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『せめぎあう地域と軍隊-「末端」「周辺」軍都・高田の模索』河西英通(岩波書店)

せめぎあう地域と軍隊-「末端」「周辺」軍都・高田の模索

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 「軍隊が在駐している時に「軍都」は経済的に安定し、外征している時に「軍都」は危機に直面した」。つまり戦争のない平時に、多くの兵士をかかえる地方都市は、兵士の消費によってうるおうが、戦争になって兵士が戦場に行けば、とたんに経済は収縮して地方都市はさびれる。この軍隊と地域(地方都市)のパラドクスを、新潟県高田を例に考察しようとするのが、本書である。


 表紙見返しには、つぎのように書かれている。「一九二五年の第一三師団廃止の後、連隊区司令部以下の所在する「末端」「周縁」軍都となった新潟県高田市(現上越市)。満洲事変、廬溝橋事件を経て、一九四一年の対米英開戦に向けて社会における軍事の比重が次第に増してゆく中、軍からの自立と、軍による振興との間で揺れ動き続けた高田の模索を通じて、日本の軍都の特質を描き出す」。


 「日本近代史研究において、軍事史は近年、急速に活性化・拡大化を見せ」、「地域にとって軍隊とはいかなる存在だったか」という問題が提起され、軍事演習地論、連隊区司令部論、軍用地論、軍港論などがとりあげられている。こういった軍事史で、「<軍隊と地域>の関係性を、軍都や軍郷といった空間からより広域を対象にして有機的・構造的に把握しようとしている」のにたいして、著者の河西英通は「軍都にこだわってみたい」という。その理由を、3つあげている。第一に「「軍都」という用語が従来あまりに一般化しすぎて、それがいったいいついかなる文脈で誕生したかすら、ほとんど論じられてこなかったからである」。「第二に、その機能と実態からすれば、軍都は決して完結的な空間ではなかったからである」。「第三に、軍都における<軍隊と地域>の癒着・乖離関係を重視したいからである」。そして、「軍都論のこだわる地点から」、「「軍都社会」論とも呼ぶべき近代日本社会論の新しい地平を切り開いてみたい」という。


 「「軍都」という名称それ自体は、満洲事変期から一九四五年の敗戦までせいぜい十数年の寿命であったが、地域に「軍都」という自己認識が誕生・定着するまでのプロセスこそ重要である」というのは、「近代日本の主要都市のほとんどが早期に軍隊を抱えていたこと、とくに旧城下町の多くが市制施行後、あるいは明治末年までに都市になり、軍都を形成していった」からである。しかし、「日本の多くの都市は軍事的機能を付与・強要されることで、自立的な発展の可能性を抑えられ」、「国家からの付与・強要を払いのけて、自主的な近代化の道を歩もうとする模索も見られたが、構想・運動の域にとどまらざるを得ず、現実的な変革をもたらすことはなかった」。


 高田にとっても、師団廃止は大打撃であると「同時に自立的な地域振興策に舵をきる大きなチャンスでもあった」が、「非軍事的近代化・都市化の道は困難を極め」た。結局は、「<軍隊と地域>は互いにもたれあう関係、「相犯」関係であった。と同時に「共犯」関係でもあった。「共犯」関係というのは、<軍隊と地域>は加害者であり、被害者を生んだからである。言うまでもなく、最大の被害者はアジアの民衆である。しかし、地域民衆も共犯者であり、加害者であると同時に、共犯者である軍隊による被害者でもあった」。この絡み合った関係が、加害者としての責任を曖昧にすることになったということができるだろう。


 戦争が平時では解決困難ないろいろな問題の解決に繋がることが、しばしば指摘されてきた。だから、人びとは安易に戦争に走り、打開の糸口にしようとした。しかし、それは一時的な解決にはなるが、根本的な解決にならないことが、本書からもよくわかった。著者は、つぎのような結論を得て、本書を締めくくっている。「原理的に軍都における武力の存在が、軍都における他の産業部門への活性剤になることはない(略)。せいぜい「軍隊出動は打撃、滞在は安定、凱旋などの行事はかせぎ時」という関係性が成立するにすぎない」。「もちろん、こうした関係性自体が持っていた経済的魅力は大きく、期待されたことは間違いないが、「軍都」であることが地域社会を必然的に活性化するわけではなかった。軍工廠や軍需工場も本質的には国家や資本のものではあっても、地域社会や市民のものではなかった。逆に「軍都」であること、それに伴う軍事施設の存在、あるいは「軍都」であることのプライドとリスクが地域社会の自立的な発展を妨害・阻止し、足枷(あしかせ)・障害になった場合も多い。地域が自立するということは、外部から注入・強要されるシステムに頼るのではなく、みずから手持ちの歴史性と現実性と可能性を活かし切ることにほかならない。旧城下町の系譜を持つ戦前軍都の歩みと悩みは、あらためてそのことをわたしたちに教えてくれている」。


 「軍都」という名称が短命に終わったのは、「軍都」が戦争に協力する都市であったからであろう。ということは、戦争をしない自衛隊なら「軍都」は繁栄するが、戦争をするアメリカ軍基地をかかえることは戦前・戦中と同じ自立できない「軍都」となるということか? 沖縄のアメリカ軍基地問題だけでなく、与那国島のようなところでも自衛隊を誘致するかどうかで、住民間の対立がある。軍隊と地域の問題は、過去の問題ではない。


 本書は、「戦争の経験を問う-経験を切り口に戦争のリアルティに迫る」(全13冊)の最初に刊行された1冊である。このシリーズは、『岩波講座 アジア・太平洋戦争』(2005-06年、全8巻)の続編でもある。

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