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『外見オンチ闘病記』山中登志子(かもがわ出版)

外見オンチ闘病記

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「闘病記とは、沈黙を破るための光である。」

 ユニークフェイスな女性がカミングアウトした自伝ノンフィクションの傑作。この作品は、現代日本人の身体コンプレックス理解のための必読書である。
 外見に目立つ疾患・傷害がある人達がいる。私はその人たちのことをユニークフェイスと呼び、その問題を書いてきた。

 1999年に開始したこの活動のなかで多くのユニークフェイスな女性たちと出会ってきた。最近も静岡県浜松市内で、あるユニークフェイス当事者女性と会ってきたばかりだ。いたって元気な人で前向きな人だった。話した時間は約1時間だろうか。あれこれ話して、その女性の友人たちを紹介してもらいたわいもない話をしてくつろいできた。

 私がユニークフェイス運動を始めた当初は、悲嘆に暮れた当事者たちが多く集まってきたのだが、いま私には前向きな当事者たちからの連絡が絶えない。それでも、実名と顔を出して、ユニークフェイスであるということをカミングアウトする女性はゼロ、といっていい状態だった。少なくも、山中登志子さんが本書「外見オンチ闘病記」を発表するまでは。山中さんは、女性のユニークフェイス当事者として、数少ないカミングアウトした当事者なのだ。

 山中さんの病状は、アクロメガリー。日本語の病名は脳下垂体腫瘍。先端巨大症とも言う。本書の副題は「顔が変わる病アクロメガリー」。

 病気のメカニズムはこうだ。脳のなかにある脳下垂体という部位から分泌される成長ホルモンが何らかの原因で、過剰に出てしまう。すると肉体の成長が普通よりも過剰になっていく。あごが突き出る。身長が伸びすぎる。手足が大きくなりすぎる。骨格そのものが、大きくなってしまうため、治療によってもとの身体に戻ることは事実上不可能。この病気の当事者として著明な人は、プロレスラーの故ジャイアント馬場さんがいる。幼少期に脳下垂体の成長ホルモンが過剰に分泌されると、馬場さんのように身長2メートルを超えてしまうのだ。これは健康な人間の正常な成長ではないことに注意して欲しい。

 山中さんは思春期に発病。そのため、身長は伸びず、顔面と手足が大きくなった。また、この病気は顔面の骨格を変えてしまい、特有の顔貌になる病気だ。女性にとってたいへんな精神的苦痛をともなう。しかも、病状は外見だけではない。糖尿病、高血圧、高脂血症心不全睡眠時無呼吸症候群無月経、倦怠感などになる。大腸ガンになる可能性も髙い。馬場さんは大腸ガンで死去している。正真正銘の難病である。

 アクロメガリーについて、正真正銘、日本で初めての闘病記である。資料的な価値が極めて高い。

 約3年前、私は本書の草稿を山中さんから読ませていただき、アドバイスをしたことがある。草稿についてひととおり意見交換をした後、山中さんは、もっと原稿を寝かせます。本が出るのはご縁ですから、と言っていた。その後、私が浜松市に移住してから、1年経った2008年の夏に、「全面的に書き直して納得できる原稿になった。出版する時期が来たと思う」と連絡があった。すぐに私は、拙著『顔面漂流記』を出版してくれた京都のかもがわ出版を紹介。1週間後には話がまとまり昨年11月に出版された。我がことのようにうれしい。アクロメガリーという病気が、山中登志子という強靱な精神を持った一人の女性と出会うことで誕生した運命の書である。書かれるべくして書かれた本だ。

 本書を読了して、草稿のときに感じられた、自分の体験を隠したいというおびえが消えていることが分かった。執筆中に吹っ切れたのだろう。

 社会は異形の女性に対して実に冷たい。山中は、16歳で発病するまでかわいい女の子だった。巻末には発病前と後の写真が掲載されている。アクロメガリーは、成長期の山中の顔貌を急速に変えてしまっていた。身体コンプレックスに落ち込んだ山中は、ダイエットに励む。倦怠感が肉体をむしばみ始めていた。しかし、当時はアクロメガリーという病気であるいう自覚症状はなかった。大学時代にあまりの疲労感から入院。検査の結果、アクロメガリーであると診断される。すぐに脳腫瘍の切除手術した。大きくなった腫瘍はとりきれずに残った。闘病生活はいまも続く。

 差別と嘲笑にあった。

 電話で取引先とアポイントをとって、待ち合わせの場所にいると、男と間違えられてしまう。初対面の人からないがしろにされる。山中は『週刊金曜日』というゴリゴリの人権メディアの編集者を8年経験しているが、出身はリクルートの『就職ジャーナル』。はじめから何かの思想をもって仕事をするタイプではなかった。一流企業の才色兼備の美女社員を取材して、羨ましいな、と思っていた普通の女性である。

 『週刊金曜日』編集者として手がけた、『買ってはいけない』が想定外の200万部を超えるベストセラーになった。内容の甘さに批判が集中。社会現象になった。このとき、山中は顔をさらしたくない、という思いからすべての写真取材を拒否している。体調は最悪で、インスリンをトイレで打ちながら仕事をしていたという。『買ってはいけない』騒動の渦中の人物が、容貌が変化するユニークフェイス当事者であったことを、当時、東京でユニークフェイス活動を開始した私は知らなかった。山中のほうは、ユニークフェイス代表として動き出した私を知って、そんな勇気はない、と思っていたという。

 山中との初めての出会いは、2002年6月『常識を越えて―オカマの道、七〇年』(東郷健)の出版パーティだった。男なのか女なのか分からない外見をしていることが目を引いた。当時の私はアクロメガリーについての知識はゼロだった。しかし、脳下垂体腫瘍について医療事故取材経験はあった。その知識と山中の容貌を結びつけることはできなかった。

 後に取材現場でよく会うようになった。面白い企画があるので参加しないか、と声をかけられるようになった。仕事仲間になったのである。自然に顔の話が増える。

 アクロメガリーの当事者として、ユニークフェイス当事者としてカミングアウトをすると、どんなことがおきるのか?

 「カミングアウトした先輩として意見が欲しい」

 山中は、脳下垂体の病気としてのアクロメガリーの啓蒙活動に参加するかどうかを迷っていた。編集者は黒子である。メディアの仕事をすることと、取材を受ける存在になることは違う。ましてや、その半生で向き合うことを避けていた顔貌の問題である。不特定多数の視線が、集中する立場になる。タフな精神であらねばならない。

 山中に私の経験のすべてを伝えた。

 外見問題の知識による理論武装した成果。ユニークフェイスという社会運動の舞台裏。伝えることは山ほどあった。

 山中と私はユニークフェイス問題について長く対話した。

 もともと多弁な人である。いつも多くの人との対話をしていた。

 自分の過去と対話する。これが自伝を書くための必要な作業だ。

 「人間・山中登志子」を育て上げた周囲の人達(仕事仲間、家族)と対話をして、自分自身を客観的に見つめ直している。これは編集者の仕事である。自分自身の人生を独力で編集できている。

 

 

 「変わった顔」と一緒に生きることが私の課題、と山中は書く。

 「昔の顔は忘れたわ。いまの顔が登志子ちゃんだもん」と母は言う。

 初めから強い人間はいない。

 ひとりきりでは人は強くなれない。

 タフなユニークフェイスな当事者には例外なく、家族の強い支えがあった。

 稀少難病アクロメガリーの若い当事者たちは、いまその顔で生きぬく山中の人生を知ることができる。強い先輩の歩いた道がある。恵まれている。

 ひとりのカミングアウトの後ろには、何百、何千もの深い沈黙がある。

 闘病記とは、その沈黙を破るためにあるのだ、と思う。

 

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