじめて可能となったということなのかもしれない。新書サイズの中に長年の成果が、その感情の部分も含めてぎっしりつまった本ではないかと思った。

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