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『ベンヤミン―ショーレム往復書簡』ゲルショム・ショーレム(山本尤訳)(法政大学出版局)

ベンヤミン―ショーレム往復書簡

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「終わってしまった歴史のなかに希望を感じる」

 法政大学出版局による味気ない装丁の専門書的な雰囲気、400頁を超える分厚さ、そしてユダヤ人学者同士の往復書簡というマニアックな内容など、本書を包み込んでいる秘教的な雰囲気(オーラ)は、最初から多くの読者を遠ざけてしまっているように思う。いや確かに常識的に考えれば、本書はベンヤミンショーレムの著作に慣れ親しんできた一部の専門家や好事家だけが、彼らの思想的背景をより深く知るために読むような専門書ということでよいのかもしれない。しかし私は、そんな扱いではあまりにもったいない気がして仕方がないのだ。むしろ本書は、知的好奇心があってベンヤミンの著作を開いてはみたものの、その難解さと読みにくさを前に挫折してしまったような多くの読者が読むべき、彼らの思想への入門書的な役割を果たすユニークな、面白い書物だと思う。

 何が一番「面白い」のかって、なまなましいのである。二人は往復書簡のなかで、1930年代のドイツやイスラエルの歴史的状況(ナチス政権成立直後にドイツからエルサレムへとユダヤ知識人が大量に移住してくる様子、パレスティナで頻発するテロの状況、彼ら自身の家族のナチスによる逮捕や強制収容所への収監、新聞法成立によるベンヤミンら左翼批評家の締め出しなど)を、彼ら自身の運命を刻一刻と変えつつある危機的な出来事として、切迫感を持ってヴィヴィッドに記述している。私がもっぱら、強制収容所の大量虐殺という破局的終末から決定論的に振り返ろうとする歴史書や回顧録や再現ドラマで獲得してきた歴史的知識が、ここではまるで臨時ニュースのように、これからまだ何が起きるか分からない切迫したなまなましさによって、生命を与えられるかのようなのだ。つまり読者は、まるで30年代のユダヤ人の破局のプロセスを追体験していくかのような奇妙なリアリティと興奮を本書から覚える(不謹慎な言い方ですみません)。

  しかも、あの独特の文体を持つベンヤミンが、学生時代からの親友ショーレムに向けて実に率直に(しかしやはり見事な言い回しで)自分の生活の苦境を報告し、研究への補助を嘆願しているのもいい。誰か編集者を紹介してくれ、でもあいつでは嫌だ、あの雑誌には原稿料の値上げを要求したら寄稿を断られた、亡命先なので自分の書いた過去の文献が自分では参照できないからいつでも郵送で参照できるように君の文庫で揃えておいてくれ、などなど。本当にリアルな、研究者としての生活観に溢れていて身につまされる。第一級の才能を持った高学歴ワーキングプアが、最悪の政治的抑圧と貧困の状況のなかで、『ベルリンの幼年時代』や『パッサージュ論』や「複製技術時代の芸術作品」などといった最高の論考を、発表のあてもないまま書き継いでいったことがしみじみと伝わってくる。それらの孤独に書かれた論考が、失われることなく細い糸で伝わって、いま私たちが日本語で読めているということが奇跡であることを、改めて噛みしめる。というわけで、ほんの調べ物のために読み始めただけだったのに、気がついたら面白くてやめられなくなっていた。

 だが私が面白いというのは、そのような手紙の内容が切実だというためだけではない。本書はむしろ書簡集の「形式」として実にユニークで面白いのだ。編者ショーレムが採用した形式は、差出人がどちらかとは関係なく、手紙を書かれた日付の順序に並べるというものだ。だからここでが、往復書簡として両者の手紙が交互に並べられているわけではない。ショーレムベンヤミンベンヤミンショーレムといった順で不規則に並べられている。というより、そうするしかなかったのだ。国際郵便の事情が悪化したためか、ショーレムが居住するエルサレムベンヤミンの亡命先のパリやイビサの間では、手紙が届くのに2,3週間かかってしまう。つまり自分の書いた手紙の返信を待つと往復で一ヶ月以上かかってしまう。しかし彼らはもっと早く相手の状況や返事が知りたい。だから自分の手紙が相手に届いたことを確認する前に、不安になって次の手紙を出してしまう。論文を送ってくれと頼んだり、エルサレムに長期滞在しないかと提案したり、自分の論文の感想を知らせて欲しいと頼んだりといった重要な手紙に対する相手の返信がなかなか来ないまま、その次の手紙を続けて出すときの文面の不安感や焦燥感が実にいいのだ。

 ときにベンヤミンなど、自分が2通(1933年5月7日付、23日付)も手紙を出したのに返事が返って来ないので、君には手紙を出す気なんかないんだと、ショーレムに向かってすねて怒り出してしまう始末(31日付)。しかし私たち読者は、すでにショーレムがその1週間も前に返事を出していることを先に読んで知っている(23日付)。しかもその後、ベンヤミンにその23日付のショーレムの手紙が届いて、ベンヤミンが気まずい気持ちでもじもじと返事を書いた日(6月15日付)の前日(14日付)には、すでにショーレムは、ベンヤミンの怒りの手紙に対して「そんなにせっかちになるなよ」という励ましの手紙を出し終えている。なんとも滑稽なやり取りである。私たち読者は、そうしたメディアを介した二人の行き違いに、衛星TV生中継のタイムラグによって生まれるキャスターとレポーターのギクシャクした会話を聞くときのような滑稽さを感じて笑わずにはいられない。

  だが他方で、私たち読者は、ベンヤミンがやがてその7年後(1940年9月)にスペインの亡命途中に自殺したという悲劇的結末をも知っている。だからどうしても本書を読みながら、その事実を想起せざるをえない。ショーレムエルサレム招聘を、シオニズム嫌いという理由で繰り返し断る頑ななベンヤミン。ちょっとした返事の遅れに過敏に反応するナイーブなベンヤミン。それらの細部が、ベンヤミンの憂鬱と引きこもりと自殺への必然的な道程であったかのようにどうしても感じてしまう。何しろベンヤミン自身が「写真小史」のなかで、写真家カール・ダウテンダイが婚約時代の妻と一緒に撮った写真をめぐって、その妻が後に自殺したことを知っている人間がこれを見たときに、そこに不幸の影を焦げ穴として探してしまうだろうと書いているのだ。「この写真の目立たない箇所には、やがて来ることになるものが、とうに過ぎ去ってしまった撮影のときの1分間のありようとして、今日でもなお、まことに雄弁に語っている。だから私たちは、その来ることになるものを、回顧を通じて発見できるのである」(久保哲司訳『ベンヤミン・コレクションⅠ』、ちくま学芸文庫、558頁)、と。

 確かにそうかもそれない。しかしむしろ私は、まったく反対の「希望」のようなものを、この往復書簡の切迫したやり取りを通して感じた。確かにベンヤミンは絶望的な苦境に追い込まれている。しかし彼はなお自分の仕事の重要さを信じ、出版の当てなどなくても論考をひたすら書き続けている。どんなに追い詰められてもなお、決して希望を捨てないで、冷静さと知性の確かさと、どこか滑稽な執着気質を持って、生き延びる道をあくまで探ろうとする(リーザ・フィトコ著、野村美紀子訳『ベンヤミンの黒い鞄』晶文社を読めば、私たちは、フランスからスペインへと山道を超えて亡命しようとして、受け入れを拒否されて自殺を敢行するその直前までベンヤミンが冷静だったことを知ることができる)。それを文面から感じ取るとき、私は決してありえなかった別の歴史をどこかで想像してしまう。ベンヤミンがその冷静さを持ってうまく苦境を生き延びることができたかもしれないという、費え去った可能性を。ダウテンダイの写真の場合も同じだ。この写真が興味深いのは、やがて来ることになる二人の不幸の焦げ穴がそこに感じられるからだけでなく、そのような不幸を弾き返せたかもしれない別の可能性に向かって、婚約中の二人が前を見据えて毅然と立っているからだろう。そこには希望もまたあったのだ。だから本書もまた、まるで30年代半ばにベンヤミンショーレムが撮った肖像写真であるかのように、そのときには別の可能性に向かって開かれていた、二人の生き生きした表情を感じさせてくれる。そうやって終わってしまった過去のなかに別の未来を開く想像力だけが、00年代日本という、いまここで私たちが陥っている社会と思想の閉塞感を打破してくれる感受性なのだと、私は信じている。

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