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『渡良瀬』佐伯一麦(岩波書店)

渡良瀬

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「毒を呑む」

 記念すべき本である。仙台在住の佐伯一麦は、このところ大震災とのからみで話題になることが多かった。背景には作風の変化もあるだろう。染織家の妻との結婚生活を描いた作品は葛藤を抱えつつも深い静けさをたたえた、文章にやわらかい筋力を感じさせるもので、ことさらうまそうに書くのではないのに、読んでいるうちにすうっとこちらの息が通る。父の最期を語る『還れぬ家』や、身体欠損を描いた『光の闇』など最近の作品もそうした系譜につらなる。そこにたまたま震災が来ただけのことである。佐伯には震災を受け止めるだけの容量が備わっていた。

 しかし、佐伯一麦の初期作品も是非読みたい。80年代から90年代にかけてのものを読んでから最近のものを読むと、たとえ同じエピソードに言及があったとしても、微妙に力の入れ方やこだわり方がちがっている。合わせて読むと、そうした「視差」のおかげで、それまでには見えなかった奥行きが感じられるのである。

 初期の作品では、今となっては過去の思い出となりつつある出来事が、まだ現在すれすれの生々しさとともに語られる。仙台の実家を飛び出し、東京に出てさまざまな職を経験。やがて電気工に落ち着き、埃まみれの天井裏で作業しながら(後に、ここでアスベストを吸い込んだことがわかる)、行きずりの女性との結婚生活に心身ともに疲労困憊。さらには心中未遂、子供の難病、親子関係のひずみ、自身の病や怪我……。ありとあらゆる困難の中で書き継がれた作品群には、これならどうだ、こう語ってみようか、という作家自身の迷いやためらいも含めた渋みと重みがあった。

 そうした初期の短編は、今、やや手に入りにくくなっている。三島賞を受賞して有名になったのは『ショート・サーキット』だが、それで「初期」を代表させるわけにはいかない。『渡良瀬』はそんな1980年代から90年代にかけての佐伯の声をよみがえらせるには格好の場である。もともとこの作品は、1993年から96年に『海燕』に連載され、雑誌の休刊で中絶したものだが、20年近くの歳月をへてその中絶作品を作家が完成させ、あらためて長編という形で世に出すことになった。

 『渡良瀬』には佐伯作品のエッセンスが詰まっている。電気工事へのこだわり、娘との葛藤、妻とのすれ違い……そして北関東から東京への通勤。その結果、主人公の身体は蝕まれ、集中力の欠如から人身事故まで起こす。肉体労働を続けながら、早朝に起きて執筆活動を行おうとする身にとってはこの生活はあまりに過酷だった。

 そもそも都心から縁もゆかりもない茨城県の古河に引っ越し、延々二時間半かけて千歳烏山工務店に日々通う主人公の姿には、奇異の念を抱く人もいるかもしれない。もっと近くに住めばいいのでは?と。都心にも安アパートくらいあるでしょ?と。しかし、本書を読むとそこにはある深い必然があるのがわかってくる。北へと向かう主人公の移動は、やはり故郷の東北地方に引きつけられたのではないか。それに「渡良瀬」という川。この流域ではかつて足尾銅山鉱毒事件が起きている。大きな被害のあった谷中村は古河から川をさかのぼったところにあったが、後に洪水を避けるための遊水池として水没した。作品中でも主人公がこの遊水池近くを散策する様子は印象的に描かれている。

 「渡良瀬」というタイトルには、水や川の持つ生命力への畏怖の念がこめられている。川の流れは電気や電波の流れとも重なり、彼が10代から20代にかけて歩んだ、ときに向こう見ずなほどの挑戦的な生き方を暗示する。しかし、渡良瀬はまた毒を呑んだ川でもあったのだ。そして主人公もそう。アスベストという物理的な毒をはじめ、さまざまな人間関係の軋轢から自身の失態に至るまで、多くの毒を呑みながらそれでも流れ続けてきた主人公の人生は、より深い意味で渡良瀬という川の名と重なり合う。

 佐伯一麦の文章の味を説明するのは容易ではない。何しろ、それは「とにかくいい」と言われる文章がしばしばそうであるように、一見さらさらと水のように透明だ。だが、とくに初期の作品には、淡々と語るようでいてどこかで「どうだ、かかってこい!」と運命に挑戦する姿勢が見える。筆者は佐伯一麦のそういう静かな力みが、けっこう好きだ。

 たとえば『渡良瀬』の出だし近くに、そんな構えがはっきり出ている箇所がある。この作品では主人公拓が古河に流れ着くまでの経緯がたっぷり語られるが、本筋をなすのは東京の工務店への通勤をあきらめ地元の工場で新しい道を模索する彼の姿でもある。工場でも、当然ながら、そんな東京からの「流れ者」に対する周囲の目がどこか猜疑心に満ちていた時期がある。

 拓は、腹の辺りに力を込めた。すると、弱気を嘲ら笑うような、流れ者のふてぶてしい笑みが自然と口の端に浮かんだ。「そうさ、たしかに俺は流れ者だ」と開き直るように拓は呟く。ほとんどが現地採用されている工場の同年代の工員たちは、拓のことを陰でそう呼んでいた。彼らの多くは、農家の次男坊三男坊だった。流れものとは、いい加減で、何か揉め事を起こしては去って行く、どうせこの土地には根付こうとしない男たちに対する蔑称だった。おまけに、拓はそれに、東京者、という言葉が加わった。(26)

 挑戦的とはいっても、任侠ドラマに見られるようなこけおどしや気障な捨て科白とは違う。ここにあるのは、腹の奥底に隠し持った負けん気であり、そう易々とは口にも出されない。ほとんどの箇所ではそれとも気づかないほどだ。でも、この力みは『渡良瀬』の文章の隅々まで行き渡っているものでもあると思う。主人公はいわば心のうちに「少年のような強い自分」をずっと隠し持っているのだ。もちろん、どこかでそんな自分を、脱力して見つめる冷静な目もあるけれど。

 だが、お前たちの先祖だって、流れ者だったじゃないか、と拓は思い直すように呟く。土質のよくない関東ローム層を力にまかせて開墾した者たちのことを思い浮べた。それから、平安時代天皇に反抗して東国で叛乱を起こした平将門の本拠も、すぐ近くの土地にあった。この野に吹き荒ぶ風の中で土地を耕し、馬を駆るつわものたち、その姿を拓は自分に親しい者として想像した。(27)

 拓の負けん気はつまらない対人的ないざこざに収斂するものではない。むしろそうした小さな葛藤を超え、長大な時間をも超え、まさかという想像に結びつく。しかし、読者はその大げささに微笑ましい気持ちになることはあっても、決して嘲笑する気にはならないだろう。拓の姿には、別にそうであってもなくてもいいものではなくて、ぜったいこうであらざるをないと思わせる何かがある。拓の負けん気も根拠のないものではない。この抜き差しならぬ必然が、文章に風格を与える。『渡良瀬』という作品は、さまざまな毒を呑みながらも川の流れるような人生を歩みつづけてきた主人公の航跡を、執拗なほどの気迫で刻みつけたものなのである。

 読者がおそらく気づくのは、この長編の中に何度も繰り返し語られるエピソードがあることだろう。とくに、主人公に激しく叱責されてから口がきけなくなり、「緘黙症」という症状に陥った長女の話は、これでもかとくり返し語られるものだ。佐伯が個々の作品の枠を超えて同一のエピソードをくり返し語ることはよく知られている。それは佐伯の私小説作家としてのあるこだわりを示し、読者もまた読んだことのあるエピソードの変奏に出会うたび、何ともいえない感慨へと誘われるのだが、『渡良瀬』では作品内でもそれが起きる。

 『渡良瀬』はひとつの長い川の流れとして構想されているということである。川はつねに流れている。どこまでがどこ、と区切ることはできない。海に至るまでひと連なりの連続体なのである。だからこそ、過去の思い出は何度でも呼び覚まされ、ときには主人公を苦しめ、ときには力づける。一本の長い川のような人生を、一本の長い川のようにして描かれた小説が模倣する。そもそも佐伯一麦が書いてきた作品のすべては、その全体がひとつの長い川のようにつらなったものと考えることができるだろう。そう考えるとあっと思うのは、結末近くに出てくる蛇。あれは佐伯一麦なりのちょっとしたいたずらなのか、象徴なのか。ともかく、その行方を見守りたいと筆者は思った。

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