『紛争と国家形成-アフリカ・中東からの視角-』佐藤章編(アジア経済研究所)
本書は、「「国家形成」という視座のもとで、綿密な実証的記述という地域研究の方法論を最大限に活かしつつ、社会学、政治学、国際関係論などの理論研究と歴史研究の成果も取り入れながら、紛争という現象の持つ意義を国家との関係において具体的に解明することを試みている」。「まえがき」に書かれたこの文章は、本書を読み終えてからでないと理解できないだろう。そして、このような学際的視点をもってしても、個々の紛争を解決する糸口さえ見つからない、と途方に暮れるかもしれない。
この「まえがき」では、編者、佐藤章が考える2つの意義が、つぎのように述べられている。「第1に、重要な紛争事例に関する最新の情勢を盛り込みながら、単なる一国事例研究にとどまらず、理論的な知見を導き出そうとしている点である。アジア経済研究所が強みとする厚みのある記述に則る地域研究の手法と理論的な考察を融合したこのアプローチは、紛争研究に大きな寄与をなすことが期待される。第2に、海外の紛争研究で登場しはじめている「国家形成」という新しい視座を、日本でいち早く、具体的な事例研究とともに提示している点である。この視座は、実践的・規範的な関心に立つ従来の紛争研究の成果を継承しつつ、さらに発展させることが期待されるものであり、現代世界で頻発する紛争の理解を深め、解決に向けた方途を模索するのに寄与すると考えられる」。
本書で扱うレバノン、イラク、南アフリカ、ケニア、ソマリア、コートジボワールは、かつて欧米帝国主義国家の植民地であったり、介入を受けてきた国ぐにである。つまり、冷戦構造の崩壊とともに、これら帝国主義国家の影響力が薄れ、独自で国家運営をしなければならなくなった国ぐにである。国家はあるが、・・・。本書で「国家形成」に注目する理由は、同じく「まえがき」でつぎのように述べられている。「国家が形成されていくありようを、さまざまな領域に注目しながら、かつ歴史的な側面も加味してとらえる概念である「国家形成」は、従来は欧米諸国の歴史的形成過程に関して使われてきた政治学上の用語であるが、近年、これを紛争勃発後の国家の変容のあり方に適用しようとする動きが出てきている。そこには政策上の、ないし規範的な意味合いを強く持つ「国家建設」という概念を批判的に乗り越え、紛争勃発後の国家の動態をより広い視野でとらえようという狙いがある」。
その「国家形成という研究視点には大きく3つの特徴がある」という。「第1に、国家建設という視点では行政機構やガバナンスなどの側面に主たる焦点が絞られがちなのに対して、国家形成という視点は、社会や経済の側面も含めた、より包括的な領域を念頭に置きながら使われてきた。第2に、第1の点から論理的に導き出されることだが、国家形成は、国家建設という視点で語られてきた領域を包含する上位概念として位置づけられうる。このため、国家形成という研究視点を導入しても、国家建設という研究視点に立って進められてきた研究を排除する必要がない。第3は、国家建設が明示的に設定された目標、政策立案、履行という政策的プロジェクトのパラダイムに依拠しているのに対して、国家形成は、偶発的あるいは予想に反して起こった帰結をも重視する歴史的アプローチとの親和性が高い点である」。
一見近代国家の機構、行政的機能をもっているようにみえながら、それがまったく意味をなさないのは、国連など外部が介入したときに顕著になる。「第3章 イラク覚醒評議会と国家形成」では、つぎのように結論している。「本章で明らかにしたのは、紛争が激化した段階において、明確な治安管理政策を持たないまま行われた外部介入の遺産である。すなわち、暴力の一元的管理を進めるのか(略)、内在的秩序を維持するメカニズムを構築するのか(略)、という明示的な方針を欠いたままの外部介入が、紛争を逆に助長し、その後の国家形成により長期的な混乱をもたらしたのである」。
「第5章 機能する「崩壊国家」と国家形成の問題系」では、「崩壊国家」の現実がつぎのように語られている。「ヒト、モノ、カネが国境を越えて常に移動する現代世界では、領域統治を行う「政府」が不在であっても、それに代替する勢力が国際機関の人道(緊急)支援活動をも利用して紛争経済を担っていく形態が現象化しているだけではなく、その勢力がより複雑な紛争の図式を作りかえていくのである。まさにこの点に「崩壊国家」が「政府」不在のままでも機能している状況が映し出されているのである」。
ということは、「アフリカが「国際システム」とかかわった場合、「政府」だけがその主体ではないという事実によっている。つまり、「政府」を回避する、あるいは「政府」を代替する主体(たとえば、反政府組織、ゲリラ、NGOなど)が、とくに紛争地域では「政府」を直接には介さない「外交」「交易」活動を展開していることを念頭に」置かなければならないということである。これは、「ソマリアで生起していることは特殊事例というよりも、アフリカをはじめとした弱い国家や「脆弱国家」が存在していると考えられている地域でも現実に生起してきた国際関係のあり方との連続性を有していると見ることができる」。
さらに、踏み込んで考えると、「強い国家」にも同じような現象が現れているのではないか。国家が介入できない「内政」が、スコットランドの独立や沖縄の自治の問題にも現れているのではないか。国際関係論ではもはや理解できない問題が存在し、近代のディシプリンで理解できないものを考察しようと試みる地域研究でもどうにもならない現象が、いま起こっているのではないか。それが紛争の原因のひとつであるなら、近代的価値観をもって介入することは論外で、当事者同士で話し合う環境をつくることが第一歩になる。だが、そのためには話し合うことができる人材を育てることがまず必要で、その人材が代表となる民主主義的なしくみが必要となる。そして、そのしくみを理解できる義務教育も必要となる。本書を読むと、なにから手をつけていいかわからなくなってしまう。まずは、現状把握から、というのが本書だろう。