現代詩文庫『続・渡辺武信詩集』渡辺武信(思潮社)
「詩でなければならないとき」
詩人であるとは知っていたが、渡辺武信を読んだ最初は彼が建築家として書いたものだった。住宅に関する本を好んで読んでいた一時期があり、借家住まいで、家を建てることなど夢のまた夢、それは今も変わっていないが、その頃の私はまだその夢を夢として無邪気に心に描くことができた。
そうして読んだ本のなかでも彼の『住まい方の思想』にはなるほどなあと思わされ、その続編である『住まい方の演出』『住まい方の実践』もたてつづけに読んだ。ただ、著者のすてきな自邸の平面図を示されながら云々されるうち、私の「お家」への夢が、たよりなく空を漂うしぼみかけた風船みたいに思えてきたのもたしかで、しかし、この人の、ただ住宅に関してだけでなく、生活の根本にたいする考えかたには共感した。そのあと、彼のこれはかなり古い著作だが、『大きな都市小さな部屋』(鹿島出版会、昭和四九年)を読み、その思いはいっそう強くした。
「“快適さ”がどこか後ろめたいのは、それがなにか根本的なものを捨象することによって、はじめて実現したものであるからだ。快適な個人住宅より、もっと後ろめたいのは、快適なオフィスと言ったような代物である。快適に働ける空間と言うものはたしかに存在し、その中にいればぼくだってその快適さを実感するのだが、その感覚は、労働の社会的な意味が切り捨てられたところで成立する。だいたい快適に働くとは、能率よく働かされることに過ぎないのではないか?
別の言い方をすれば、そもそも真の“快適さ”ということが人間に対して拒まれているので、なにかを捨象することによって虚構的な快適さを手に入れる他ない、というのがぼくたちの状況であろう。いや、それは、いつの時代にもそうであったのかもしれないが、今日の日本ほど、その虚構性があからさまになった時代はない」。(「いま建築に何が問われているか――行為としての〈建築〉の仮象性」 『大きな都市小さな部屋』所収)
古本屋でみつけた六十年代の建築雑誌など眺めて、こんなお家に住みたいわ、などと「お家」へのキラキラとした夢を抱きつつ、それにどこかしっくりこない感じもまたもっていた私だったが、それは、一方で、自分がほんとうにこれだと思える暮らしがどういうものなのか、その頃の私がかなり真剣に考えようとしていたためでもあった。まるはだかの自分というものが、どのように住まうのかを自身に問うことは、生きるしかたに目を凝らすということであるだろうと。しかし、渡辺武信のいうように、生まれながらにして「虚構的な快適さ」のなかに浸かっている私に、まるはだかの自分などというものはありえないのである。「お家」を夢みることへの私の違和感はつまり、「虚構的な快適さ」のなかでさらなる快適さをを求めることへの後ろめたさであった。
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この夏刊行された『現代詩文庫 続・渡辺武信詩集』は、詩人としての渡辺武信の著作としては二十七年ぶりのものとなる。一九七〇年刊の『現代詩文庫 渡辺武信詩集』に未収の詩篇、デューク・エイセズのアルバムのために書かれたいくつかの歌詞、エッセイと詩論を収録。解説は松本隆と荒井晴彦、裏表紙の推薦文は佐野史郎が担当しており、この名前のならびに、渡辺武信の詩に影響を受けた世代というものを、私ははじめて目の当たりにした。
住むこと、暮らすことへの関心から渡辺武信を知り、さかのぼってその詩に私が接したのは九十年代も終わりのころである。そのとき、彼は詩作から遠ざかってずいぶんひさしい人であった。お家を設計するのに忙しくて、詩を書く暇がなくなってしまったのだろうなあと、かなり遅れてきた読者である私は彼の詩を読んだのである。そのとき、自分がものごころろつくよりまえにうみだされたそれらのことばに出会うまでの歳月と、詩を書かなくなっても、いぜんとして彼の詩人と建築家とをひとつづきのものとしている(と私が思いたい)彼の歳月とがともに背後に連なっているのを私は感じた。
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「詩に対応する現実がない、などと言うことはあり得ない。詩に、というのがやや曖昧に過ぎるとしたら、詩を書きはじめる契機には必ず対応する現実がある。
私たちが詩のほうへ押しやられ、私のものであり他者のものである一行の言葉に到達しようとするのは、『私』と現実の乖離を感じることによってである。」(「戦後的叙情の飽和 この十年の詩的状況についての走り書」 初出・『現代詩手帖』一九七九年六月号)
これを書いた一九七九年の翌年、一九八〇年に詩集『過ぎゆく日々』をまとめてのち、渡辺武信は詩作からほとんど離れた。詩を書くことをしなくなったのは彼が「私」と「現実」の乖離を感じなくなってしまったからなのだろうか。
本書にある「二〇〇七年における補註」において渡辺はこのように書いている。「その理由は(主観的な自己分析にすぎないが)、私の詩が〈少年〉の視野で書かれたものであり、この年の四月に七四年一月生まれの長男が小学生になった結果、詩を書く〈少年〉と、家庭における〈父〉の役割が乖離したことにあろう。」。
「『私』と現実の乖離を感じる」ことによって詩人が「詩のほうへ押しやられる」のだとすれば、詩から遠ざけられるのは、その乖離が決定的になってしまうことによるのだろうか。ともかく、本書に収められた彼の詩論は、現代詩にさして詳しくない私のような者にとっても、詩とは何かを考える上でのよき手だてとなりうる。そして、その詩論が書かれた当時、彼が詩作から離れつつあったことをふまえるとなおのこと、である。
ただし私は詩を書く者でなく読む者なので、詩人の詩論を勝手に読み手の欲望に即して受け取るばかりだ。
小説でも評論でもエッセイでもなく、詩でなければならないとき、読み手として切実に詩を欲するときがある。読者もまた「詩のほうへ押しやられる」ことがあるのだ。
「『私』とは、非反省的な意識と世界との間を走る一本の亀裂であり、距離であり、奈落である。『私』が飢えているのではなく、言葉を呼びこもうとする飢えそのものが、未然の『私』である。
詩は、その『私』であろうとする奈落をサーツとよぎっていく暗い奇跡の軌跡ではないか。」(「詩的快楽の私的報告」 初出『現代詩手帖』一九七四年三月号)
その詩を知るまえ、建築家としての渡辺武信のことばによって、私は確実にある地点からはべつのところへ導かれた。「非反省的な意識と世界との間」の深さと遠さと暗さを知ったというべきか。しかし、というより、それだからこそ、いまだに自分の生きるしかたがよくわからないまま、右往左往している。そして、ときにそのわからなさを思い詰めてやるかたないとき、よすがとするのが読み手である私にとっての詩なのである。
つややかに輝く家具のカタログやグラビア刷の未来都市の中に
ぼくの記憶の死に場所はない
ぼくたちのつつましい快楽が死者たちのまなざしと
鋭い刃の上でつりあって一瞬静止するみじかいみじかい休暇から
はみだしてしまうぼくたちの長いくちづけ
あわされた唇と唇がつくる内海のやさしいかたち
それがとつぜん凍りついてきみの眼を大きくひらかせる
(「蜜の味」)
あらゆる恋や行為が
巨大都市の影に埋没していく時
ただ眠りの深さを測るためだけにさえ
きみのまなざしを借りなければならない
眼をひらけ
どのような盲目もゆるされていない
夢のまぶしさの中で眼をひらけ
(「遠い眼ざめ」)