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『英語は科学的に学習しよう』白井恭弘(中経出版)

英語は科学的に学習しよう

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「英語教育の大騒ぎ」

 うわっ、これはひどい。みなさん先週の朝日新聞をお読みになっただろうか。オピニオン欄の「大学入試にTOEFL」特集(5月1日朝刊)で、「TOEFL導入」の旗振り役の自民党教育再生実行本部長・遠藤利明先生がインタビューに答えておられるのだが…。

 中学高校で6年間英語を学んだのに英語が使えない。コミュニケーションできない。それが現状です。これではもったいない。ならば変えましょうということです。

 どうやって変えるか。まず目標を決め、そこから逆算して教育の中身を決めていくことが確実です。探したら米国にTOEFLというテストがある。聴く・話す・読む・書くを全部測れます。130カ国で使われ、米国留学につながるなど汎用性が高い。これを目標にしようというわけです。

(中略)

 英語教育の専門家にも聞きました。みなさん、さまざまな説をおっしゃるけど、どれが正しいのかわからない。一番簡潔なのがTOEFL導入です。

 いったい何が「確実」なのだろう。「簡潔」なのだろう。要するに「おい、皆の衆! 何だかよくわからんが、アメリカにはTOEFLとかいうテストがあるみたいじゃぞ。有名なテストらしい。これこそ最新流行じゃ。とりあえず突撃あるのみ。注目を集めるフレッシュなもんなら何でもええっちよ。おいこら。新聞記者!」ということらしい。

 筆者はTOEFL導入には基本的には反対だが、アイデアとしてまったく見当違いとも思わない。聴くべき意見もあるだろう。しかし、トップがこれではTOEFL推進派のブレーンの方々もたまらない。「自民党国際局長」をお務めになった遠藤先生のお悩みはパーティだという。「公式な会合は通訳がつきますが、大事なのはその前のあいさつから始まって、夜のパーティとか、みんなでわいわいやっている場での会話です。それが次の会合に生きてくる。でも悔しいことに英語で話せない。中高で6年もやったのに。そんな英語教育を直しましょうよ」とのこと。TOEFLを導入すれば、「みんなでわいわいやっている場」で遠藤先生が突然流麗な英語でしゃべり始めると信じる人はいったいどれくらいいるだろう。

 もちろん「中高で6年やったのに日常会話ができない!」という嘆きは、比較的高学歴の方々からもときおり聞こえてくるが、大人になってから一度でも本気で英語(もしくはどんな外国語でも)の勉強をしたことがある人なら、「そんなの、あたりまえじゃん」と言えるはずだ。ところが「かつて俺は、高校の英語の成績はまずまずだった」というような人に限って、説明してもわからない。要するに、ふだん英語の「え」の字とも縁のない生活を送っている人が、突然「わいわい」できるわけがないのですよ。

 お見受けしたところ、遠藤先生はTOEFLの試験問題など開いたことすらなさそうだから、そういう人には説明するだけ無駄かもしれないが、もう少しまともに英語に取り組もうという人に一冊あげるとするなら、たとえばこの白井泰弘『英語は科学的に学習しよう』などいかがかと思う。白井には『外国語学習の科学 ― 第二言語習得論とは何か』(岩波新書)など関連する著作も多数あり、第二外国語学習の方法についてはかなりの時間とエネルギーを費やして考えている人なのだが、本書の特徴は、今回の騒動で「え? え? このおじさんたち何言ってるの?」とびっくりしているであろう一般の中学生、高校生を想定読者にすえ、「そこまで丁寧にやらなくても」というぐらいのレベルまでおりていって、英語習得の方法や心構えを指南しているところにある。何よりの売りは白井自身の〝英語学習自分史〟の詳細な記述で、失敗や屈辱のエピソードもたくさん織り込まれているから、こちらとしても励みにはなる。

 しかし、もう少し本気のレベルの話でいうと、本書の読みどころは後半にある。とりわけ白井が『外国語学習の科学』などでも持論にしている「インプット重視」説と、学習過程における心的プロセスへの注目は、いずれも興味深い論点を持っている。

 まず「インプット重視」の方だが、これは筆者なりに言い直すと、英語学習において「興味」というファクターを最大限に活用する方法である。しゃべったり、書いたりするためにまず大事なのは、聞いたり、読んだりすることである。母国語を含めて、言葉とは所詮「他人のもの」なのだ。それを上手に使いこなすためには、まずは流通する言葉に身をさらさなければならないに決まっている。そんなことは多くの人は知っていたはずだが、だんだん横着な人が出てきて、「ある日突然、わいわいしゃべりたいのだ!」などと言い出す。

 とはいえ、「身をさらせ」と言っても、実践するのが難しいと思う人もいるかもしれない。そんな人に白井は、「英語を使って情報収集せよ」というアドバイスをする。その際の具体的な注意点については本書を参照して欲しいが、ともかく話すためには話す練習だけすればいい、書くためにはとにかく書く、という考え方がいかに短絡的かがよくわかる。アウトプットの前に、まずは大量のインプットだ。

 ここで筆者の個人的な意見を言えば、英語の技能習得で大事なのは「知的リスニング」である。リスニングを通して、英文読解に近いくらいの論理的思考やらニュアンス把握を行う練習をすれば、読むスピードもあがるし、書く力だって伸びる。それは言葉を身につけるために必要なのが、言葉の運動性能を知ることだからである。言葉の乗り心地を知りたい。言葉がしっくりくる感じを体験したい。だから、語られている言葉の紆余曲折ぶりでも、渋滞ぶりでも、ストンと落ちる感じでも何でもいい、動いている言葉に触れるのである。ただ、そこには是非、知的要素もからめたい。でないと、言葉の運動を自分のこととして体験することはできない。

 そこで鍵になるのが「興味」の問題である。学校の英会話の授業がしばしば崩壊するのは、受講者の知的レベルを馬鹿にしているからである。ラジオ体操じゃあるまいし、「よく使うフレーズ」とやらをみんで一斉に発声させられて、本気になれる人がどこにいるだろう。「何なのだろう?」「どこ?」「どうして?」といった、人間の基本的な注意本能を駆動させるような情報との向き合い方をさせなければ、インプットはうまくいかない。

 白井もそのあたりにはたいへん意識的で、いかに学習者の関心を持続させるかを、その心理プロセスに注目しながら方法的に検討している。たとえば白井が示すのはretrievalという方法である。これは英語の表現を覚える方策の一つなのだが、単に覚えるのではなく、「あ、何だっけ」と思うような関連づけを織り込んで想起させる。つまり、心に表現が浮かぶプロセスそのものを体験させるのである。たしかに私たちの知識は、きわめてコンテクストに依存したものであり、コンテクストの中から特定の情報が浮かびあがってくるパターンを管理できるようになれば、言葉の運用も円滑になる。この関連づけが、その言葉が実際に使われる具体的な状況と肉薄していればいるほど、学習者にとってその表現は生きたものとなるだろう。逆に言うと、いくら頭に残っていても、「参考書のページの右上にあった、あれ」とか「たしか去年受けたTOEFLに出たやつ」ではだめなのである。

 ところで、この本の中でもとりわけ「お得度」が高いのは、もう少し応用的な技術に触れた箇所である。「困ったことが起きたときに使うストラテジー」(p.135)という項では、実際に英語をしゃべっていて、言いたいことを表す表現が見つからないときにどうしたらいいか説明されている。まず、ひとつ目の方策はcircumlocution(もしくはparaphrasing)。簡単に言うと「言い換え」である。たとえば「リュックサック」と言いたいときに、英語の単語が思いつかないので、A bag that you carry on your back.と言えばいい。

 なんだあ、と思うかもしれないが、実はこれがけっこう奥が深い。もともと知っている単語だって、いや、知っている単語だからこそ、言い換えるのは意外にたいへんなのである。だからこそ、やる意味もある。「これをどうやって言葉にしよう…」と私たちが悩むとき、むにゃむにゃした無定形の「感覚知」と、がっちりした「概念知」とが、厳しい緊張関係を保っている。自分が頭でわかっているつもりのことを、あるいは肌で知っているつもりのことを、いかに言葉にしていくかという作業には、人類の知の根幹にもかかわる何かが潜んでいると筆者は思う。

 白井はそこまでは深入りしていないが、本書の他の部分でも触れられている、国語力をも含めた根本的な言語運用能力を考え直すためには、この「言い換え問題」(翻訳問題にもつながる)を馬鹿にしてはいけない。発話というものは、単語やフレーズの陳列でなされるのではなく、「あれ」や「それ」にたどり着こうとする試行錯誤のプロセスとして生起するのだから。巻末のQ&Aのセクションで白井は「言語はルールで割り切れると思っているのが大きな間違い」と指摘しつつ、同時に、「ルールと例外だけという考え方も間違っています」と言っているが、実に示唆的である。そう。言葉には「ルール」にも合わないけれど「例外」でもない、どっちつかずの中間域というものがあるのだ。ドロッと曖昧なこの中間域の部分といかに付き合うかが、言葉を上手に操るためには決定的に重要になる。

 白井のあげるもうひとつの「ストラテジー」は、fillerである。I meanとかah...とかyou knowとかいうやつ。ただ、実はこの部分については筆者は多少警戒心も持っている。たしかに沈黙がつづくのをさけるのに、こうした表現は便利だ。しかし、ときに私たちはこれを使いすぎる。アメリカ滞在から帰ったばかりの人が英語を話すと、やたらとyou knowとかlikeを連発することがあるが、いかにも英語らしく言おうとするあまり、結果として発言内容が伝わりにくくなるようにも感じられる。日本語で「えー」とか「あの」という間投詞がけっこう許容されていることとも関係があるのかもしれないが、ともかく、この「ストラテジー」を覚えるとつい過剰に使ってしまうことには注意した方がいいだろう。

 本書には具体的な英語のフレーズや文法の決まりなどが列挙されているわけではない。そのかわりにretrievalとかcircumlocutionに代表されるような、ちょっとした練習法や方策がいろいろ出てくる。その英語学習の方針について、筆者は完全に考えを同じくするわけではないのだが、あちこちで「そうだよね」とも思った。本格的な学習をはじめる人がどこかの段階でこういう本を手に取っておくのはいいことだろう。なお、TOEFLを使った英語学習の功罪にも最後に触れられているが、バランスのとれた意見が示されていると思う。


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