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『パリ 都市統治の近代』喜安朗(岩波書店)

パリ 都市統治の近代

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「ポリス的なものの近代的概念」

 新書洪水のなか昨秋出た一冊だが、地味ながら考えさせられることが多かったので紹介しておきたい。十九世紀前半フランス民衆運動史が専門で、長く日本女子大で教鞭をとった著者は、トクヴィル『フランス二月革命の日々』(岩波文庫)など、翻訳でも優れた仕事をしている。パリ近代史を語らせるなら、やはりこの人。ひそかに尊敬していた歴史家のライフワークに接する喜び。岩波新書も捨てたものではない。

 「ポリス」といえば、古代ギリシアの「都市国家」――などと連想するのは、古典文化にいかれた好事家くらいだろう。現代の国民にとって「ポリス」とは、「警察(police, Polizei)」であり、それ以外の何物でもない。では、そういう「ポリス=警察」なる、近代的あまりに近代的なものは、どのようにして出来上がったのだろうか。

 古代とはまた別の意味での、近代の「ポリス」の来歴を知るには、都市という「政治的なもの」に目を向ける必要がある。そして、国民国家という近代の政治システムを最初に築いたのがフランス革命であり、その舞台がパリであった以上、この都市の歴史にこそ、近代におけるポリス的なものの原初がひそんでいるにちがいないのである。

 本書は、「ポリス」という語を、警察のみならず広く「都市統治」を意味する言葉として用いつつ、その広義の「ポリス的なもの」が、次第に「ポリス=警察」の語感へと凝固してくる道筋を、丹念にたどっている。読者は、近代都市における公安権力の入り組んだ確立過程と、それに対する住民の側の抵抗のかたちを、窺い知ることができる。他方、読み方次第では――実証史家の抑制のきいた叙述からは洩れ聞こえないが――、M.フーコーの権力概念や「服従=主体」論、さらにはJ.ハーバーマスの『公共性の構造転換』と重ね合わせながら、パリ近代史の奥行きを学べる。読後に私は、やや大げさながら、「ポリス=警察の誕生」というさらなる副題を付けてみたくなった。

 本書が扱っているのは、十七世紀半ばから十九世紀半ばまでのパリの「都市統治」の変容である。まず「王権のポリス」という言い方が出てくる。ルイ十四世時代の絶対王政は、直属の代官により住民を支配しようと試みた。だがこれは、専制にはほど遠かった。なぜなら、パリの住民は、社会的結合関係(ソシアビリテ)を基盤とする自分たちの生活圏にポリスが直接介入してくることに対して、反感を示し、時には反乱を起こしたからである。また、カトリック教会の異端の教区民や、商工業者の同業組合(コルポラシオン)の職人には、不服従の気風がみなぎっていた。彼らの訴えを聞き届けたパリ高等法院が、王権の専制に法的な歯止めをかけることもまれではなかった。王令に異を唱える人びとのあいだでは、出版物が流布し、公論が重んじられるようになる。事の理非を「公衆」や「世論」に訴えるという、言論本位の政治文化が開花するにいたるのである。

 当時、そうしたにぎやかな日常空間において都市統治の現場を受け持っていた「警視」は、担当の街区で住民からの相談に乗り問題解決にあたる「調停者」と見なされていた。法令を上から一方的に押し付けて言うことを聞かせるという専断的なやり方は、住民の反発を買うだけであった。話し合いによる合意が重んじられたこの段階の都市統治を、本書は「合議的ポリス」と表現している。公論重視という点では、あたかも、「ポリス的なもの」の古代的観念が底流をなしていたかのごとくである。

 だが、近代の大都市に発生する「群衆」は、古代市民とはやはり異なる。抗議する民衆の群れに立ち往生するはめになったポリスは、やがて、みずからを「機動的ポリス」へと変容させていく。ゴミ収集制や街灯設置に始まり、警視に代わる捜査官制度、市内をパトロールする警察隊の編成、そしてパリ警視庁の設立へ。都市空間を規律化すべく機動性にとむ官僚機構がここに出現する。ただし、その移行は平坦なものではなかった。自分たちの社会的結合関係を脅かされると感じた街区住民の猛反発を食らったからである。

 上からの都市改革が進められようとしたパリでは、カフェや酒場、街頭で人々が自説を披露し合う状況が生まれ、住民の政治化が進行してゆく。注意すべきは、この動向のなかにフランス革命も位置づけられる点である。しかもそれは、両義的意味においてである。一方で、政治化した地区住民は自治的傾向を強め、市当局がこれを統制することは困難であったが、他方で、革命政府直属となったポリスの官僚体制自体は、革命期の動乱を通じて維持され、強化されさえした。つまり革命によって、自治的なポリスと集権的なポリスとが分立し、語義の相反する二つの「ポリス」が並び立つ状況が生まれたのである。

 それでどうなったか。結論から言えば、集権的な機動的ポリスが勝利を収めた。つまり、国民国家に固有な近代警察システムが成立するにいたったのである。

 都市統治の近代化は、一挙に達成されたのではなく、住民の抵抗に遭いながら、皮肉にもそれを肥やしとして、波状的、螺旋的に進められた。上からの統制に抗議する群衆の出現は、統治する側に危機感を募らせ、沈静化後のいっそうの管理強化につながってゆく。それに民衆も黙っていない。能動―受動の力の相互干渉が繰り広げられたのである。

 ここで新局面をひらいたのはフランス革命だった。革命の進行過程で民兵=国民軍を中心に愛国義勇の精神が高揚すると、いわば草の根レベルの「ポリス」が住民自身を自発的に管理し始める。地区ごとに選出された監視委員会が、反革命容疑者の摘発にあたった。その頂点に立ったのが、革命政府の保安委員会だった。相互に監視し合う住民の自治運動に後押しされるかたちで、ポリス的なものの国家警察化が達成されたのである。

 革命が終息しても、この集権的な都市保安システムは存続し、増強されていった。1800年、ナポレオンにより、パリ警視庁が創設された。警視総監の統率のもと、都市統治を分担する部局が細分化され、パリの街区では、警部―刑事―巡査という、都市警察の官僚機構が確立する。だからといって、住民はすぐ従順になったわけではない。19世紀前半には、労働階級の自発的ストライキが頻発し、都市秩序の危機があらわとなる。ブルジョワ層の教養サークルから民衆層の酒場サークルまで、さまざまなアソシアシオンが発展したのも、この時代である。著者の関心をそそってきた「叛乱するパリ」がそこにあった。

 都市統治とその危機の相乗作用の行き着いた先が、1848年の二月革命と六月の民衆蜂起にほかならない。戒厳令を敷いてそれを鎮圧したのは、アルジェリア植民地戦争で活躍した軍人たちだった。大革命の産物であった民兵=国民軍が、またしても、対外征服と一体化する形で内乱収拾にあたったのである。そればかりではない。パリの生活困窮者は、アルジェリア植民地へごっそり入植させられた。つまり、19世紀半ばに確立するパリの近代都市化は、国民国家の植民地政策と一つながりだった、ということである。

 光り輝く国民国家の帝都は、その始まりにおいて、権力と抵抗と暴力の三位一体を内蔵していた。同じことは、パリに始まる「ポリス的なものの近代的概念」を移植した各国の都に当てはまるだろう。EdoからTokyoへの移行もその一つ。ピカピカで衛生的で便利で安全で住みやすい大都市――その闇の深さを、本書は気づかせてくれる。

 私は、昔から警察が嫌いだった。近頃は、検察がたまらなく嫌いである。いや、私にかぎらず、「検察の正義」とはいったい何か、と疑問を抱いている人が今日少なくない。

 現代日本における「ポリス的なもの」。政権交代を超えてなお存続する、この無謬を誇る官僚組織の闇を直視しないかぎり、この国の未来はない。そういう切迫した問題意識をもつ人に、本書はおすすめである。現状を見すえ、明日をひらくには、歴史に学ぶにしくはない。系譜学的発見は、迂遠なように見えて、思いがけない可能性を示唆してくれる。

 検察権力への抵抗拠点たるアソシアシオンは、現代どこに形成されうるだろうか。


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