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『クマムシ?!』 鈴木忠 (岩波科学ライブラリー)、『クマムシを飼うには』 鈴木忠&森山和道 (地人書館)

クマムシ?!


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クマムシを飼うには


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 『クマムシ?!』は出た時から読むつもりだったが、雑事にとりまぎれて放っておいた。目次にアノマロカリスの名前が出ていたのを思い出して、この機会に読んでみた。

 クマムシは1mmにも満たない小さな原生動物で、最大2mもあるアノマロカリスとは縁遠いように思えるが、クマムシ=緩歩動物を有爪動物などとともに汎節足動物という大分類にまとめる説があり、アノマロカリスも仲間になる可能性があるらしい。

 節足動物はミミズのような環形動物から進化したと考えられているが、環形動物から節足動物にいたる過程で試行錯誤した名残が汎節足動物ということになるだろう。ちなみに、アノマロカリスとの関係が有力視されているハルキゲニアは有爪動物で確定のようだ。

 近いといっても、門のレベルの近さであるから、人間と魚よりも離れているわけだが、分類学上、謎とされてきた生物のつながりがうっすらとでも見えてきたという状況はわくわくする。

 さて、クマムシである。クマムシは近縁の生物が現存しないので、単独で緩歩動物門 tardigrada という独立の門に分類されているが、tardigradaとはのろまという意味のラテン語で、このサイズの動物としては動きが非常にゆっくりしているのだそうである。こちらの映像を見るとちょこまか動いているように見えるが、似たような大きさのワムシや線虫と較べるとのろいというわけだ。

 『クマムシ?!』の著者の鈴木忠氏は大学キャンパスで採取した苔をシャーレで水に浸し、中に棲んでいる動物を調べたところ、二種類のクマムシを発見した。二ヶ月後、シャーレを見てみると、クマムシがまだ生きていたので、飼うことにしたという。

 放置しているだけでは飼っている実感がないので(!)餌をやることにしたが、文献に線虫を食べるとあったので線虫をあたえたが、クマムシは逃げまわり、食べるどころではない。結局、ワムシがいいとわかり、ワムシの飼育からはじめる。このなし崩しの展開はクマムシ的である。適度に湿った環境を維持するために、シャーレに寒天をコーティングする工夫をするなど、実に楽しそうである。

 ワムシをあたえるとクマムシはぱくぱく食べて、どんどん成長する。ある程度まで成長すると脱皮をする。4回目以降は脱皮と同時に産卵する。産卵といっても、体外に卵を産むのではない。脱皮した抜殻の中に卵を残してくるのだ。抜殻を卵の保護に利用するとはうまいやり方だ。

 クマムシといえば乾眠だが、乾眠するのは陸上種だけで、海に棲むクマムシのはその能力がない。陸上といっても、苔などにへばりつているのだが、ちょっとしたことで干からびてしまう。クマムシはゆっくり干からびると、樽のように体を丸めて乾眠状態に入る。乾眠状態になると、他の生物が耐えられないような放射線や高音、低温にも耐えられるようになる。クマムシ不死身伝説である。

 伝説の多くは本当だが、乾燥が急速に進むと乾眠に入れずに死んでしまう。

 乾眠状態なら二百年大丈夫という説もあったが、実際は最長で九年だそうである。二百年説は、ある研究者が二百年前に採取された苔の標本を水につけたところ、クマムシがふやける際、生きているかのように動いたと書き残したところから生まれたようだ。水でふやけただけで、生き返って動きだしたわけではなかったのだ。

 本書には多数の図版がおさめられているが、クマムシの研究者でも見たことのない、知る人ぞ知る貴重なものだという。それがわかったのは『クマムシを飼うには』を読んだからだ。

 『クマムシを飼うには』はサイエンスライター森山和道氏による鈴木氏のロング・インタビューで、もとは有料のメールマガジンに掲載されたものである。長さの制約がないので未編集で載せているということだが、どこに話が転がっていくかわからないスリルがある。

 題名は「飼うには」となっているが、飼い方のハウツーが書いてあるわけではない(飼い方は『クマムシ?!』の方に詳しい)。前半は『クマムシ?!』で語り残したクマムシ関連の話題だが、後半、鈴木氏の研究歴やデンマーク留学の話に広がっていく。科研費のおりにくい不要不急の研究をやっているだけに、切実な話もまじる。同じ不要不急の分野でも、天文学は業界をあげてPRしているのでお金が出るなどというやっかみめいた感想も出てくる。

 著者はデンマークではラインハルト・クリステンセンのもとでクマムシを研究したということだが、図書館と博物館が日本では考えられないくらい充実している。『クマムシ?!』にはいっている貴重な図版も司書に頼んだだけで出てきたそうだ。そんな司書は日本にはなかなかいないし、第一、資料そのものが残っていないだろう。

 日本でも資料を集めていないわけではない。しかし、いくら集めても、保存する文化がないので、教授が代替わりすると廃棄されるのが普通だそうである(ありそうな話だ)。

 デンマークでも最近は基礎研究の予算が削られているそうだが、50年ぶりにビーグル号のように世界を一周する調査船を送りだしたというから、較べるのも恥ずかしくなる。科学研究の伝統の差だが、その背景には科学を支える市民社会の差があるだろう。Scientific Americanの日本版が「サイエンス」として出ているが、発行部数に十倍の差があるそうである。人口比から考えると、日本版は今の三倍売れていてもおかしくないが、それだけ科学に対する興味を大人が失っているわけだ。子供の理系離れが危機感をもって受けとめられているが、子供の前にまず大人が科学に対する関心を失っているのである。

 はじまりはクマムシだったが、考えさせられるところの多い対談であった。『クマムシ?!』ともどもお勧めである。

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