『エプロンおじさん 日本初の料理研究家 牧野哲大の味 』高原たま 編著(国書刊行会)
男性料理研究家のさきがけ、NHK「きょうの料理」には1962年から出演する最古参の先生である牧野哲大さん。学生時代にテレビで牧野氏を知り、その後、氏を訪れては、料理のもてなしを受けつつ、その話に耳をかたむけてきた著者が、幸福な時間の中で得た大切な宝物を差し出すようにして編んだ、とびきりの一冊である。
昭和9年生まれの牧野さんは、母親が大切にしていた『少女の友』のふろくに魅了され、読書やひとり遊びにふける少年期をすごす。戦後『ひまわり』で中原淳一の世界に再会、上京して栄養学校に通いはじめると、あこがれのその人に面会を申し込み、以来、中原家をたびたび訪れるようになる。学校を卒業し栄養士として働きはじめた頃、中原から『ジュニアそれいゆ』の料理ページを任された牧野さん。自らスタイリングを手がけ、栄養士らしくカロリー表もつけた。当初「正当な料理修業をしたわけではない」という引け目があったものの、「自分で作り出すことに意味がある」との中原の言葉に励まされ、「女性の生活を新しく美しくする」という中原淳一の美学のもとで作った料理ページは評判となり、以来、さまざまな女性雑誌に活躍の場を広げた。
そんな彼のたどった道と料理たち。少年時代と修業時代、料理研究家として活躍していた頃、 仕事を整理し、80歳となった今、その時々の味。そのどれもおいしそうなこと。著者の書く料理の紹介文もすばらしく、しみじみと食欲をそそる。また、あこがれのヨーロッパに出かけては各地の味を体験し、そのたびにトランクいっぱいに買い込んできた調理道具や食器たち、そして、三百枚におよぶというトレードマークのエプロンコレクション。
中原淳一描く少女に生き写し、「ガラス細工のようだわ」と牧野さんが一目惚れした奥さま、未左子さんについても忘れてはならない。牧野さんの仕事の手伝い。ふたりのお子さんの子育て。「毎回、出演料より食器の方が高かったんです……」とこぼしながらも、欲しいものを我慢できない牧野さんの散財につきあい、家計をやりくりし、一家の運営をすべて担ってきた。牧野哲大ワールドになくてはならない人である。
料理書の棚の前に立つとき、私はたいてい疲労している。ほんとうは料理する気力もないのだが、そういうとき読みたいのはやっぱり料理の本なのだ。どんなに疲れていても食欲がなくなることはまずなく、しかし、外食するのはうっとおしい。たんにお腹を満たすだけではいけない。それでは余計に疲れてしまう。
これはそんなときに見つけた本だ。32、3ページの見開きにあったのは、「かつを節七変化」。溶き卵とかつを節を中火で炒った「だし卵」、牛乳でかつを節を煮出した「かつをミルク」、スライスした玉ねぎとトマトにかつを節をかけて塩をなじませた「トマかか玉ねぎ」、茶漉しに入れたかつを節に熱湯を注いだだけの「おすまし」……。おかかが大好物の私。そうでなくとも、これをみたら誰だって口中唾液でいっぱいになるだろう。瞬間、疲れが半分は吹き飛んでしまった。
「それにね、わたくしは料理するときには、『つや』を目指して手を動かします。その料理がいちばん美しいときにつやが出る。つやっていうのはつまり、料理に色気を与える、ということなんです。人間だって色気がないと付き合っていてもつまらないでしょう? それはセクシーな色気ということではなくって、神経を払うことによってうまれるうまみのようなもののことよね。一杯のおみそ汁をつくるにも、お豆腐の切り方や、『ここに青物があったらよりおいしく見えそう』という感覚すべてがつやにつながるのよ。そういう風に仕上がったお料理は、消化もいいんです」
おいしそう! それだけではないのだ。献立のアイデア、調理の工夫、味つけのコツ、それ以上のものがここにはあった。料理という実用を超えた実用。食べるために料理する。そのためには身体も心も働かせなくてはならない、五感も総動員しなくては……。私の営みのいちばんさいしょのなくてはならないものをあたえてくれる。 料理本はこうでなくてはいけない。