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『閉鎖病棟』帚木蓬生(新潮文庫)

閉鎖病棟

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「閉鎖しているのは病棟なのか?」

久しぶりに小説を読んだ。本書を手にとったのは、確か東京駅地下の本屋だったと思う。


 商売柄か、題名にまず惹かれた。『閉鎖病棟』。そしてまたちょうどその頃、厚生労働省で障害者団体の交渉があり、私は精神と知的障害者の交渉の様子を、彼らの背後から聞いた。身体障害も辛いものだが、精神障害もかなり辛いものだ。まず、知的障害は「健康そう」で「頑強」に見えることもあって、介護の必要性が一般になかなか理解されない。精神障害は何でも自分でできるように見えてしまうが、いったん頭の中が嵐になれば自分で自分をコントロールできない。身体麻痺以上に彼らは自立困難になるのである。

この小説に出てくる者たちも、ある者はそのように生まれつき、ある者は運命に翻弄されてそのようになってしまった。そして吹き溜まりのような精神科病棟に漂着し留まっているのだ。

作者の帚木蓬生は精神科医である。だからなのか、小説に描かれた病棟には生活臭が満ちていて、従来の小説に描かれてきたような精神病者の脅威は感じられない。むしろ、中盤では患者同士が誘い合って、梅見の散歩に出かける場面や、患者自身の自作自演の演芸会の様子が滑稽にのん気に描かれる。ここでは寄り合い所的な病棟の連帯が伝わってくる。こういう平和な生活が長く続けばいいのに、とさえ思い出す読者を、作家は待っていたかのように、抑えた筆致で今度は淡々と患者たちの過去の重さを描いてみせるのである。病棟がどんなに平坦な日々を用意してくれても、彼らの多くは自分の人生から逃げ切ることができない、とばかりに。

ある者は、唐突に始まる陰惨な物語の中で、その生い立ちから紹介され、ある者は最後まで、なぜここに来たのかが伏せられている。チュウさん、秀丸さん、クロちゃん、ストさん、博士、昭八ちゃん、敬吾さん、まだ中学生の島崎さん・・・。

 ほとんどの者に共通して言えることだが、彼らの障害も、彼らの運命も、人知及ばぬ定めによるものだ。彼らのせいではない。障害は一人で背負うものではないことを、この作家は百も承知である。しかし小説は現実同様、残忍に容赦なく患者たちを追い詰めていく。そして、精神障害がもたらすリアリティだけが、弁護なしに塗り重ねられていくのである。

 だからこそ、読者は知的障害と精神疾患の鈍さと鋭さを、家族や病棟での出来事を、擬似体験せざるをえない。彼らの過去には、理由のわからぬ堕胎も、親族殺人もあり、本人でさえ、なぜそうなったのか、どうしたらよいのか、わからないのだ。不安のうちに身の回りで事件が起こる、という感覚を、読者は体感してしまうので、作家の戦略どおり、精神障害に対するステレオタイプは消え失せてしまう。

 しかし、病棟での平和もそう長くは続かない。

クロちゃんが行方不明になり、死体で発見される。そして、病棟で殺人事件が起きるのを境に、小説の中心人物たちに的が絞られ、後半部は前半部では伏せられていた情感が一挙に溢れ出す。その構成力に圧倒される。初版は平成九年。山本周五郎賞受賞作品。

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