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『切除されて』キャディ(ヴィレッジブックス)

切除されて

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「目を背けてはいけない事実」

 読もうと思って買ってきても、何となく手を付けられないで机の隅でほこりをかぶっている本が、誰にでも一冊や二冊はあるだろう。私にとって、キャディの『切除されて』はそんな一冊だった。忘れていたわけではない。恐ろしかったのだ。心構え無しに読めないと考えていたのだ。「女子割礼」と言えば、何だか遠い国の不思議な宗教的習慣のような感じがする。しかし「女子性器切除」と書くとどうだろうか。その痛みを想像しただけでも、気が遠くなる。

 キャディは7歳の時に切除を受け、13歳で結婚させられた。切除の場面の描写は、経験者にしか表現できない臨場感に満ちている。男子ならば宦官になるための儀式に似ているのだろうか。それでも、「引っ張りながら、コブウシの肉でもそぎ落とすように切ろうとする。が、一回では切れず、のこぎりのように何度も引く。」のように酷くはないだろうと想像してしまう。

 普通の傷ならば、時と共に肉体的にも精神的にも回復するが、この傷は回復しない。施術時に感染症にかかったり大量出血で死んだりする可能性があり、大人になってからは分娩時に異常出血で死に至ることもある。出口がふさがれていたり、かたくなったりしているために赤ん坊が死ぬこともある。排泄時の痛み、性交時の苦しみと、生きている限り永遠に身体と精神を蝕む傷となる。

 このような因習がなぜ続いているのか。「妻を自分以外の種付けのオスに近づけないため」「敵の部族に妻を強姦させないため」「出産時に赤ん坊が悪魔のようなクリトリスに触れると、その赤ん坊は死んでしまう」等理不尽な説がたくさんある。しかしキャディは断言する。「男たちはただ、自分たちの権力を確かなものにしたいだけ。男たちによる絶対支配、それこそが唯一の、本当の理由なのだ。」

 彼女の結婚生活を見ていくと、この意見は強い説得力を持っている。セネガルでも結婚は15歳以上でないと認められないのに、賄賂により13歳の結婚が承認される。夫はフランスに住んでいるため、キャディもパリに行くことになる。すぐに妊娠し、家庭内強姦のような生活の中、4人の子を産む。何とか彼女が社会に出て行こうとすると、夫の友人や親戚たちの男性コミュニティーが、妻は夫の命令に服しなくてはいけないと、説得する。

 二番目の妻がアフリカからやってきて、夫の暴力はますます酷くなる。妻を持つ目的は「毎年のように子どもを作り、少しでも多くの家族手当を受けること。」確かにフランスの家族手当は進んでいて、多くの子どもがいると、一定の期間は働かなくても生活できるほどである。キャディは自分の子どものための家族手当が、夫と新しい妻のために使われているのが納得できない。周到な準備をして、暴力と讒言に耐えながら最後に離婚を勝ち取る。

 現在でも200万人の女性が「切除」されているという。目を背けることのできない事実である。無知により責任が免除される場合もあるが、時として、知らない事は罪にもなり得る。キャディの苦しみと努力を無駄にしないためにも、一人でも多くの人がこの事実を知り、一日でも早くこういった因習がなくなるように努力することこそ、真のグローバリゼーションに繋がるのではないだろうか。


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