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『不思議のひと触れ』 シオドア・スタージョン (河出書房新社)

不思議のひと触れ

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 大森望氏編纂による日本オリジナル短編集で十編をおさめる。早川書房から邦訳の出ていた『奇妙な触れ合い』の新訳かと思ったが、重なっているのは二編だけだ。本邦初訳は三編、単行本初収録が二編で、半分は定評のある作品の新訳だった。

 「高額保険」はスタージョンの処女作だそうである。四頁のショートショートだが、純然たるミステリだ。読者をどう引っかけるかだけがポイントの作品だが、誰しも引っかかってよかったと思うだろう。

 「もう一人のシーリア」はSF怪談の傑作で、『奇妙な触れ合い』にはいっている他、いろいろな形で紹介されている。誰か落語に仕立てないか。

 「影よ、影よ、影の国」は以前、SFマガジンに載ったホラーで、懐かしかった。

 「裏庭の神様」はミダス王ものの佳作だが、かかあ天下の夫婦にひねくれた神様をからませたことでダークな笑いが生まれている。

 「不思議のひと触れ」は「奇妙な触れ合い」の新訳である。人魚の仲介するボーイ・ミーツ・ガールで、読後感が爽やかだ。この作品の strange は「奇妙」と訳すより「不思議」の方があっている。

 「ぶわん・ばっ!」はジャズ小説だが、一種の芸道ものといえる。わたしはジャズはまったくわからないが、この作品を読んで「信じられないような上昇グリッサンド」や頭の「蓋が吹っ飛んだ」瞬間がわかるような気がした。つまり、傑作ということである。

 「タンディの物語」は子供と異星人が接触する話だが、異星人に形がないのが味噌だ。形がないのに「ET」以上に異星人の存在を感じさせる。続篇が読みたかった。

 「閉所愛好症」は内向的でヲタクな兄と、外向的でマッチョな弟の話。弟は『トイ・ストーリー』のバズ・ライトイヤーそのままのマッチョな宇宙飛行士だが、結末で価値転換がおこなわれる。マッチョ嫌いのスタージョンらしい作品だ。

 「雷と薔薇」はわたしにとって思い出の深い作品だ。はじめて読んだスタージョンがこれだったのである(『SFマガジン傑作選NO.3』にはいっていた小笠原豊樹訳「雷鳴と薔薇」)。原爆症でヒロインの肌から血がにじみ出し、ハンカチでぬぐってもぬぐっても出血が止まらず、「氷を拭いているようだ」というメタファーが脳裏に焼きついている。

 核戦争後の世界を描いた短編で、人類以外の生物にチャンスをあたえるために人知れぬ活動をつづける人々を描くが、30年ぶりに読んでがっかりした。これだけの話だったのか。

 「孤独の円盤」は『一角獣・多角獣』にはいっていた傑作の白石朗による新訳。筒井康隆の「おれに関する噂」と類似のテーマだが、スタージョンが書くとこんなに情感あふれた話になる。小笠原豊樹訳と比較しておこう。まず、小笠原訳。

 わたしは蹴とばすように靴をぬぎ、砕ける波のなかへ走った。大声で叫びながら、ひらめく白いものをつかんだが、それは指に冷たさを残すただの海水だった。わたしは女のすぐ右側に跳びこんだらしい。波に顔を叩かれて、わたしたち二人がころがった拍子に、女の体がわたしの横腹にぶつかった。目をあけると、緑色がかった白い月のようなねじれたものが、わたしの目の前を通りすぎた。と、わたしの足に吸いこむような砂の表面が触れ、わたしの手が女の髪にひっかかった。

 次に白石訳である。

 ぼくは靴を脱ぎ捨てて、みぎわに駆けよった。大声で叫びながら周囲を手でさぐり、ちらりとのぞいた白いものをつかんだが、指がふれたとたん、それは冷たく塩からい海の水に変わった。どうやらぼくは、女の横を飛びすぎてしまったらしい。女の体がぼくの体に真横にぶつかってきて、同時に波がぼくの顔を叩き、ぼくたちふたりの体を転がした。固く感じられる水のなかであえぎ、水面の下で目をひらくと、波に突き転がされるあいまに、薄緑色の歪んだ月が視界を猛烈な速さで横切っていった。つづいて、吸いこむ力をもつ砂を足がふたたびとらえ、右手が女の髪ともつれあった。

 小笠原訳では主人公は姿勢をかろうじてたもち、その目の前をヒロインが波にさらわれていき、「緑色がかった白い月」のように見えたとなっているが、白石訳では主人公はヒロインとともに波にさらわれて転がり、「薄緑色の歪んだ月」が視界を横切ったとなっている。「月」がヒロインの裸身の比喩的表現なのか、文字通りの月なのか、微妙なところである。ヒロインの髪をつかんだ時、主人公の足が砂にめりこんだとすると彼は姿勢をたもっていたことになり、小笠原訳の解釈の方が適切ということになる。原文を見ていないので、結論は出せないが。

 本書はスタージョンのイノセントな面を代表する作品を選んでいるので、鬼畜系のファンにはもの足りないかもしれない。鬼畜を自認する人は『輝く断片』をお勧めする。

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