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『新興大国インドネシアの宗教市場と政治』見市建(NTT出版)

新興大国インドネシアの宗教市場と政治

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 「二〇一四年七月、大接戦の末、インドネシアに庶民出身の大統領が誕生した。混迷する中東や他のイスラームとは対照的に、宗教は社会に安定的に浸透している。民主化の進展とあいまって、インドネシアは二億五千万人の人口を背景に市場としてのポテンシャルも大きい。本書は、メディアを利用した宗教市場・政治市場の変化を跡づけながら、拡大する中間層の市場をとらえて当選したジョコウィ大統領誕生までを読み解く」と、表紙見返しにある。


 著者、見市建は、本書でまず明らかにしたい第一の問いを、つぎのように述べている。「インドネシアイスラームナショナリズム、政治の関係をどのように捉えればよいのだろうか。とりわけ、ナショナリズムと関連しながら、イスラームはどのように政治の舞台や「市場」で表現されてきたのだろうか」。「第二の問いは、民主化後に登場した新たな政治勢力や指導者がインドネシアの政治を変えうるのか、ということである」。そして、「以上の問いに答えるため、本書は政治と宗教の「市場」の分析-人々が何を基準にどのような政治的宗教的「商品」を選択しているのか-に注目する」。


 本書は、序章、全5章、終章からなる。「第一章 インドネシアにおける政治・宗教市場の基本構造とその変化」では、「インドネシアにおける政治と宗教の関係あるいはその「市場」の基本構造と歴史的な成り立ちを確認し、そうした構造にどのような変化が起こっているのかを明らかにする」。「第二章 イスラーム主義の市場」では、「一九八〇年代末から急速に発展したイスラーム出版市場から近年のソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)までのイスラームとメディアとの関係を通して、諸政治運動の展開と現在の位置づけを明らかにする」。「第三章 福祉正義党の台頭と限界-闘争から自己啓発へ」では、「民主化以降に新たに政治と宗教の市場を開拓した福祉正義党に注目し、その変遷、および「世直し」イデオロギーとしてのイスラーム主義の台頭とその限界の理由を、彼らの出版物の分析を通して明らかにする」。「第四章 新たな宗教市場と政治」では、「映画を中心としたメディア・コンテンツのイスラーム化と宗教行為の商品化、およびそれぞれと政治との関係について明らかにする」。「第五章 ジョコウィの台頭と政治・宗教市場」では、「ジョコウィの台頭を可能にした政治市場の変化に注目」し、「ジョコウィが中ジャワ州ソロの市長から、ジャカルタ州知事、そして大統領に上り詰めるまでの軌跡を辿り、その背景となった政治と宗教の市場の変化から、ジョコウィ新大統領誕生の理由を明らかに」する。


 そして、「終章」冒頭で、本書を通して明らかになったことを、つぎのようにまとめている。「拡大する中間層の市場がインドネシアの政治的宗教的な変化を牽引してきたということである。人口の過半を超えた中間層には上下にかなりの格差と宗教的政治的志向における一定の差異が認められる。しかしその中層が大きく拡大しつつあり、分裂よりもむしろ広い中間層を縦断する「地続き」の要素を数多く見いだすことができる」。


 その「格差は大きいが「地続き」の中間層が拡大し、「世俗」と「イスラーム」の境界が揺らいでいる。こうした特徴を持つ市場において、ナショナルな文脈で「標準化」されたイスラーム的商品が流通している、というのがインドネシアにおける政治と宗教の関係を理解するために本書が提示する基本的な見方である」。


 インドネシアと対照的に、選挙で政治的対立を収拾できないタイやエジプトなどとの違いを、著者はつぎのように説明したと、本書を結んでいる。「民主化後のインドネシア政治は、エリート支配の継続が強調されてきたが、政治と宗教の市場は流動化し、大きな変化が進行中である。「改革」を求める声は、グローバルな民主的価値観やイスラームの「標準化」を伴う改革思想と結びつきながら、新たな政治主体や指導者を誕生させている。本書が比較政治研究において貢献があるとすれば、宗教的文化的分裂を超えて拡大する中間層の市場に注目して、そうした変化を説明したことだろう」。


 昨今、イスラームといえば、2010-12年に民主化を要求した大規模な反政府運動アラブの春」や、2014年6月29日にカリフ制イスラーム国家の樹立を宣言したイスラーム国のイメージが強い。だが、イスラーム教徒が世界でもっとも多い国は、人口2億5000万弱の約9割を占めるインドネシアである。全世界のイスラーム人口16億の8分の1がインドネシア人ということになる。本書は、インドネシアイスラーム現代社会とどう結びついているか、アラブ世界とは違うイスラームの現代性を知るための好著である。イスラーム世界宗教で、さまざまな地域や民族によって信仰されていることを忘れてはならないだろう。

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