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『ユダの福音書を追え』 ハーバート・クロスニー(日経ナショナル・ジオグラフィック社)

ユダの福音書を追え

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 死海文書やナグ・ハマディ文書の発見に匹敵するといわれる『ユダの福音書』の発見の経緯を描いたドキュメンタリーである。著者のクロスニーはTVジャーナリストだが、本書も文書の数奇な運命を追いながら文書の歴史的背景と意義をおりこんでいくというTVのドキュメンタリー番組のような構成になっている。

 『ユダの福音書』はグノーシス派の文献として名前は知られていたが、四世紀には失われたと考えられてきた。それが千七百年ぶりに出てきたのである。本書には発見から修復完了までの30年間の歴史が書かれているが、悲鳴をあげそうになる箇所がいくつもある。裏切者ユダを主人公としているだけにこの文書には不運と裏切りがつきまっとっているのだ。

 『ユダの福音書』を含むパピルス写本がナイル河中流域で発見されたの1970年代後半だったらしい。その後、古美術商どうしの諍いから盗難にあいエジプトから秘かに持ちだされた。

 古美術商間の手打ちがすんだ結果、パピルス写本は最初の所有者のエジプト人古美術商の手にもどる。彼は欧米で買い手を探すが、内容がわからなかったにもかかわらず300万ドルという桁外れの金額をふっかけた。文書は売れず、16年間アメリカの貸し金庫の中で劣化しながら死蔵されることになる。

 文書を貸し金庫の中から救いだしたのはフリーダ・ヌスバーガー=チャコスというギリシャ系の古美術商だった。彼女は30万ドル前後で購入し、買い手候補のエール大学のバイネッキ図書館に寄託して詳しい調査を依頼したところ、『ユダの福音書』が含まれていたと判明する。エール大学は文書が本物だという確信をもっていたが、不法にアメリカに持ちこまれた疑いがあったために購入を見送ってしまう。

 資金繰りに困ったチャコスはブルース・フェリーニという稀覯書ディーラーに250万ドルで転売するが、これがとんでもない食わせ者だった。フェルリーニは日本企業を巻きこみ、東京の印刷博物館で展示公開した後、文書の複製版と翻訳を出版しようともくろむが、後援者との間にトラブルが生じ計画は空中分解してしまう。

 結局チャコスに代金が払えなくなり、パピルス文書は彼女に返却することになるが、フェリーニは文書に致命的なダメージをあたえてしまう。パピルスに絶対にやってはいけない凍結保存を試みてボロボロにした上に、文書の状態をよりよく見せかけるためにページの順番をいれかえていたのだ。しかもチャコスに返却するする際には一部のページを抜きとり、勝手に売却していた。

 ナグ・ハマディ文書は早い段階でエジプト当局に押収されたのでそれ以上の劣化をまぬがれたが、『ユダの福音書』を含む写本は良好な状態で発見されたにもかかわらず、間にはいった古美術商たちの無知と強欲のために、四半世紀の間劣化しつづけた。チャコスがとりもどした時にはボロボロに崩れる寸前だった。

 チャコスは修復の費用をまかなう余裕がなかったので、フェリーニとの交渉に尽力してくれたロバーティ弁護士の設立したマエケナス古美術財団に将来エジプト政府に文書を返還するという条件で寄贈した。『ユダの福音書』を含むパピルス写本は、彼女に敬意を払って「チャコス写本」と呼ばれることになった。

 マエケナス古美術財団はコプト学の権威でナグ・ハマディ文書にもかかわったロドルフ・カッセルに修復と出版をゆだねた。カッセルのチームは修復にとりかかった。パピルスの破片をジグソーパズルのように組みあわせる作業をつづけ、5年かかって文書を判読可能な状態にした。この事業には本書の版元であるナショナル・ジオグラフィック財団が資金援助をしているということである。

 『ユダの福音書』にふさわしく本書には裏切り者が何人も登場する。フェリーニについてはすでに紹介したが、オランダ人で古美術業界のスキャンダルを売物にしたArtnewsというニュースサイトを運営しているファン・レインもなかなかのものだ(彼の視点から見た『ユダの福音書』騒動の顛末はこちらのページで読むことができる)。

 文書の修復が完了し公開される時期にあわせたかのように『ダ・ヴィンチ・コード』が世界的なベストセラーになり、映画が公開されるというのもなにかのめぐりあわせかもしれない。『ダ・ヴィンチ・コード』はイエスとマグダらのマリアが結婚していて娘までいたというスキャンダラスな内容だが、この余波でグノーシス関係の専門書が書店の目立つ場所にならぶという珍事態が生まれている。

 『ユダの福音書』は世紀の発見とはいっても、あくまで聖書学やグノーシス主義というマイナーな分野の発見である。もし盗難前にエジプト政府が押収し、1980年に公開していたら、あるいは2001年にフェリーニが東京で公開していたら、本書が日本の書店で平積みになるようなことはなかったろう。宿命というものはやはりあるのかもしれない。

 なお、本書中には『ユダの福音書』は紹介されているにとどまるので、本文を読みたい人は同じ版元から出ている『原典 ユダの福音書』を買う必要がある。

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