『コロニアリズムと文化財-近代日本と朝鮮から考える』荒井信一(岩波新書)
近年日本と韓国の学術交流がさかんになって、日本人研究者が韓国で発表する機会も増えている。これらの日本人研究者、とくに日本考古学、日本近現代史を専門とする者は、本書で書かれているようなことを充分に認識しているのだろうか。もし認識していなくて、交流を通じてもそれに気づかないのであれば、その交流は逆効果に終わってしまう。
最初の日本による朝鮮の文化財略奪の舞台となったのは、高麗時代の13世紀にモンゴル侵攻によって30年間王都があった江華島で、1875年に日本軍が攻撃したときだった。その後、江華島だけでなく、約500年間高麗の王都があった開城付近で、無数の墳墓があばかれ、「どの山もどの丘も一面蜂の巣のごとくに穴だらけとなっている」という状況になった。江華島では、日本より早く1866年に攻撃し、島の一部を約40日間占領したフランスが「古文書その他の宝物を奪い建物を焼いた」。欧米帝国主義諸国は、世界各地で帝国的侵出をし、文化財を略奪した。日本もそれにならったことを、著者はつぎのように述べている。「軍事的威圧を背景とする不平等条約の強要といい、文化財の略奪といい、近隣諸国に対する明治国家の最初の対外活動は、欧米「文明国」の範にならったものであり、江華島はその象徴的な初舞台であった」。
帝国日本による朝鮮での略奪の実態は、第1章と第2章の見出しを含めた目次から、軍官民学が一体となっていたことがよくわかる。「第1章 帝国化する日本、そして文化財」「1 最初の文化財略奪の舞台-江華島」「「天然の要塞」」「江華島事件」「文化財の略奪」「四つの史庫」「貴重図書の返還」「史庫の略奪」「河合弘民と「河合文庫」」「高麗古墳の盗掘」「伊藤博文と磁器収集」「武装巡査に護衛された遺跡調査」「2 日清戦争と文化財」「文明国としての体裁」「九鬼の帝国博物館構想」「「東洋美術唯一」の代表」「軍主導の文化財略奪」「3 なぜ鉄道建設なのか」「帝国大学の学術調査」「植民地経営と鉄道」「建築調査に秘められた目的」「古市公威と山県有朋」「縦断鉄道を熱望する」「強制収用と農民の嘆き」「こわされる先祖の墓」。
「第2章 学術調査の名のもとに」「1 関野貞の古蹟調査」「朝鮮史をどのように認識したか-「植民地史観」」「関野貞の古蹟調査」「高句麗壁画と日本」「影の主役たち、アマチュア・コレクターと軍」「仏教遺跡でも」「取締りは可能か」「2 朝鮮半島の日本人たち」「日本人の移住」「ジョージ・ケナンの見た日本人」「出土品目当ての濫掘・偽造ブーム」「タダ同然の「重宝」、白玉仏」「和田雄治の功罪」「植民地エリートたちの差別意識」「密掘は合法か不法か」。
このような近代の負の遺産は、世界の帝国がからんでいるだけに、二国間だけで解決できない複雑な問題を孕んでいる。そのため、「第3章 同化政策とつくられた歴史」で日韓併合から日本の敗戦までの植民地時代に日本が朝鮮でなにを「破壊」したかにつづいて、「第4章 文化財は誰に属するのか-講和から日韓交渉へ-」、さらに「第5章 世界で進むコロニアリズムの清算」と時代を追って視野を広げて考察し、「終章 文化財問題のこれから」へと議論を展開する必要があった。
第5章は、つぎのような説明からはじめている。「文化財の保護が大きな課題となったのは、第二次世界大戦の特徴のひとつであるが、この戦争をきっかけとする脱植民地化の進行のなかで、国外にもちだされた文化財の返還問題が、コロニアリズム清算の一環として強く意識されるようになった」。「自国内で発見された、コロンブスの新大陸到着以前のすべての遺物について、メキシコが所有権を宣言し、多くの中南米諸国がこれにならった。イタリア、ギリシャその他の地中海諸国やイラクからの文化財の不法な搬出が、イギリス、フランス、ドイツ、アメリカなどの先進国との間で紛争を招き、また時には国内問題となっている。本章では国際社会の対応や、いくつかの事例について考えてみたい」。
韓国がことあるごとに歴史認識問題をとりあげ、日本を攻撃するのは、つぎのように日本によって奪われたものを取り戻すことによって、国家・民族としての誇りと帰属意識のよりどころを確たるものにしたいと思っているからである。1919年の「三・一独立運動によって危機に見舞われた植民地支配をたてなおすために、総督府は民衆のなかの朝鮮王朝の記憶を抹殺する政策をとった」。「しかし五百年以上つづいた朝鮮王朝の記憶、史蹟や歴史遺物は朝鮮半島の全域に存在し、人々の国や地域への誇りや帰属意識のよりどころになってきたことは否定できない」。「ソウルの宮殿だけをとっても、併合百年を記念する事業として二〇一〇年には、日本が破壊した慶煕宮(キヨンヒグン)の復元や、保護条約強制の現場である重明殿(チユンミヨンジヨン)の歴史博物館化などがおこなわれている。植民地支配の清算が基本的枠組みとなるが、具体的には歴史資料などの文化財は、その成立した環境・背景におくことによりその真価が理解できる」。
韓国の人びとが、日本にたいして問題としているのは、返還が順調におこなわれていないだけでなく、ほかの欧米帝国諸国と同じように、政治的に利用するために、「留保」していることである。たしかに、関係が悪化したときに返還すれば、効果的かもしれない。しかし、それでは根本的解決にならない。本書の帯にある通り、「国家間、民族間問題の未来を拓くカギとして」は、完全に清算したうえで、対等な立場に立って交流することが望ましい。もう先送りすることは、やめようではないか。
もうひとつ、韓国の人びとが「反日」を繰り返す理由は、このような歴史を日本人が教育していないことである。しかも、日本史を専門としている研究者が知らず、知っていても深刻に考えていないことである。それどころか、国家や世論をリードしなければならないはずの、大学がこの問題にかんしては足を引っ張っている。「学術調査の名のもとに貴重な文化財を略奪したり、国外にもちさる例は中国や朝鮮にかぎらず、同じ時代の中央アジア、南米、アフリカなどでもひろくおこなわれた。帝国主義の時代に世界に拡大した文化的コロニアリズムの産物であった」。そして、「二〇〇六年の国連総会は「文化財の原産国への復帰または返還」決議を採択した」。しかし、依然として「帝国主義国家」は「合法」的に取得したと主張したり、返還後の管理能力の問題をあげたりして、多くの「復帰または返還」に応じていない。これらの文化財は、もはや1国家や1民族の遺産ではない。人類の遺産であることを考えれば、原産国に戻し、とくに「略奪」した国家や研究者が中心となって管理していくべきものだ。大学は、その先頭に立つことによって、世界をリードする大学になる。