『Go Now』Richard Hell(Simon & Schuster)
「パンクロッカー/作家、リチャード・ヘルのロード・ジャーナル」
9月10日、かつてCBGBがあったすぐ近くのクラブ、バワリー・エレクトリックでリチャード・ヘルとヴォイドイズの新アルバム「Destiny Street Repaired」のリリース・パーティがあった(バンドの再結成ではありません)。
この催しの知らせが僕のメール届き、僕は返事を書き、招待者リストに名前を載せてもらった。
リチャード・ヘルと聞いても知らない人が多いと思う(知ってる人も多いと思うけど)。リチャード・ヘルはパンクがまだパンクと呼ばれていない頃、ニューヨークのダウンタウン・パンクシーンを作り出した男たちや女たちのひとりだ。
CBGBからは、リチャード・ヘルがいたバンド、ハートブレーカーズやラモーンズ、ブロンディ、リチャード・ヘル&ヴォイドイズなどが出た。しかし、CBGBをパンクバンドのメッカとしたのはリチャード・ヘルだった。
僕がリチャードから直接聞いた話によると、リチャードは70年代初頭当時、ニューヨーク・ドールズがマーサ・アーツセンターという自分たちの小屋を持っていたのをうらやましく思い、冴えないクラブだったCBGBに自分たちのバンドを出すように交渉した。それまでCBGBは(カントリー・ブルーグラス・アンド・ブルース)という店名が示すようにカントリー・ウエスタンやブルーグラスを中心にしていたクラブだった。その頃、CBGBは周辺のバワリー地区の安宿に住んでいるアル中の浮浪者や、地元のヘルズエンジェルズがちらほら来る以外はこれといった常連客がいないバーだった。
「CBGB’s(リチャードはCBGBとは言わずにいつもCBGB’sという)の話をすると、俺の見方が特権階級的になるのは否めない。というのもCBGB’sの場合は、ある意味で店の創始者だったから、いつも王子様みたいに扱われていた」とリチャードは語っている。
リチャード・ヘルのパンクへの影響は、イギリスのパンクバンド「セックス・ピストルズ」のメンバーが、シド・ヴィシャスと名乗るなど、ラストネームをヘル(地獄)と同じように、ヴィシャス(悪意のある)などにしたことでも分かる。
今回リリースされた「Destiny Street Repaired」だが、リチャード・ヘル&ヴォイドイズが1982年に発表した「Destiny Street」のオリジナル・リズムトラックにリチャード・ヘルのボーカル、マーク・リボー、ビル・フリゼール、イヴァン・ジュリアン(ヴォイドイズのオリジナル・メンバーだ)のギターが新たに被せられたもの。
「『Destiny Street』のことを思うといつも気持が重くなった。あの頃はドラッグ漬けでまともな音楽活動ができなかった。今回リリースしたものがこのアルバムのあるべき音だ」と言っている。
まあ、一度聞いてみて欲しい。1970年代終わりから80年代初めにかけてのニューヨーク・パンクの音がして、心が熱くなること請け合いだ。
と、音楽のことばかりを書いてしまいましたが、リチャードは詩や本も出版しています。今回紹介するのは彼の小説「Go Now」。
主人公はパンクスターのビリー・マド。そのビリーが、カリフォルニアからニューヨークまで車で走り、その旅の様子を書く仕事の申し込みを受ける。作家になりたいと思いながらも麻薬とセックスに溺れていたビリーはこの申し出を受ける。
この申し出の条件はひとつ、以前のガールフレンドであったクリッサがフォトグラファーとして旅に同行すること。
麻薬を断ち、作家としても認められる機会となるこの旅に、ビリーは1957年型のクライスラーのデソトに乗って出発する。
アメリカの広い大地をいくロード小説は、アメリカ小説の伝統ともいえる。そして、その旅に麻薬とセックスと、孤独感が伴うのも、ケルアックらの作品と似ている。
しかし、パンクロック時代を代表するミュージシャン/作家によるアメリカ横断ジャーナルは一読の価値がある。
日本では、滝沢千陽の翻訳で出版されているが、リチャード・ヘル自身が書いたオリジナルの文で読むのもいいと思う。