『蘭印戦跡紀行-インドネシアに「日本」を見に行く』内藤陽介(彩流社)
近年まで、新発売の切手を買いつづけていた。切手からいろいろ学んできたからである。日本の国立公園や国定公園、動植物、歴史(○○周年記念)、国際学会の存在まで、切手に教えてもらった。いま保っているもののほとんどは額面未満でしか売れず、投資としては失敗している。だが、切手から多くのものを学んだことを考えれば、けっして損をした投資ではなかった。
著者内藤陽介は、「切手などの郵便資料から、国家や地域のあり方を読み解く「郵便学」を提唱し、活発な研究・著作活動を続けている」。拙著『マンダラ国家から国民国家へ-東南アジア史のなかの第一次世界大戦』(人文書院、2012年)では、タイが第一次世界大戦の勝利を記念して、タイ語と英語で「勝利」を加刷した切手を教えてもらった(内藤陽介『タイ三都周郵記』彩流社、2007年)。
本書は、「パレンバン、バンダ・アチェ、ジョグジャカルタ、ボロブドゥール、アンペナンの5ヶ所を題材に、切手や郵便物、絵葉書などを絡めた歴史紀行としてまとめたものである」。「首都のジャカルタや日本人にも人気のバリ島」ではなく、これらの5ヶ所にしたのは、「できるだけ類書のない地域を選ぶという切手紀行シリーズの基本方針」に従ったためである。
「本書の旅では、日本占領時代の切手や郵便物、絵葉書などを入口として各地を歩いてみたが、結果的に、19世紀のオランダによる植民地化に対する抵抗や第2次大戦後のインドネシア独立戦争など、該当地域におけるさまざまな戦争の痕跡を辿ることになった。その意味では、タイトルの“戦跡”も、いわゆる太平洋戦争の時期にとどまらない、幅広いものとなった」。
切手や郵便物、絵はがきだけでなく、著者が撮った多くの写真があり、そこで生活している人びとの活き活きした表情も読者に伝えている。「国家や地域のあり方を読み解く」「郵便学」にふさわしく、時空を超えて、訪れた地域の社会と人を読み解いている。
だが、帯の「日本の兵隊さん、本当に良い仕事をしてくれたよ。彼女はしわくちゃの手で、給水塔の脚をペチャペチャ叩きながら、そんな風に説明してくれた」は、いただけない。本文には、「こういう話を聞くのは、日本人として単純にうれしい」とある。巻末にある「主要参考文献」でインドネシア研究者が書いたものを理解していれば、「単純にうれしい」とは書けなかっただろう。たしかに個々の事実を取りあげれば、「良い仕事」をした日本兵はいただろう。だが、インドネシアの教科書では、日本占領期は「激しく暗い嵐の時代」とか「暗黒の日々」として書かれている。日本が戦場とした「戦跡紀行」が、日本の良いところ探しであって、戦場とした国や地域の人びとのことを考えないのであれば、そこから教訓は得られないだろう。日本兵を、被災地に入った自衛隊と同じように、1967年生まれの著者は感じているのだろうか?
表紙には、インドネシア人の子どもを抱き上げている日本兵と子どもの母親とおぼしき女性がみな笑顔で描かれた、軍事郵便用の絵葉書が使われている。画の右下に、「2602 SASEO」とある。2602年は皇紀で、昭和17年のことである。絵葉書のキャプションは、「アジア万歳 小野佐世男筆 土民は皇軍を心から迎えた。空にはHIDOEP ASIA RAJA(アジア万歳)のアドバルーンが悠々と浮んでゐた空は涯しなくひろかつた。」(旧字は新字に改めた)とある。出版社の姿勢もみえてくる。