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『香水―ある人殺しの物語』 パトリック・ジュースキント (文春文庫)

香水―ある人殺しの物語

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 つい先ごろ、「パフューム ある人殺しの物語」という映画が、日本に上陸した。あちこちのブログで紹介されていたので、たぶんまだどこかで上映しているだろうと思っているうちに、時が経ってしまったのだが。

 本書はその原作。映画もベストセラーの小説も、香水の販売促進に一役買っているのは疑いようもない。読後はますますデパートの香水売り場を素通りできなくなった私は、先日フランス製の小瓶を買ってしまった。私にしてみれば高い買い物になった。1万円という値段だけではない。海外土産でもなく、目的もなく、<ふらっと自分のために香水を買う>という行為は贅沢の極みだ。だが、新しい香りは常に衝動を連れてくる装置でもある。

 私は、日常的に香水を振りかけないと生きていられないようなヘビーユーザーではないし、瓶が空になるまで使い切ったこともない。ところが海外の友人と久しぶりにハグしたりすると、ふわっと濃厚な体臭につつまれる。彼らは香水と体臭を入り混ぜて、鼻腔に強烈にアピールしてくる。そんなとき、自分が幼い子どものように思われる。香水を纏う習慣がない私は、いったいどんな風に匂うのだろう。かと言って香水プンプンなどと言われるように、多くの日本人にとって、他人と香りを共有できるのは石鹸やシャンプーのほのかな香りくらいまでで、カラダの匂いが自己主張したりすると、とたんに交際に支障がでることもある。だから、私たちの文化では、無臭は悪いことではないのだが、この小説の主人公グルヌイユは生まれついての無臭体質であるがゆえに、彼にとっては人格そのものを表現する体臭に、異常な執着をもってしまう・・・。グルニュイユの嗅覚を通して、人間性の極みとしての<体臭>が描かれる。

 著者のパトリック・ジュースキントは1949年生まれのドイツ人で、新聞記者や編集者をしながら戯曲や小説をわずかばかり書いた。この『香水 ある人殺しの物語』は、85年に発表されたとたん、ドイツでベストセラーになり、23カ国で翻訳され1500万部以上が売れたという。日本での出版は、池内紀の翻訳で1988年。その池内の文章がとにかく素晴らしい。

 海外の小説は翻訳者の腕次第。良く悪しくも訳者によって書き直されるといってもいいが、本書は日本でもかなり売れたという。2003年に文春文庫から発刊されるにあたって、池内自身があとがきを寄せている。「読み直して、思い知った。このような翻訳の力わざは、自分にはもう、とてもできない。だから文庫本として再生するのがうれしい」と。(というが、彼はカフカの翻訳でも素晴らしい仕事をしている)

 当初、文庫本の表紙カバー画はワトーの「ユペテルとアンティオペ」であった。

布の上に横たわる赤毛の美少女は裸身で、この小説の重要なモチーフ。表紙は時として映画の予告編の役目を果たしている。私は映画の評判を先に聞いたので、いずれDVDで観ようと思い、活字を先にしたが、その時期どこのインターネット書店でも本書は売り切れ。

最近、やっと中古で入手したのだが、知らぬ間に増刷され今なら簡単に入手することができるようだ。だが表紙は変わった。映画「パフューム」のイメージなのか。でも私は以前の表紙カバーのほうが好きだ。

 先に読むか、それとも観るか。迷う楽しみがあるが、私は読むほうを先にお勧めしたい。なぜなら、翻訳者の力量もそうだが、言葉が嗅覚を刺激する不思議な感覚をまず楽しんでいただきたいから。それに、脚本家や監督の意図も見えてこよう。映像が先だと、想像力が鈍るだけではなく、原作者の感性から遠のくような気もするし、映像化の段階で加減乗除されたものが何だかわからない。

 では、問題の場面から、ちょっとだけ引用する(ネタばれにならぬよう祈る)。

 

 「グルヌイユは立ち止まった。心をしずめて嗅いでみた。あの匂い。たしかにしっかり捉えている。

 一本の帯としてセーヌ通りを下ってくる。まぎれもない匂いである。しかし、この上なく微妙で、

 こまやかな匂い。胸が激しく動悸を打っていた。大急ぎで来たせいではない。胸がこんなにも

 はやるのは、当の匂いを前にして途方にくれているからである。グルヌイユは何か別の匂いと

 比べようとした。だが、うまくいかない。いかにも新鮮な香りだったが、スイートレモンや橙のような

 新鮮さではない。ミルラやシナモンやミドリハッカや梨や樟脳や松の実ともちがう。五月の雨や、

 氷のような北風、あるいは泉の水の鮮度ともちがう・・・・」pp58.

 結局、その「神聖な芳香」に引き寄せられ、驚異の嗅覚を持つグルヌイユがたどり着いた匂いの源はひとりの少女だった。テーブルに向かってプラムの実を剥いている娘の齢は13,4.

グルヌイユは「何百、何千もの匂いといっても、この一つの香りと比べれば何ものでもない。」と思い、

「この匂いを自分のものとしない限り、人生にいかなる意味もないことは明らか」だと知る。

そして背後から近づき、「におい立つ体臭を丸ごと嗅いだ。やわらかな風を呑むようにして呑み込んだ」

成りゆきで殺してしまうのだが、その娘の香りを「わが身に刻印」した彼は、「これからの生のためのコンパスを発見した」のだった。グルヌイユはこうして猟奇的な香水調合師への第一歩を踏み出していく。

 やがて、特異な方法を開発し少女たちの匂いを収集するために、連続殺人者となったグルヌイユのたどり着く先は公開処刑場なのだが、彼がおとなしく死を迎えるわけがない。この処刑場シーンは前代未聞で、映画でも相当話題になった。だから、ここばかりは小説よりも動画のほうが衝撃的であろう。だが物語はまだここで終わらない。・・・この続きはまずは小説で。

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