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『王になろうとした男』 伊東潤 (文藝春秋)

王になろうとした男

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 織田家を社員を使いつぶすブラック企業にたとえた人がいたが、ブラック企業でもすべての社員がつぶされるわけではなく、出世の道をひた走って高い地位にのぼりつめる社員もいれば、カリスマ経営者に心服して、出世とは関係なしに会社に献身することに喜びを見出す社員もいるだろう。

 本書は信長周辺の歴史の脇役を描いた連作短編集だが、出世レースに邁進して自滅していく野心家と、信長に惚れこんで運命をともにした忠義者という二つのタイプの武将が登場する。それぞれに面白いが、作品としては忠義者を描いたものの方がすぐれているようである。

「果報者の槍」

 桶狭間の戦い今川義元の首をとった毛利新助が主人公である。新助は論功行賞で義元の槍をあたえられ、黒母衣衆にとりたてられたが、その後はぱっとしなかった。

 母衣衆は信長の指令を前線部隊に伝える連絡将校であり、いわば司令部勤務といえる。信長のそば近くに仕えるだけに目端がきけばいくらでも出世の糸口をつかむことができたが、槍働き一筋新助にとっては前線からはなれた司令部勤務は活躍の場を失うに等しかった。

 抜擢が足枷になるという新助の皮肉な一生を、幼なじみで母衣衆から侍大将に出世した塙直政(次の「毒を食らわば」の主人公でもある)と対比して描いたのが本作である。

 新助は出世はできなかったが、信長から忠義を認められ、嫡男信忠の側近に抜擢され、本能寺の変の時に最後の活躍の場を得ることになる。

 生一本に生きた侍の清々しい最後を描いた名編である。

「毒を食らわば」

 塙直政といわれてもすぐにわかる人はあまりいないだろう。

 本作によると赤母衣衆から外交官・行政官として頭角をあらわし、浅井討伐後、南山城をまかされ初の国持大名になったとある。

 直政は軍事的にも功績をあげている。長篠合戦では五人の鉄砲奉行に一人に指名され、400丁の鉄砲隊を編成、それに細川・筒井の150丁をくわえた織田軍最大の火力を指揮して武田軍にあたっている。

 本当にこんな武将がいたのかと思って谷口克広『信長軍の司令官』の索引を見たところ、かなり大きな扱いで載っていて「天正二年五月に南山城の守護、翌年三月に大和の守護を兼務。このようにあっという間に出世の階段を登っていった塙直政」とあるではないか。

 明智や羽柴よりも一頭抜きんでいた武将がなぜ歴史から忘れられてしまったのだろうか。理由は直政の最期にある。

 直政は出世競走の先頭を走っていただけに無理に無理を重ね、信長の過大な要求に答えようとして本願寺戦で無残な結末をむかえる。

 著者は出世とは無縁の一生を送った毛利新助と対比することで、出世レースで自滅した直政の生涯をくっきりと描きだしている。

「復讐鬼」

 信長に謀反を起こしながら秀吉の時代までしたたかに生き残った荒木村重が主人公である。

 村重というと人を騙しても騙されることのない海千山千の強者というイメージだが、本作の村重は信用していた側近に騙され、謀反に追いこまれていくお人好しに描かれている。

 お人好しだった村重が一族を皆殺しにされて復讐鬼に変じ、本能寺の変の後、自分をはめたかつての側近にどのように復讐を果たすのかが本作のテーマである。

「小才子」

 本能寺の変の後の混乱で、光秀の女婿となっていた津田信澄が光秀との関係を疑われ、誤って誅殺されたが、その信澄が主人公である。

 信澄の父は信長の実弟の信行である。信行はうつけの信長を差し置いて織田家を嗣ぐと見なされていたが、信長に騙し討ちにされ、息子の信澄は柴田勝家の懇願で助命されたものの、織田家庶流の津田姓を名乗らされるという屈辱を味わっていた。謀反の動機はないわけではないのだ。当時の人々もそう見ていたから、明智の一味という濡衣を着せられてしまったのだろう。

 本作は信澄が実は本能寺の変の黒幕だったという設定で書かれている。信澄は周到に策をめぐらして緻密な計画をつくりあげていくが(最近、文庫版の出た明智憲三郎氏の説を参考にしたと思われる)、策士策におぼれるの言葉通り、最後の最後で逆にはめられていたことに気づく。なんとも皮肉な結末である。

王になろうとした男

 信長に近侍したアフリカ人の小姓彌介が主人公である。

 彌介はイエズス会巡察使ヴァリニャーノがモザンビーク島から連れてきた黒人奴隷の従者で、信長に贈物として献上している。信長は黒い肌に驚き、何度も洗わせて本当に黒いことを確認したというエピソードが伝わっているが、小姓として身近に置いたということは単に物珍しさだけでなく、彌介の忠誠心を評価したということだろう。

 本作では白人から奴隷として扱われていた彌介が、一人の人間として認めてくれた信長に惚れこみ、献身していく姿が描かれていく。

 信長は彌介の純一な心と日本人をはるかに越える身体能力に感嘆し、黒人だけからなる部隊を編成しようとまで考えている。

 黒人部隊はフィクションだが、大陸侵攻の野望はフロイスが書き残しているし、秀吉が実行しているのでじゅうぶんありえたことだろう。本作の信長はさらに気宇壮大だ。

 「日本国が治まった後、わしは全軍をもって大陸に押し入り、明を制するつもりだ。そしてその後――」

 信長が地球儀をゆっくりと回した。

オスマンという国のコンスタンティノープル、伴天連どもの総本山のローマ、そして、カリオンが語っていたイスパニアを制する。つまりわたしは、欧州の富が集まる四つの港をすべていただく。そなたは、怨み骨髄の白人どもを思いのまま殺せるのだ。もちろん、気に入った者は白奴にしてもよいぞ」

 信長と彌介の夢は本能寺でついえることになる。史料には明智軍と戦った彌介が捕縛された後、日本人ではないという理由で釈放されたところまでは記録されているが、その後はフィクションになる。彌介がどのような運命をむかえるかは本書を読んでいただこう。

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