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『わたしを離さないで』 カズオ・イシグロ 土屋政雄訳 (早川書房)

わたしを離さないで

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仕掛けられたSF

 『わたしを離さないで』は紛れもなくSFである。そして、郷愁の想いが全編を通じて深々と読者のこころに沁みわたる逸品である。

 主人公たちにとっての故郷、彼らの出自(ルーツ)、そこからの出立とそれらの喪失は、回顧のかたちでキャシーという女性によって語られる。イギリスの曇天を想起させる、おそらくは寒々とした片田舎を舞台に、キャシーは介護人として働き、年若くしてその職を辞そうとしている。こども時代を回想する当たり前の始まりが、胸をえぐられるような結末になろうとは読者は予想だにしない。

 本書の書評を書くにあたっては言葉を失くさざるをえない。見事に仕組まれた展開が、推理小説並みの謎解きを胚胎しているからだ。したがって、幾層もの意味を帯びた『わたしを離さないで(Never let me go)』というタイトルのことも、そこに込められる痛切な感情も、凍るような仕掛けも、何ひとつ洩らすことはできない。巧妙なのは、謎解きの仕掛けがあることにすら気づかせず、こども時代への郷愁を湛えた回顧のごとく読ませていく筆力である。読み進むうちに言い知れぬ謎が湧き、本書がSFである謂われは後半に至ってから知らされるという異端の筋書きである。

 『わたしを離さないで』の謎解きは蓋を開けるようにではなく、紐が自ずからほどけるような具合に明らかになっていく。キャシーの回顧に沿って、ジグソーパズルのピースがゆっくりとはめられていくようにして、戦慄の全貌が明かされていく。緩慢でいて間延びせず、謎に惹き寄せながも焦らすでもない独特のリズムが、350頁近い長編の器量のなかで絶妙に配分されている。独創的でありながらも奇抜さも強引さも感じさせない、自ずからの流れを感じさせるような重心の利いたリズムこそがカズオ・イシグロの特徴なのかもしれない。

 回想のなかでは、こども時代から思春期にかけての人間関係が、あたかも映画を見るような刻銘さで描かれる。仲間意識や除け者意識、移ろいやすい関係と固い絆、おとなの世界とこどもの世界の間にある壁と間隙、性の意識の芽生えと戸惑い。危うい年頃を象徴するそれらの事象が意外性もなく綴られていくうちに、そこにある嫉妬・羨望・差別・秘密が単なる個人的物語ではなく、途方もなく深い地底を発祥としていることに読者は知らされていく。意表を突く真実の恐怖を明かされていくのだ。

 本書のタイトルは、仕掛けられた物語の骨格のなかで折々に出没し、鍵の役割を果たしている。『わたしを離さないで』という端的な言葉には、別離を拒絶する意志が込められている。そして、ジグソーパズルがはめられていくにしたがって、別離の意味はその深さと次元を変えていく。恋愛を彷彿させがちな情緒的次元やうら悲しい郷愁とはまったく異質の状況と感情が、読者の想像力に挑んでくるかのようだ。そして、主人公の拒絶する意志が単なる拒絶でも意志でもないことを、読者は圧倒させられる思いのなかで知らされることになる。

 土屋政雄の翻訳は、本書の淡々とした基調をしっくりと日本語に乗せている。あざとさのない平易な言葉遣いとリズムが、イシグロの墨絵のような世界と歩調を合わせ、その濃淡を慎ましく浮き彫りにさせている。見事な翻訳である。さらに、表紙を飾る民野宏之の装画も大胆なようでいてひっそりとしていて、その意匠も読後になって一層頷ける具合になっている。

 『わたしを離さないで』は、切望と絶望の境界を越えて、彼女なりの方法で別離を拒否する女性を描いている。離れていくこと、離れていることを運命づけられた主人公(たち)が、それぞれの離別を体現していくなかで、キャシーは彼女自身の運命に対処していく。そもそも別離、「離す」ということは何を意味するのか。離れていくことによってしか離れないでいることが叶わない運命。巧妙に仕組まれたシステムは作品の構造だけでなく、主人公たちの運命の仕掛けを意味している。決定的な別離または隔離の起きた場所・施設は、ありきたりの望郷を越えて、彼らを疎外し同時に吸引していく故郷なのだ。

 『わたしを離さないで』は恐怖に満ちたSF小説であり、その感動は身体に響く。


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