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『「お雇い」鉱山技師エラスマス・ガワーとその兄弟』山本有造(風媒社)

「お雇い」鉱山技師エラスマス・ガワーとその兄弟

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 著者、山本有造は、本書を楽しんで書いている。その理由は、長年(40年)疑問に思っていたことを、専門の数量経済史から離れて書くことができたからである。だからといって、まったく専門から離れたわけではないことが、本書を読めばわかる。これまでに培ってきた研究があったればこそ、それから距離を置いた本書が書けたように思える。幕末から明治にかけて日本にやってきた「お雇い」外国人兄弟を通して、当時の日本という国家の位置、社会の様相だけでなく、東アジア情勢や世界情勢まで、その一端がわかってくる。それは、ザ・ヤトイthe Yatoiということばが、「今日では「お雇い」を指す言葉として英語でも通用」し、「彼らは日本における「文明開化」の尖兵であった」ことと関係している。


 著者の疑問は、開港期の幕末・維新史の文書や史書に、頻繁にガワーという名前をみつけたことによる。しかも、「出所によって、ガワルだの、ガールだの、ガワールだの、果てはゴールなどと呼ばれて最初はとまど」い、「また職業も「お雇い」鉱山技師であったり、領事であったり、貿易商であったり、時には画家あるいは写真家らしかったりして、これにも振り回される」ことがあったからである。


 著者は、「はじめに」の最後で、つぎのように述べて、「この小さな好奇心から生まれた、一九世紀日本とイギリスとイタリアを結ぶ探求の記録」をはじめている。「横浜貿易商それも「英一番館」の番頭、「お雇い」鉱山技師、そして「英国領事」を名乗る三人のガワーが、安政六年(一八五九年)まさに三港開港の直後から、明治一〇年(一八七七年)すぎまで、横浜を中心に日本各地に出没した、らしい。彼らはどこから来たのか。なぜ日本に来たのか。彼らは何を日本に残したのか。彼らはどこへ消えたのか。幕末・維新史に興味があるものであれば、これを知りたいではないか」。


 その結論は、「おわりに」の最初の1頁で、つぎのように述べられている。「開国以降の幕末・明治初期に、三人のガワー姓のイギリス人が日本に現れる。はじめに現れるのはイギリス総領事館(公使館)補佐官として一八五九年(安政六年)に来日したエーベル・ガワーであった。彼はイギリス領事として日本各地を転任し、一八七六年(明治九年)兵庫・大阪領事を最後に、日本を離れた。次に現れるのは「英一番館」ジャーディン・マセソン商会横浜支店の支店長として一八六二年(文久二年)に着任したサミュエル・ガワー、われわれのいうS・Jであり、彼の離日は一八六五年(慶応元年)春であった。三番目が「お雇い」鉱山技師として一八六六年(慶応二年)箱館に現れるエラスマス・ガワーである。彼は箱館佐渡、東京、長崎で仕事をし、一八八〇年(明治一三年)に新しい仕事を求めてタイ、インドへ去った」。


 「彼ら三人が、イタリア・トスカーナリヴォルノ(レグホーン)市在住のイギリス人商人・ジョージ・ヘンリーと妻アンの同腹の兄弟であることを小著では明らかにした。S・Jが一八二五年生まれの長男、エラスマスが一八三〇年生まれの次男、エーベルが一八三六年生まれの三男であった。粗々の計算で、S・Jの来日時が彼三七歳でおよそ三年の滞日であった。エラスマスの来日は三六歳、彼は一四年間を日本ですごし、五〇歳にして去った。エーベルの来日は二三歳、離日そして引退も四〇歳という若さであったが、彼の日本滞在は足掛け一七年におよんだ」。


 「ガワー兄弟は教科書を飾るといった意味での歴史の主役ではなかった。しかしそれぞれの職業を通して開港期・日本の西欧化・近代化に大きな役割を果たした「異人たち」であった」と結論した著者は、つづけて司馬遼太郎胡蝶の夢』のつぎの文章を引用している。「幕末から明治初年の日本は、濃厚に異質な世界であった。ここにきて物を教えることに熱中した幾人かのヨーロッパ人は、帰国後、海のそこから帰ってきた浦島のようにどこか茫々として後半生を送るところがあった」。


 本書の謎解きに、大いに役にたったものに、GROと文書館史料がある。戸籍登記所GRO(General Register Office for England and Wales / The Office for Registration of Births, Deaths and Marriages)は、1837年にイングランドウェールズで、すべての出生、死亡、結婚の登録が義務づけられたことにともなって設けられた。55年にはスコットランドアイルランドでは45年に結婚、64年に出生、死亡の登録が強制された。そのおかげで、家系図を調べるのが容易になっただけでなく、既婚者による結婚詐欺の被害に遭うことも減った。イギリスなど欧米の文書館に行くと、あきらかに研究者には見えない多くの高齢者を見かける。それぞれ自身のfamily history郷土史などを調べている。ときには、研究者には思いもつかないような新たな発見があったりする。文書館や図書館の役割に、日本にはない受動的でないものを感じる。


 日本では、人名の読みにほとほと苦労する。外国人のカタカナ表記も同じであったようだ。日本史など日本研究が国際化して、英語で書くようになると、人名のローマ字表記が問題となる。このような役所や文書館があると助かる。「日本の西欧化・近代化に大きな役割を果たした」ひとりエーベルが、40歳で「失意をもって日本を去り、長い余生を送った」一因も、目に見えない「文化摩擦」に青壮年期の17年間さらされつづけてきたからかもしれない。本書を読むと、どこかで日本人と行き違いしたことがうかがえる。

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