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『右傾化する日本政治』中野晃一(岩波新書)

右傾化する日本政治

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 本書のねらいは、「自由主義的な国際協調主義の高まりで幕を開けた新右派転換の動きが、いかにして偏狭な歴史修正主義を振りかざす寡頭支配へと帰着してしまったのか」、その政治プロセスを解き明かすことである。


 「序章 自由化の果てに」では、過去30年ほどのそのプロセスが、3つの特徴を帯びつつ展開したと、つぎのように説明している。「一つには、現代日本における右傾化は政治主導(より正確にいえば、政治エリート主導)であって、社会主導ではないということである」。「二つには、右傾化のプロセスは単線的に一気に成し遂げられたのではなく、寄せては返す波のように逆方向への限定的な揺り戻しを挟みながら、時間を掛けて進展したのである」。「三つには、こうした右傾化の本質は「新右派転換」と呼ぶべきものである。つまり、旧来の右派がそのまま強大化したのではなく、新しい右派へと変質していくなかで起きたものなのである」。


 そして、著者、中野晃一は、このような日本における新右派転換と右傾化は、世界的な動きとの連動のなかで理解する必要がある、という。また、日本の新右派連合は、「新自由主義ネオリベラリズム)」と「国家主義ナショナリズム)」の組み合わせによって形成されたという。だが、この両者は、「一方が自由主義の一種で、もう一方が反自由主義なのだとしたら、その連合はいかにして可能なのか。また一方がグローバル化を推進し、もう一方がナショナリズムを喚起することに矛盾はないのだろうか」と問い、その結節点を「相互に連関する三つの視角から解明できる」と、つぎのように説明している。


 「一つめは、理念的親和性である」。「新自由主義国家主義がともにその世界観の基盤とするのは、それぞれが自己利益や自己保全を追求するアクターの取引や闘争によって、誰が何を得るのか、誰が誰を支配するのかが決まる、またそうしかるべきである、という「リアリズム」である」。


 「二つめには、利害上の適合性ないしは一致である」。「新自由主義的改革の最大の受益者であり、それゆえに最も強力な推進者であるのは、グローバル企業エリートたちである。他方、国家主義アジェンダの進展により、その権力の掌握をさらに強固なものにするのは、いうまでもなく保守統治エリートたち、すなわち世襲政治家や高級官僚たちである」。


 「三つめは、政治的な補完性である」。「「自由経済」が既存のものではなく、社会の抵抗を排して新たに創出しなくては存在しないものである以上、それを可能とするために「強い国家」が要請されることは前に述べた。「世界で一番企業が活躍しやすい国(二〇一三年、第一八三回国会における安倍総理施政方針演説)というのは、まず保守統治エリートが権力を集中させたうえで「改革」を実行しなければできないのである」。


 「こうして共通の敵を有するグローバル企業エリートと保守統治エリートの間には、利害の合致だけでなく、階級利益を追求する権力闘争におけるダイナミックな相互補完性が見られる。ダイナミックというのは、新右派転換が一気に成し遂げられるのではなく、寄せては返す波のように相互が補完しあい連携を強める動的なプロセスのなかで、やがて貫徹されていくからである」。


 こうした動きが、日本国民の支持を得、国際的にも理解されるなら、その問いは時代や社会といった基層的なものへと向かうはずである。だが、本書には、そうではないことが書かれている。まず、自公連立与党が圧勝するからくりである。「民主党への支持がメルトダウンを起こし、多党乱立、低投票率となった結果、自民党は二〇一二年の政権復帰の際に二〇〇九年に惨敗・下野したときよりも二〇〇万票以上(比例代表制)減らしたにもかかわらず、小選挙区制の「マジック」によって議席数上での圧勝を得たのであった」。「実際のところ、棄権者も母数に入れた全有権者のうちどれだけの人が比例区自民党ないし自民党の候補者に入れたかを計算すると(絶対得票率)、二〇一二、二〇一三、二〇一四年の三回の国政選挙で一六%から一七・七%の間でほとんど動いておらず、これは森政権での二〇〇〇年衆議院選挙での一六・九%、小泉が民主党に後れをとった二〇〇四年参議院選挙の一六・四%」などとほとんど変わらない。


 もうひとつは、「官民挙げてのプロパガンダ」が、つぎのような国際摩擦を起こしていることである。「在京海外メディアや海外の日本研究者への圧力を強めはじめたが、アメリカの教科書会社マグローヒルと執筆者の歴史研究者らへの在米領事館スタッフによる働きかけが反発を招き、アメリカ歴史学会のそうそうたる会員の連名で「いかなる政府も歴史を検閲する権利はない」と批判する公開書簡が発表される事態にまで進展した」。「また二〇一〇年から五年間ドイツの保守高級紙フランクフルター・アルゲマイネの東京特派員であったジャーナリストが明らかにしたところによると、安倍政権の歴史修正主義に批判的な記事掲載後、在フランクフルト日本総領事が編集局を訪問し、記事が中国の「反日プロパガンダ」に使われたと苦情を述べたうえ「(中国から記者への)金が絡んでいると疑わざるを得ない」などと誹謗(ひぼう)中傷を繰り返したという」。「今やこうした事例は枚挙にいとまがない」。


 著者は、つぎのように憂いている。「日本における歴史修正主義の高まりは今や国際的な関心を集めており、復古的な国家主義傾向が日本だけのことではないにしても、靖国史観への共感や賛同が海外で得られる見通しは皆無であり、今後日本が孤立してしまう懸念材料となってきていることを否定するのは難しい」。


 さらに、3章からなる本書の「第3章 「自由」と「民主」の危機」を、つぎのことばで終えている。「新右派連合に対抗するどころか、抑制する政治勢力を欠き、立憲主義をはじめとした自由民主主義の根本ルールや制度さえ大きく歪められだしたという点で、日本政治の右傾化は国際比較の観点からも深刻である。日本がまだ戦争に直接参加していないのは事実だが、その準備は権威主義的な政治手法で憲法を壊すようにして進められており、ひとたび日本が戦争をするようになったとき、果たして自由民主主義国家としての体裁を保っていられるのか、強い疑念を抱かざるを得ない」。


 このような現状分析の下で、著者は、「終章 オルタナティブは可能か」で、「「リベラル左派連合」再生の条件」として、つぎの3つをあげて、展望を見出そうとしている。「第一の条件は、選挙制度の見直し、すなわち小選挙区制の廃止を中心とした選挙制度改革である。そもそも日本で小選挙区制を導入した経緯では、意図的に死票の多い制度をつくり、政党制の寡占化を「二大政党制化」の美名の下に進めようとしたわけで、それはいわばわざと寡占市場をつくっているわけであった」。「二つめは、リベラル勢力が新自由主義と訣別することである。企業主義や利己的な欲望や情念の追求を正当化するドグマに堕した新自由主義は、実は自由主義でも何でもないのであり、むしろ新自由主義改革がもたらした政治経済の寡頭支配は、暴力や貧困、格差など、こんにち個人の自由や尊厳を脅かす最大の要因となっている」。「第三の条件として、旧来型の同一性(アイデンティティ)に依拠した団結から、相互の他者性を受け入れてなお連帯を求めあうかたちへと、左派運動のあり方、言い換えれば集合文化(エトス)の転換を進めていかなくてはならない」。


 そして、つぎのことばで終えている。「新右派転換が時間をかけて壊してきた自由民主主義の諸制度を立て直すとともに、リベラル勢力が新自由主義ドグマと訣別し、左派勢力が自由化・多様化をいっそう進めることによって民衆的基盤を広げたとき、はじめてリベラル左派連合による反転攻勢が成果を挙げることになるだろう」。「道は険しく、時間は限られているが、負けられない闘いはすでに始まっている」。


 安全保障関連法案が成立したからといって、すぐに日本が戦争するわけではないだろう。すぐにすることになれば、それこそたいへんである。日本は、戦争にたいする準備が充分にできていないからである。だが、法案が成立したことで、法案に見あった準備をすることになる。準備ができたとき、戦争にいつでも参加できることになる。だからこそ、準備が整う前に廃止しなければならない。本書で指摘されたとおり、現選挙制度では、充分に民意が反映されない。重要法案は、より慎重に審議すべきだ。法案によって、人を殺すことを強いられるようになることだけは避けたい。

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