『ハーバード大学は「音楽」で人を育てる』菅野恵理子(アルテスパブリッシング)
「音楽とリベラル・アーツを考える」
アメリカには、ジュリアード音楽院のようなプロの演奏家を育成する教育機関とは別に、有名大学に音楽学科や音楽学校が存在している。本書(菅野恵理子著『ハーバード大学は「音楽」で人を育てる』(アルテスパブリッシング、2015年)のタイトルにもなっているハーバード大学にも音楽学科はあるが、しかし、本書はハーバード大学だけを取り扱っているのではない。本書の狙いは、アメリカの有名大学に音楽学科があるのはなぜか、その歴史をひもとくことよって、今世紀における「リベラル・アーツ」あるいは教養教育をどのように再構築していけばよいかについて何らかの示唆やヒントを引き出すことにあると言える。
ハーバード大学の音楽学科は1855年に設立されている(ちなみに、ジュリアード音楽院が設立されたのは1905年、20世紀に入ってからである)。ハーバードに倣って、その後、イエール大学、スタンフォード大学、カリフォルニア大学にも次々に音楽学科が新設されたが、いずれも人文学部・学群に属していたという(同書、060ページ)。大学直属の音楽学校が併設されているところもあるが、これは音楽院とは異なる。人文学部音楽学科を卒業すると「学士号(音楽)」、音楽学校の場合は「音楽学士号」がもらえるが、この二つはどう違うのか。簡単にいえば、「学士号(音楽)」が「リベラル・アーツの枠組みの中で音楽を学んだことを示す学位」を意味し、音楽関連科目の全体に占める割合は30~45%なのに対して、「音楽学士号」は全体の三分の二以上を音楽関連科目が占める学位である(同書、061ページ)。著者は、「学士号(音楽)」を、「いわば音楽を中心として幅広く教養を身につけたいという学位であり、とくにアメリカに特徴的だと思われる」(同書、062ページ)と述べているが、アメリカにそのような制度が根づくには相当の時間がかかったことにも留意すべきだろう。
ハーバードは、もともと、イングランド国教会主流派と対立し、アメリカに渡ったプロテスタント信者(カルヴァン派、清教徒)が設立した大学(設立は1636年、初めはハーバード・カレッジと呼ばれた)なので、授業内容は当初は神学校として古典教科が必修であった。だが、19世紀に入り、ヨーロッパ諸国で三年ほど学んだハーバードの若手教授(ジョージ・ティクナー)は、アメリカの教育がいかに遅れているかを痛感し、アメリカに帰国後、全学部のカリキュラムを改革する方向に動き始めた。とくに、ドイツ(ティクナーが学んだのはゲッティンゲン大学だが)では、宗教改革、啓蒙主義、科学振興といった近代化への一連の流れが音楽を新たな教養として教育するような制度をすでに生み出していたのである(同書、222-223ページ)。
ティクナーのカリキュラム再編成の試みは、残念ながら、古典教科の教授陣の反対運動に遭い頓挫してしまうのだが、やがて音楽の大衆化と社会の近代化の流れはアメリカをもティクナーが目指した方向へと促していく。ハーバードでは、チャールズ・ウィリアム・エリオット学長(1869年就任)のとき、カリキュラム自由化と大学院増設が断行された。もっとも、音楽学科は1855年にすでに設立されていたが、ジョン・ノウルズ・ペイン教授の尽力もあって、1893~94年には音楽を専門に学ぶ学生と、教養として学ぶ一般学生との二段階教育が始まり、現在の音楽学科の原型が出来上がったという(同書、235-237ページ)。
現在のアメリカの音楽教育は多様であり、大学と音楽院の提携プログラム、音楽院におけるリベラル・アーツ教育の拡充、大学と社会のダイナミックな関係性など、いろいろな特徴があるけれども、本書のよさは、「音楽を学ぶ」から「音楽で学ぶ」へとシフトしてきた事例を豊富に紹介していることだろう。著者は次のように言っている。
「“音楽を学ぶ”は、音楽そのものをいかに学ぶかという考え方である。いっぽう、“音楽で学ぶ”とは、音楽をとおして人間や世界をどう学ぶかという考え方である。従来主流だった前者に加え、後者の研究は21世紀という現代社会の中で音楽を見つめ直し、新しいフレームワークの中で再構築する試みである。それは音楽のもつ文化的資源をより幅広く生かす、ということにほかならない。音楽はそれだけ、社会に多様性や創造性をもたらすものとして期待されているのだ。」(同書、253-254ページ)
ただ一カ所、ベルリン大学の説明にウィキペディアからの引用があるのだが(同書、222ページ)、学術書ではないとはいえ、啓蒙書でもちゃんとした参考書を使うべきであったと思う。著者が見落としたとしても、編集サイドが気づかなかったのは残念である。とはいえ、「音楽」と「リベラル・アーツ」に関心のある読者には興味深い情報が満載の好著である。