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『小児がんを生きる――親が子どもの病いを生きる経験の軌跡―― 』鷹田佳典(ゆみる出版)

小児がんを生きる――親が子どもの病いを生きる経験の軌跡――

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「病いの語りへの実直な応答」

今回は、最近出版された、小児がんをもつ子供の親に関する研究をご紹介します。この本は、著者の鷹田さんが、2009年度に提出した博士論文(法政大学大学院)を、内容的にわかりやすい筋道になるようまとめ直したものです。小児がん患者家族による「親の会」メンバーなどにインタヴューを行なって、そこで語られたことをデータとして、親たちが経験するプロセスを詳細に記述し明らかにする、という内容になっています。これは、医療社会学で1970年代以降に興隆する「慢性の病い(chronic illness)」研究においては定番の研究方法(細かくみればいろいろとバリエーション・流派があるのですが)であり、手堅い方法選択とテーマ設定がなされているといえます。

構成としては、まず第1章で、小児がんの疾患としての特徴を挙げ、調査の概要と問題関心を説明しています。また、それとあわせて、小児がんをもつ子供本人ではなく家族(親)にスポットをあてる意義も論じられています。第2章以降は、親たちの経験を時間的な推移に沿って、親が子供の症状に気づいてから小児がんと診断されるまでの前診断期(第2章)、治療期(第3~4章)、ひとまず治療が終了した後の生活にあたる寛解期(第5章)、そして最後に子供が亡くなった場合の死別期(第6章)、という順序で構成されています。それぞれの時期において、親たちはどのような困難や課題に直面し、またそれに対してどのような反応を行なうかが、インタヴューからのデータをもとに分厚く記述されています。

基本的な特徴といえるのが、特定の時期に偏らず(著者によれば従来の研究は治療期と死別期を扱ったものが多い)、まさに親たちの経験のプロセスを見通すような構成のもとで、多様な困難や課題が解説されている点です。著者自身、調査を始めて間もないころは「小児がんという病気についてほとんど知識がなかったこともあり、治療が無事に終わりさえすれば患児も親も病気から解放され、以前の(幸せな)生活を、(すぐにではないにしても)徐々に取り戻していくのだろうという漠然とした思いを抱いていた」といいます(本書41ページ)。確かに、社会に流通する物語(テレビドラマや、映画など)をみても、闘病生活あるいは死にスポットがあたりすぎるきらいがあり、そのような人と家族が「寛解期」にどんなことを体験しているのかという部分はなかなか想像しづらいように思われます。しかし、そのような寛解期においても、再発に関する不安や、家族関係の再編成、結婚に対する不安、再発した場合のショックや告知の問題、等々課題あるいは困難が存していることを、この本はひとつひとつ示してくれます。

これは著者に確かめたわけではない私の印象なのですが、この本の記述の詳細さからは、インタヴューで話してもらったことは、たとえ細かいことでも無駄にしたくない、という著者の何か意志のようなこだわりを感じます。細かいこともトピックとして扱われているところもそうなのですが、それだけでなく、インタヴューから得られたデータの挙げ方(引用とその後の記述の処理の仕方)にも現れているように思えるのです。通常、インタヴューの録音を逐語的に文字に起こすと、私たちの話す言葉はしばしば文法的に破綻しており、また挿入的な音声(「あー」「まー」「だー」など)に彩られています。そのままでは読み難いし、話している本人も文章的に話しているつもりになっているものなので、挿入的な音声をとってあげたり、省略されたと思われる言葉を補ったり、ときには文法的に整形してあげたりするのですが(ただし研究のテーマや方法によっては、これらの処理をすべきでないものもあります)、どの程度そうした処理を行なうのかで、書き手による若干の違いがでてきます。この本の場合、引用文は文法的に破綻したものや、箇所によっては挿入的な音声も残されています。そして、読みにくさを補うために、引用の直後には、著者自身による語りの内容に関する懇切丁寧な説明が付きます。そこに、語られた言葉をなるべくいじらずに、そのニュアンスとともに伝えたい、というこだわりが感じられるのです。もちろん、このような引用の仕方が一律に理想的だというわけではありませんが、インタヴューで語ってもらった言葉を非常に重く受け止める研究者の実直さが表れているといえるかもしれません。

ただ、その代償というべきでしょうか、本の分量としては多めで、気の短い読者にとってはテンポが遅いように感じられる(「要するに何なのよ!」)かもしれません。しかし、本の全部でなくともよいから一部分だけでも、引用されている声にも耳を傾けながら小一時間も読んでいれば、いつの間にか、親たちが経験する世界が目の前に広がっているような感覚になるかもしれません。そのとき読者は、ふだんなかなか出会うことのない「小児がんを生きる」ことに、まさにこの本を通してアクセスしていることになるのではないでしょうか。


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