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『ナチス・ドイツの有機農業−「自然との共生」が生んだ「民族の絶滅」』<br>(柏書房)

ナチス・ドイツの有機農業  →紀伊國屋書店で購入



   本書評は、早瀬晋三著『歴史空間としての海域を歩く』または『未来と対話する歴史』(ともに法政大学出版局、2008年)に所収されています。


 まず、古くて頭の悪い人は読まない方がいいかもしれない、ということを言っておく。著者藤原辰史は、1976年生まれの20代である。ものごころがついたときには、環境問題が騒がれており、「自然との共生」はいいものだと教えられた世代である。そして、単純化し合理的に考えてきた近代科学が、現実の社会に役に立たないことがわかってきて、複雑なものは複雑なものとして受け入れ、複合的にみんなで考えようという、新しい時代に育った世代である。「問題設定は明確だが、結論は曖昧」などと評価したら、とたんに古くて頭の悪い人だと思われてしまう。

 「自然との共生」はいいものであると信じていた著者は、ディープ・エコロジストとナチズムに類似性・親和性があることに気づき、驚いてしまう。「浅いエコロジスト」が「発展」優先概念から抜け出せず「人間中心主義」から脱することができないのに対して、ディープ・エコロジストは人間、動物、植物の平等、すなわち、「生物圏平等主義」を原則とし、人間は「生態系に組みこまれた生態的な存在者」にすぎないのだ、と考えている。いっぽう、ヒトラー政権下のドイツでは1935年に「帝国自然保護法」が公布され、その2年前には「動物保護法」も公布されていた。ナチスは、「人間中心主義」を批判し、「動物への権利」を主張して、人間も動物も植物も包括する「生命」を国家の軸に据えていたのである。そして、不用なものとして、ユダヤ人が抹殺されたのだった。

 本書は、「「人間中心主義」から「生物圏平等主義」へというナチスエコロジーの実験を有機農業とのかかわり合いを軸に、「人間の存在形式」の問題として捉え」、「生命共同体国家はなぜホロコーストに行き着いたのか」、「エコロジーに潜む危険性をナチ農政に読む」思想史である。

 ナチスは「人間中心主義」からの脱却に挫折した、と結論づけることは簡単だろう。では、脱却に成功する方法はあるのか。楽観主義的エコロジストはともかく、すこし環境学を学んだ者なら、その困難さは充分にわかっているだろう。また、実際に有機農業にたずさわっている者からみた総論は、なんの役にも立たないようにみえてしまう。本書でとりあげられた地域は、ヨーロッパの乾燥農業中心で、キリスト教思想が支配的だ。有機農業は、生態環境だけでなく、その地域の住民がもつ自然思想にも大きく影響される。本書で投げかけられた数々の課題は、多くの実例を通して解決へと向かっていくだろう。そう信じたい。

 いま、結論など求めようのない難題に、若い研究者が取り組んでいる。すこし、明るい気分になった。

 本書のように、近年、若い研究者の博士論文を元にした単行本の発行が増えている。大学院生が増加し、大学側も積極的に博士号を出すようになった結果である。それはそれでいい傾向だと思うが、その博士論文を指導し、審査している教員が博士号をもっていなかったり、専門書を書いたことがなかったりするのは奇妙だ。これまで、400字詰め原稿用紙にして40~50枚の学術論文を書くことに精を出してきた世代は、単行本の出版にあまり関心がなかった。若い世代の新しいテーマやアプローチを正しく理解し、批判する世代がいないと、学問の発展はないだろう。世に出る前に新しい芽を摘んでしまうのではないか、若い世代を指導する世代のほうが心配だ。

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