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『生命徴候あり』久間十義(朝日新聞出版)

生命徴候あり

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「医者の良心とは?」

 久間十義の作品には、『マネーゲーム』、『聖マリア・らぷそでぃ』等、実際に起こった事件を基にしたものが多い。その意味においては社会派の小説と呼べるのかもしれない。だが、作品をカテゴリー分けすることにそれほど意味は無い。モデルがあったにしても、そこに表れるのは作者の個性であるし、そうでなくてはいけない。三島由紀夫の『金閣寺』を見ても、それが良く分かる。

 久間の初期の作品には、世間を賑わせた事件の当事者を、作者なりの視点で捉えなおしたという興味深い一面があるが、その人物が『金閣寺』の溝口のように、奇妙な現実感を持って立ち上がってくるほどの存在感は感じられなかった。しかし、『生命徴候(バイタルサイン)あり』の主人公である耀子には、一人の人間としての統一感と存在感が見られる。それは社会的題材を扱いながらも、単に大学の医局と大学病院の不透明さと不健全さを告発するのみに終わっていないからだろう。

 綿密な取材の基に描かれる数多くの手術シーンは、迫力に満ちている。また、ライブドア事件を思わせる、主人公のパートナーであるミッキーの半生は、ITがすっかり身近になってしまった我々にとって興味深い。年代の記述と共に描写されるこれらの場面は、読者に妙な既視感を与え、独特の臨場感に溢れている。だが、それだけならば、日常的にテレビで流れる興味本位のドラマに過ぎない。

 この作品を心地良くしているのは、登場人物の優しさだ。ミッキーも優しい。既に亡くなっている耀子の両親も、祖母も、また途中で亡くなる祖父も、生死の境をさまよう一人息子の譲も優しい。絶望に陥る耀子の夢に現れて彼女を励ますこれらの人々は、まるで吉本ばななの作品に表れる不思議現象のようだが、とにかく優しい。そして、何よりも主人公は患者に優しいのである。

 IT、M&AIPO等、非人間的な世界が数多く登場し、医局の権力争いも含めてそれらに翻弄される耀子だが、彼女は死者とミッキーの優しさに救われる。そして、自己の生きる意味を教えられる。グローバリゼーションやIT革命によって、否応無しに人間離れした世界に巻き込まれている私たちにとって、最後の砦は人間としての優しさであり、一人一人が自分の生きる意味を捉える事であろう。それをこの作品は伝えてくれる。

 久間は北海道出身なので、北海道の描写には「慣れ」以上の思い入れが感じられる。もっともそれは、私自身が北海道出身で、久間と同時期に同じ高校で3年間過ごしたせいもあるのかもしれない。その高校時代、人の生きる意味や、社会の役割、芸術の役割等夢中になって話し合った時期が誰にでもあるだろう。私も時々自己の生きる意味を考える時に、その時代に思いを馳せるが、もしかしたら作者の執筆動機にもそんな時代が影響しているのかもしれない。


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