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『偶然性・アイロニー・連帯』 ローティ (岩波書店)

偶然性・アイロニー・連帯

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 ネオプラグマティズムの提唱者として知られるリチャード・ローティの文学・思想論である。

 ローティが注目すべき思想家であることは堀川哲氏の『エピソードで読む西洋哲学史』で教えられたが、本書を手にとったのはローティに対する関心からではなく、本書におさめられている「カスビームの床屋」というナボコフ論が若島正氏の『ロリータ、ロリータ、ロリータ』で絶賛されていたからである。

 最初は「カスビームの床屋」だけ読もうと思ったが、そうはいかなかった。本書に再録するにあたって相当手がくわえられたらしく、もはや独立の論文ではなく『偶然性・アイロニー・連帯』という本の切り離せない一部となっていたからだ。

 ローティの語彙体系で語られているので、はじめての読者としては戸惑うことが多かったが、わたしなりに要約すれば本書でローティが問題にしているのは文学が何の役に立つのかという古くて泥臭い問いである。

 サルトルはかつてアフリカの飢えて死ぬ子供の前では文学は無力だと大見えを切って反発をかったが、ローティ的に考えると、サルトル側もサルトルに反発した側もともに私的なものと公共的なものを混同するという誤りをおかしている。

 ローティによれ私的なものと公共的なものは通約不可能であり、峻別されなければならない。サルトルの誤りはアフリカの飢えて死ぬ子供への連帯という公共的なもので文学という私的なものを否定しようとしたことにある。

 だが、それは社会に背を向けた芸術芸術主義的な態度を肯定することを意味しない。ローティによれば芸術至上主義は美的陶酔という私的なものによって公共的な連帯を否定するという誤りをおかしている。私的な価値判断は私的なものに限定すべきであって、公共的なものを無視する口実にしてはいけないというわけだ(ローティは本書でサルトルに言及しているが、わたしが例に引いた発言をとりあげているわけではない)。

 ナボコフはどうなるのだろうか。

 ナボコフは一般には芸術至上主義の代表者のように考えられているが、ローティはそうではないと指摘する。その根拠としてあげているのが『ロリータ』のカスビームの床屋のエピソードなのである。

 些末なエピソードなので、カスビームの床屋といってもピンと来る人はめったにいないだろうが、ナボコフは「あとがき」で『ロリータ』について思いかえす時、「格別の楽しみとして選ぶ」イメージの一つとしてカスビームの床屋をあげ「この人物をひねり出すのに私は一ヶ月も苦労した」と注記している。それどころか「これらは小説の中枢神経なのだ」とまで書いている。

 本書では大久保康雄訳で引用されているが、大久保訳は絶版なので若島正訳で引こう。

 カスビームでは、ひどく年配の床屋がひどくへたくそな散髪をしてくれた。この床屋は野球選手の息子がどうのこうのとわめきちらし、破裂音を口にするたびに私の首筋に唾を飛ばし、ときおり私の掛布で眼鏡を拭いたり、ふるえる手で鋏を動かす作業を中断して変色した新聞の切り抜きを取り出したりして、こちらもまったく話を聞き流していたので、古くさい灰色のローションの壜が並んでいる中に立てかけてある写真を床屋が指さしたとき、その口髭をはやした若い野球選手の息子が実はもう死んでから三〇年になるのを知って愕然としたのであった。

 ハンバート・ハンバートははじめて会った床屋の身の上話など興味がなく、適当に聞き流していたので、実は30年前に死んでいたと知って愕然としたわけだが、シャーロットやロリータに対しても彼は同様に無関心だったのである。

 ナボコフはそのことをことさら語ってはいないが、ハンバート・ハンバートが見落としたディティールをさりげなく書きこむことで炯眼な読者にはハンバート・ハンバートの無意識の冷酷さがわかるように小説を組み立てているのだ。

 二つを結びつけるのは――ロリータが死を口にしたことと、彼女にはかつてぽちゃぽちゃとふとった幼い弟がいたがいまは死んでいるという事実を結びつけるのは――読者の手に委ねられている。このことと、さらにもう一つの事実、すなわちハンバート自身はそのような結びつけをおこなわないということこそ、ナボコフが自らの理想的な読者に気づいて欲しいと期待している事柄である。

 ハンバート・ハンバートはロリータを愛しているといいながら、彼女の気持にはまったく関心がない。そのことは肉体的に傷をあたえた以上に彼女を辱しめ、心の深い部分を傷つけたはずである。ナボコフハンバート・ハンバートの無意識の残酷さまできちんと描いているのである。

 芸術至上主義は他者への無関心を正当化する結果になるが、もっとも芸術史上主義的と見られていたナボコフは逆にそうした無関心に心を傷めていた一人だった。ローティはナボコフの秘めたやさしさをみごとにつかみだしてくれたのである。

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