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『渋沢栄一』鹿島茂(文春文庫)

渋沢栄一

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官尊民卑と闘った男」

 渋沢栄一には以前から興味を持っていたが、なかなかその人となりを詳しく知る機会はなかった。20年ほど前に古牧温泉を訪れたときに、そこに移設されていた旧渋沢邸を見たことがあっただけだ。書店で『渋沢栄一』を見つけたときに、著者が鹿島茂であることに驚いた。種々の雑誌等の洒脱なエッセイでお目にかかる仏文学者が、なぜ渋沢の伝記を書いたのかと疑問に思って入手した。

 どんな人にも、大きく人生を変える出来事がある。渋沢にとってそれはまず郷里の血洗島村で、父の名代として代官に会ったときに受けた屈辱である。御用金を頼まれた方なのに、頼んだ方が渋沢の人格を全く認めずに権柄ずくめの態度をとった。当時としてはこれはむしろ当然のことなのだが、それに対して憤りを感じるところに、鹿島は渋沢の「新人類」を感じる。

 もう一つは、幕末にパリ万博へ赴く徳川昭武のお供として、パリへ行ったときのことだ。渋沢が色々とお世話になった銀行家フリュリ=エラールと、昭武の教育監督であった役人のヴィレット大佐が、全く対等の交わりをしているのに驚愕するのである。つまり官と民が対等であるということに驚き、何としても日本でこれを実現させたいと強く願う。もちろんこの体験には、前述の代官による侮辱が大きく影響しているのは間違いない。

 フリュリ=エラールからサン・シモン主義を学び帰国した渋沢は、紆余曲折の末大蔵省で腕を振るうが、彼の本来の目的は「民」の地位を上げることであるから、官職を辞し第一国立銀行の創設等、経済界の基盤を作り上げる。明治という特殊な時代性はあっただろうが、巻末に上げられている「渋沢栄一関連事業一覧」を見ると、信じられない思いがする。銀行業界のみならず、保険、海運、陸運、製紙、麦酒製造、ガス、電気、ホテル、教育関係等、ありとあらゆる経済界の基礎を打ち立てているのである。とても一人の人間のなした業とは思えない。

 鹿島はこの超人的な活躍を「フランスで欧米風の生活習慣になじんだ渋沢は、日本に帰ってきて、これが日本にはまだないからつくろうという発想で、業態をあらたに起こしていったのではないか」と分析する。また渋沢は優れた民間外交も成し遂げている。「渋沢級の人物が日本にあと何人か、いや、あと一人でもいてくれたら、日米開戦という悲劇は起こらなかったにちがいない。」という鹿島の嘆きも納得できるところがある。

 会社経営においては、作り上げた会社をどんどん後進に譲り、私腹を肥やそうとは思わない。今ならばインサイダー取引になるだろうが、儲かる情報など山のようにあっても、自らは手を出さない。客だけではなく社員も大切にする。「いくら『お客様は神様です』のモットーを掲げて企業を運営していても、もし、そのために身内の社員を酷使し、彼らが本来享受すべき利益を搾取していたのでは、それはいささかも王道にかなってはいない。」ブラック企業と言われる会社の経営者に聞かせたい言葉である。

 鹿島は「いずれにしても、明治も二十年代を過ぎると、政界に人を得ず、むしろ財界のほうに傑物が集まるという傾向が強まってきたことは確かだ。残念ながら、この傾向は今もなお変わってはいないのである。」と述べるが、妙にうなずいてしまう。もちろん渋沢は単なる聖人君子ではない。艶話が得意の鹿島であるから、渋沢の女性関係もしっかりと描いている。

 渋沢の壮大な人生を、フランスで出会った一銀行家と大佐の関係を軸に描いたところに、仏文学者としての鹿島の面目躍如がある。それにしても、どう見ても舵取りが上手くいっているとは思えない現在の日本に、渋沢のような人物がいてくれたらと考えずにはおられないのが辛いところだ。


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