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『上原正三シナリオ選集』上原正三(現代書館)

上原正三シナリオ選集

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「特撮のパトリオティズム

脚本家・上原正三は、日本の特撮の歴史を語る上で不可欠の存在である。上原は、円谷プロダクション制作の『帰ってきたウルトラマン』でメインライターを務めた後、いわゆる「戦隊モノ」の草分け的存在にあたる『ゴレンジャー』や『サンバルカン』に参加し、『ゲッターロボ』をはじめロボットアニメでも活躍を見せ、さらに1980年代には『宇宙刑事』シリーズ(ギャバンシャリバンシャイダー)の脚本を手がけるなど、きわめて多彩な活動を続けてきた。本書は、その上原の膨大なシナリオのなかから、特撮以外のドラマの脚本も含めた50本を精選したものである。そのなかには、たとえば『ウルトラマン』の前身に当たる『レッドマン』の準備稿や、『ウルトラセブン』の有名な未制作エピソード(トーク星人の回)なども含まれ、資料的な価値も高い。

本書の編集において特徴的なのは、沖縄出身という上原の出自が非常に強調されていることである。上原は那覇から上京して(当時まだパスポートが必要だった)、中央大学に入り、卒業後に同じく沖縄人である金城哲夫の誘いを受けて、円谷プロダクションの作品の脚本を手がけるようになる。そして、1970年代以降の幅広い活躍を通じて、日本の特撮の世界では有数の脚本家として知られるようになるのだ。そして、こうした人生経路においても、上原は沖縄人・琉球人としての立場を決して忘れることがなかった。付属のDVDに収録されたインタビューでも自身の沖縄アイデンティティへのこだわりが語られているが、それは凄味すら感じさせるものであり、70歳を越える年齢を感じさせない。

とはいえ、僕にとって興味深いのは、そのような強烈なパトリオティズム愛郷心)が、実作においてたえず「横ずれ」を含んでいたことである。特に『帰ってきたウルトラマン』は、先行する『ウルトラマン』や『ウルトラセブン』が近未来を舞台にしていたのと異なり、1970年初頭の東京というリアルな地平に舞台を定めていたこともあって、公害や差別などの社会問題がかなり明示的にとりあげられている。そこでは、パトリオットとしての上原の情念は、ときに東京に暮らす市井の人間である坂田健(岸田森)と坂田アキ(榊原るみ)の兄妹に(グドンツインテールの回)、またときに、凄惨な差別を受ける在日朝鮮人を思わせる宇宙人に(メイツ星人とムルチの回)、それぞれ託されていた(いずれの回も、本書に収録されている)。ただ、その一方で、ウルトラマンシリーズで、沖縄が明示的に主題にされることはたえてなかったのである。

すなわち、上原や金城が持っていた沖縄人としてのパトリオティズムは、宇宙人と怪獣が暴れまわる奇怪な世界に移されたことによって、一度土着性を喪失している。「いったい何が守るべき対象なのか」「何が正義なのか」という根本的な問いは、当の守るべき対象が抽象化されることによって、しばしば行き場をなくしてしまう。そもそも、初代ウルトラマンからして、ほとんど何の明示的理由もないまま、なぜか怪獣と闘ってくれる謎の宇宙人に他ならなかった(なお、この浮遊感は、明示的な「悪の結社」を用意していた『レッドマン』準備稿との対比でよりはっきりするだろう)。ウルトラマンの「正義」は何に向けられているのか、それは実は誰にもわからない。だが、この浮遊感や抽象性がかえって、作品と視聴者のあいだに奇妙な一体感を成立させていたのだ。

そして、この「パトリオティズムの横ずれ」は、後の文化にも影響を及ぼしている。たとえば、若い頃の庵野秀明たちが『サンバルカン』や『帰ってきたウルトラマン』などをパロディ化したフィルム――それは同時に、おそろしく真剣なパロディでもあったわけだが――を制作したのは有名な話だが、なかでも『愛國戰隊大日本』は「ネタとしてのパトリオティズム」の極致のような作品であった。本土に翻弄された沖縄の人間である上原正三が、東京を怪獣から防衛する特撮作品の脚本を手がけ、さらにその洗礼を受けた若い世代が1980年代には「大日本」や「愛国」というシミュラークルに到る……。ここには、何とも倒錯的なねじれ現象があると言えるだろう。

かく言う僕自身、まさにその1980年代、上原が参加した特撮作品に骨の髄まで侵食されながら、幼少期を過ごしていた。当時の僕にとって、新ウルトラマンシャイダーは熱狂的な崇拝の対象であり、また同時に、超人であるのにどこか不安定さやヴァルネラビリティ脆弱性)を感じさせる姿には、奇妙に欲望をかきたてられたことを覚えている。今、それらの作品のシナリオを読むにつけ、いったい自分はなぜこのような謎の「ヒーロー」たちにかつて惹かれ、今なお惹かれ続けているのかを、そしてこの種の特撮に今も相変わらず多くの子どもが(いや大人も!)ハマってしまうのかを、改めて考えざるを得なかった。無論、そこに確定的な答えは出ないだろう。だが、少なくとも本書からは、それらの作品の背景にいかなる政治的現実があり、そこに作り手のいかなる思いが託されていたのか、そしてそれがどのように土着性を欠いたヒーローものに変換されていったのかという過程を窺い知ることができるはずである。

何にせよ、日本のサブカルチャーの持ついわば「浮遊したパトリオティズム」を考える上で、上原正三の存在は避けて通れない。上原正三金城哲夫という沖縄人を介して、日本の特撮とサブカルチャーの歴史は大きく変動した。本書のアーカイヴは、そのような歴史をたどる上で必須の資料だと言えるだろう。



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