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『花泥棒』細江英公・写真 鴨居羊子・人形 早坂類・詩(冬青社)

花泥棒

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 「芸術ではなく商売」。下着デザイナー・鴨居羊子はかつて、自分のしていることはアートではなくビジネスなのだとくりかえし強調した。しかし、もともと画家か彫刻家になりたいと夢みた彼女の創造力は、会社という組織が大きくなるにつれて欲求不満をおこしがちとなる。


 そんななか、現実から逃げるようにして日本から飛び出した彼女が、チュニックという会社の経営者としての自分と、デザイナーとしての自分との間でなされた旅先での問答は、その後の下着制作のインスピレーションの源となるのだが、このとき下着にくわえて、人形や身のまわりの小物などのグッズ制作をはじめた。


 「大人のオモチャ」と名づけられたそれらには、下着作りのみに忙殺されたスタッフの頭を柔軟にすること、またそれを手にする客に対して、下着を楽しむというチュニック設立当初のコンセプトをさらに強調し、より自由な心で下着を選んでもらえるように、との思いが込められていた。

 一九六六年、自身が制作した人形を細江英公が撮った『ミス・ペテン』なる写真文集を羊子は自費出版したが、これもまた、経営者としての下着作りだけでは満足しきれない彼女のクリエイティビティーのたまものだろう。その、細江による鴨居の人形写真に、文筆家・早坂類がことばを寄せてできあがった写真絵本が本書である。

 ある日突然、というかんじで、鴨居は写真家に、ただ「おまかせします」とだけ言いいのこし、人形をおいて帰ったのだという。

 よくみると可憐な少女や好色おやじや色っぽい中年女性や妊娠中の女などなど、人形というよりさまざまな人間をあつめて集めてつれてきたという感じだった。はっと気がついたら、ぼくがその頃よく出入りしていた唐十郎状況劇場、赤テントの役者集団みたいだった。唐十郎もいる、李麗仙もいる、麿赤兒もいる。


 ぼくは小さな役者たちをつれて旅に出た。遠くは青森、長野、近くは晴海埠頭に四谷界隈。みんなそれぞれ勝手気ままのやり放題、ちょっと目を離しているとセックスははじめるわ、裸でテレビに出たいと駄々をこねるわ、親の心子知らず。あまりにうるさいので叱ったら「死ぬ」と言って電車の線路を枕にして自殺未遂、これは仏さまにすがる他に道はないと思って野仏行脚をしたりしてなんとかなだめて帰ってきた。ぼくは疲労困憊、さっそく鴨居さんにお引き取りいただいた。

 商品としての人形、チュニックで下着とともに販売されていた鴨居デザインの人形には、さまざまな国の民族衣装をまとった華やかな抱き人形や、猫や兎が擬人化されたぬいぐるみなどもあるが、ここで鴨居の作った人形は、いわゆる「お人形」のかわいらしさからはほど遠い。彼らを演劇集団に見立て、鉄条網にぶらさげたり、マンホールのなかで逢い引きさせたり、打ち捨てられたテレビのブラウン管のなかへならべたり、お地蔵さんに抱かせたりした細江の演出によって、人形たちのいかがわしさや禍々しさ、滑稽さのなかで発光する華やぎと開放感が十二分に発揮されている。

 六十年代の日本の景色を舞台装置に、細江のでっちあげたこの物語を、人形をほうり投げるようにして細江に託した鴨居は予想していたのだろうか。なにげなく、しかし計算高く、つべこべいわずにすべてをまるごと相手にゆだねることのできる器量と仕事ぶりは、そもそも商売人か芸術家かといった肩書きなどもろともしない鴨居ならではというべきか。


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