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『おそめ』石井妙子(新潮文庫)

おそめ

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「伝説の銀座マダムの新たな伝説」

 「伝説の○○」という言葉はよく見かける。しかし、石井妙子の著した『伝説の銀座マダム おそめ』の、おそめほど「伝説」にふさわしい人はいないのではないか。そもそも「伝説」は噂によって形作られるものであり、そのもの自身の姿を正しく現しているかどうかは定かではない。おそめも「空飛ぶマダム」としてメディアに登場し、川口松太郎の『夜の蝶』が大ヒットし、伝説が生まれていく。

 だが作者は伝説を描こうとしたのではない。むしろ、伝説の「おそめ」と生身の「上羽秀(うえば ひで)」との違いを知り、それでも二者に共通する一人の女性の姿を描きたかったのではないだろうか。そして、それはとりもなおさず、新たな「おそめ伝説」の始まりのようにも見える。

 最初に十数葉の写真がある。川端康成、里見弴、小津安二郎大佛次郎白州次郎吉井勇丹羽文雄等々と秀が一緒に移っている。秀の店「おそめ」には、政財界、官界、文士を問わず、当時一流の人たちが集まっていたらしい。というより、秀の店に来られることで一流とみなされたといった方が良いほどだ。

 京都の裕福な石炭問屋の娘として生まれながらも、母の出奔に伴い家を出て、芸妓になり、旦那と別れてからバー「おそめ」を開き成功し、銀座に出店し東京と京都を毎週飛行機で行き来する。妻子のある男性と内縁関係になり、彼の家族や親族を養い、最後まで尽くす。それだけを見ると、少々変わった形のサクセス・ストーリーとも言える。しかし、石井妙子が何年もかけて追いかけざるを得なかった秀の姿は、このような記述の中にはない。

 秀の真骨頂は、人生に対する一途さにあるのではないか。どれほど事業で成功し有名になろうとも、自分の身を派手に飾らない。常に男を立てて、才女ぶった言動は一切ない。買い物をしてもお釣りをもらうことはない。千円の買い物に一万円を払って、お釣りをもらわなかったという。検札に回ってくる新幹線の車掌にも一万円を渡し、「車掌が通るたびにそれを繰り返し」た。タクシーを頼むと、誰が行くかで営業所中がもめたほど、チップをはずむ。

 おごりでも見栄でもない。金銭感覚に疎いのではなく、金銭そのものに対する考え方が違うのだ。お金は流れているもので、水商売のものがそれを止めてはいけない。「だから手元に置いといたらあかんのや。お金いうものは。すぐに流してやらんと。流してあげたら、また流れ得てくるのやから。」もちろん秀がこのように生きられるためには、恵まれた環境が必要だろう。しかし、金持ちの多くが秀のように生きているとはとうてい言えないだろう。どこか『桜の園』のラネーフスカヤを思わせる人なのだ。

 厳しく激しい夜の世界に生きながらも、内縁の夫俊藤浩磁に徹底的に尽くす。一世を風靡した一流の常連達も、年を取り老いていく。彼らを見捨て、新しい若い客を開発するのが、夜の世界に生きる女の処世術だが、秀は老兵に最後まで優しい。酒に強かったせいもあるだろうが、別のテーブルに移る時でも、決してグラスの酒を残していかない。色白で美しく、歩く人たちが振り返ったという姿を持ちながらも、秀の精神は頑固で融通の利かない名職人のそれに似ている。

 仕事としてではなく、本当にバーにいる時が楽しかった秀。幼い時に、大きくなったら何になりたいと聞かれて、女優か舞妓になりたいと答えた秀。着物をほめられて、その場で脱いで相手に着せてしまった秀。何が起こっても「さだめ」と潔かった秀。こんな秀=おそめの現役時代を一目で良いから見てみたかったと思わない人はいないだろう。そう思わせるのも、石井妙子の作り出した、新たな伝説の力なのか。


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