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『バンコクの高床式住居-住宅に刻まれた歴史と環境』岩城考信(風響社)

バンコクの高床式住居-住宅に刻まれた歴史と環境

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 文献以外の歴史資料を使って歴史を分析することの必要性が唱えられながら、それを実践することはそれほどやさしいことではない。文献以外の史料だけで分析することは難しく、文献史料の読解力もあわせて必要だからだ。しかし、本書は文献史料に加えて、住環境をも考慮に入れることによって、歴史を語ることに成功している。


 バンコクの街を大通りからちょっとはずれて歩いてみると、不思議な空間に出くわすことがある。それがなになのか、本書を読んでわかったような気がした。伝統的な高床式住宅が、近代的な街の景観とあわなくなってきているのだ。かつては、道路より水路(運河)のほうが便利な地区があったはずだ。現在でも水上交通(チャオプラヤー・エクスプレス・ボート、渡し船、乗合ボート、水上タクシーなど)は残っているが、主役は陸上交通(バス、BTSスカイトレイン、地下鉄など)に奪われている。水路と高床式住宅がつくる空間に違和感はないが、道路と高床式住宅は田舎ならまだしも都会には不釣り合いだ。


 本書は、なぜこういう景観がバンコクに生まれたのか、それを歴史的にたどろうというのだ。著者、岩城考信が、路地裏の住宅に注目するようになった理由を、「あとがき」の冒頭でつぎのように説明している。「古い絵図や地図を持って、バンコクの旧城壁内(プラナコン)を歩いている時にふと思った。なぜ、古い絵図や古地図に描かれた伝統的な高床式住宅、タイ住宅はほとんど現存していないのか。なぜ、同時代に建設された高床式住宅であっても床高の高さには、多様性があるのだろうか。しかし、この素朴な疑問に答えてくれる先行研究はなかった。自分で住宅を調査するしか研究を進める術はないと思った」。


 そして、調査するポイントをうまくつかんだ。それは、つぎの目次からよくわかる。

  はじめに

  フィールドワークから見直す高床式住宅

  一 床高から見るバンコクの住宅類型

   1 バンコクの都市と住宅

   2 高床式住宅

   3 揚床式住宅

   4 地床式住宅

  二 伝統的な高床式住宅・タイ住宅の再考

   1 タイ住宅を巡る言説と疑問

   2 動産としての住宅

   3 移築と増築による住空間の変容

   4 空間変容のサイクルと家族構造

  三 バンコクの近代化と高床式住宅

   1 タイ住宅の減少とその理由

   2 選ばれる揚床式住宅

   3 選ばれる高床式住宅

   4 戸建て賃貸住宅の開発と高床式住宅

  おわりに


 その研究成果は、「おわりに」で要領よく、わかりやすくまとめられている。最後のパラグラフは、つぎのように記されている。「以上、バンコクの高床式住宅の住まい方や空間変容、機能性、多様性について考察してきた。そこには、あたり前のことだが「住」という人間の生活の基本要素には、家族や環境の変化に応じた合理的な変容が常にはかられてきたという事実があった。こうした事実をより深く見つめるためにも筆者は、継続的に研究を進め、さらに多くの事例を通して、より詳細に検証していきたいと思う。例えば、第二節で扱ったタイ住宅では、今後、空間の増加が起こるのであろうか、それとも減少が起こるのであろうか。現在、住宅の裏には道路が建設されつつあり、今後周辺環境は激変していくと思われる。その時、このタイ住宅も都市住宅としての限界に直面するであろう。新しい住宅形式へと建て替えられるかもしれないし、筆者の予想を超えた何かを見せてくれるかもしれない。住空間を生きたものとして捉える、この視点を今後も深めていきたいと思っている」。


 著者は、建築学の研究対象としてだけで、タイ住宅を観ているわけではない。タイの人びとが、家族や環境の変化に応じて、住空間を変えてきた知恵を学ぼうとしている。そして、これからの社会変動にたいして、われわれはどのような住空間を築いていけばいいのかを考えようとしている。「住空間を生きたものとして捉える」視点で、わたしも住宅を観ていこうと思った。

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