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『食べること考えること』藤原辰史(共和国)

食べること考えること

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 「読者の食欲を減退させることがここでの目的ではない。目的は違うところにある。食べものは、祈りにも似た物語がなければ美味しく食べられない、という事実を確認するためだ。わたしたちは「食べもの」という幻想を食べて生きている。ただ、やっかいなのは、幻想であるがゆえに物語が肥大化することだ」。著者、藤原辰史は、「食べものとは、叩いたり刻んだり炙ったりした生きものの死骸の塊なのである」と記した後、このように書いている。勘違いしてもらっては困るのは、本書はけっして美味しく食べるための「物語」を書いたものではない。しかし、なんとなく、食べるのが楽しみに、あるいは怖く、なる本である。


 冒頭から著者の子どものときの体験が語られている。本書のところどころに、著者が生まれ育ち、生活の場となった北海道、島根、京都、ドイツ、東京での体験から「食べること」を「考えていく」ストーリーが組み込まれている。身近な「食べること」が、自分だけの問題ではなく、家族、仲間、地域、時代、社会の問題として語られる。深刻な問題もあれば、つい微笑んでしまうとるに足らない著者のこだわりが語られることもある。


 本書は、この10年間ほどのあいだに、著者がいろいろなところで書いてきたものを1冊にまとめたものである。「フードコートで考える」「農をとりまく環境史」「台所の未来」の3つに分類されているが、便宜上のものにすぎない。読者は、目次をみて、気になるキーワードをみつけて読んでいけばいいだろう。たとえば、「未来のために公衆食堂とホコテンを!」を選び、公衆食堂でどのような美味しいものを食べさせてもらえるのか、と期待したらがっかりするかもしれないが、家事の近代化が世間の常識とは逆にお母さんを忙しくさせたことがわかったりする。『おっぱいとトラクター』なるタイトルの本も紹介されている。背筋が寒くなるような、「地球にやさしい戦車」や「稲作と水爆」というのもある。


 「考えること」を、著者はひとりでできたわけではない。「あとがき」でつぎのように述べている。「本書に収められた諸論考のほとんどは、「複製技術時代」に人びとが生きものを食べたり育てたりする行為が、どのような変化を遂げ、どのような可能性を持っているかについて、貧弱な脳細胞を酷使した記録である。一方で、さまざまな人との出会い、共に食べ、共に考えた記録でもある」。なにも考えずに食べることができる時代や社会はきそうにないので、考えずにいられない、というのが結論のようだ。


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