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『チャリティとイギリス近代』金澤周作(京都大学学術出版会)

チャリティとイギリス近代

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 「チャリティは、福祉国家の「諸起源」の一つであるのみか、その構成要素として生き続けている」。「二〇世紀後半以降にグローバルな規模で、ときに国境や国家主権を乗り越えて展開する国際人道支援の動きも、イギリスにとってみればことさら新しいものではない」。「終章 「チャリティの近代」のゆくえ」のこの2つの文章だけでも、本書の意義がよくわかる。現在、多くの社会が国家福祉のあり方について議論している。また、災害、紛争、貧困などといったグローバルな問題への国家の役割とNGO/NPOの役割とのあいだで議論が生じている。著者、金澤周作は、これらの議論に「他者救済の世界史」研究の成果をもって参加しようとしている。


 チャリティ(慈善)やフィランスロピ(博愛活動)といったイギリス社会にとってありふれたものが、歴史学的に考察されなかった理由は、ありふれたものだからこそ、そして近代になって公的な救貧行政と区別されたからこそ、「まとまった史料が残りにくく、堅実な実証研究をしようとすれば、いきおい史料の集中している一都市ないし一篤志協会における与える側の活動内容の詳しい検討ということにならざるを得ない」からだという。しかし、「本書は、これまで部分的にしか知られていなかった、この近代イギリスにおけるチャリティないしフィランスロピを、「民間非営利の自発的な弱者救済行為」と広く定義した上で、「全体」として再構成し、歴史上に位置付け、一つの歴史像を立ち上げることを企図している」。


 本書は、序章、3章、終章からなる。それぞれの章のはじめに、それまでの考察で明らかになったことをもとに、著者の意図が示されており、わかりやすい。「序章 偽善・不合理・前近代?-博愛活動とイギリス」で問題設定、構成を語った後、「第一章 さまざまなチャリティのかたち」では、近代英国のフィランスロピが5つの形態(信託型、結社型、友愛組合支援型、慣習型、個人型)の混成物であることを明らかにしている。つづく「第二章 近代国家とチャリティ」では、レッセ・フェール(自由放任)的傾向にあった英国国家は、弱者救済において、フィランスロピとどのような関係を取り結んでいたのかを考察している。これら2章から「近代英国におけるフィランスロピから五つの形態と巨大な財政的・実効的内実を持ち、帝国におけるフィランスロピとは対照的に、国家に対して関連しつつも相対的に自立した領域を保持していたこと」を明らかにした著者は、「第三章 慈善社会で生きるということ」で、「こうした英国内の独特な時空間において、人々はどのように振る舞い、また何を感じたのだろうか」を問題にする。そして、「終章」では、これらの考察・分析を踏まえて、「近代英国におけるチャリティのありかたとその後を、結論として語り直してみたい」という。


 本書の結論は、現代まで下ってきた後、「近代」に戻って述べる最後の部分で、的確につぎのようにまとめられている。「一八世紀後半から一九世紀後半にかけての近代英国において、自助と互助の次、そして公的救貧の手前にフィランスロピが占めていた位置は、前後の時代と比べても、おそらく同時代の大陸諸国と比べても、相対的に空前の規模に達していた。とかく前近代的なイメージを持たれがちではあるが、フィランスロピは、近代において、一つの自立領域を構成し、具体的な諸実践による多彩な弱者救済のみならず、都市化・工業化に伴う混乱への対応や主体およびナショナル・アイデンティティ形成にも積極的に関与した。英国の近代を考える際、地域・国・帝国・世界いずれのレベルにおいても、かくも人々の生活と心性に浸透していたフィランスロピを無視することは到底できない」。


 「そうすると英国の「近代」とは、フィランスロピ的志向を組み込んだ現象だといえるのではないか。ほとんどの中世のチャリティとは異なり、かならずしもキリスト教的倫理のみに収斂せず、身近にいる社会的・経済的な弱者のみならず、国も文化も異なる見知らぬ弱者へ救いの手を差し伸べるという態度・心性が社会の各層に浸透して自明化してゆくことは、善悪の判断はおくとしても、あるいは人類史上でもまれな根本的な人間観の転換、英国における「近代人」の誕生を示しているのではないだろうか」。


 「あえて強調するならば、フィランスロピは、英国の近代を構成し、現代までその刻印が押されている、「本質的」な要素なのである」。


 公権力中心に語られてきた近代は、公権力を過大評価しすぎていたことが本書から明らかになった。「一九世紀後半にあらわれる公教育も、チャリティの補完といった性格が強かった。また、病人、身体障害者、貧者、精神障害者、妊婦らに無料で医療を提供する各種の医療フィランスロピは、大半が毎年の寄付金を主要な財源」としていた。「国家とフィランスロピは別々の領域で互いに関連しあっているが、国家がチャリティに干渉することはなく、むしろチャリティが国家に干渉、言い換えれば国家を浸食していた。それゆえ、公的救貧は明らかにフィランスロピに期待していたのに対し、フィランスロピの側は公的救貧からの協力を求めず、かえって公的救貧を支援する立場を維持した」。フィランスロピは本質的に公権力によらなかったからこそ、一貫した活動ができたのであり、著者は「長い伝統と強固な構造を維持するフィランスロピの要素を考慮に入れずに二〇世紀以降の国家福祉を論じることは、不可能であろう」と述べている。


 そして、「チャリティの近代」を主張するにあたって、現代まで引き続く問題を念頭において、つぎのように「フィランスロピの時空間の有していた深い歴史的重要性を示している」。「この歴史像を受容するならば、医療や教育といった問題のみならず、国家レベルでレッセ・フェール的な政策決定や、救貧法実施を含む地方の行財政のあり方や、諸企業の雇用方針(賃金設定や福利厚生を含む)や、マクロ経済における営利活動の位置づけや、労働者の生活水準や、民衆運動や、ミドルクラスの階級教育や、社会集団間の結びつきかたや、知識人層の抱く社会・政治・経済思想や、「イギリス」人の帝国住民や国内の弱者へのまなざしやとりくみ、植民地人および後発国の「イギリス」観や、王族・貴族の社会的存在意義や、政治的なパトロネジの意味など、実にさまざまな論点を、フィランスロピ偏在というコンテクストを考慮して再検討せねばなるまい。同時代人にとって自明すぎたこの要素は、現在書かれている歴史の表面下に潜みがちであったが、実際には、時代を大きく規定していた」。


 英国に限定された議論のなかで、2つのことを考えさせられた。ひとつは、国家を超えておこなわれるフィランスロピについてで、もうひとつは王族との関わりである。より具体的には、前者は今日の国際救助・救援活動、後者は近年のタイの内乱がわたしの頭にあった。


 前者について、著者はつぎのように述べている。「海外におけるフィランスロピと国家(政府)による「自由」の名とは、翻って国内の英国人に、帝国(支配)を正当化する論理を提供し、また国内における国家からの干渉を受けつけないチャリティ実践と相俟って、フィランスロピに際立つ国民というアイデンティティを付与していった」。いま、わたしたちは国家戦力のなかでおこなわれる国際救助・救援活動と地球市民としておこなうものとの関わりをどう考えたらいいのだろうか。前回扱った国際赤十字の歴史とともに考えてみたい。


 後者については、著者はつぎのように述べている。「王族が、パトロンや会長といった名誉職に就いたり、多額の寄付をしたりといったように熱心に慈善に取り組んだことの意味、すなわちフィランスロピ戦略はどのようなものだったのか」。「王族は、一八世紀後半以来、徐々に低下してゆく政治力と反比例するようにフィランスロピに力を入れることによって、ミドルクラスをはじめとする社会の各層からの支持を受け、「人民の父(母)」としての自らの存在意義を保ち続けたのだ。社会の頂上たる王族から弱者救済事業に対してパトロネジを与え、団体の方でもそれを熱望するという現象は、とりもなおさずパターナリズムの発現であり、(略)、王族のパトロンの下に貴族(王族も含む)・大ジェントリの会長・副会長、さらにその下に富裕なミドルクラスの運営委員を配する篤志協会が、こうした華やかな貴顕・富裕の列に連ならんとする寄付者たち(大半は生活に余裕のある者だった)から財政面で支えられ、さらに下の貧者・弱者を救済するというありかたは、現行の社会階層秩序を体現すると同時に維持する力になった」。タイ国王は、王室財政をもって貧者・弱者を救済することによって、国民の敬愛の対象とされてきた。その王が高齢化し、跡継ぎに不安のあるなかで、タクシン元首相は都市貧困層や地方の民衆にたいする福祉政策をおこない、王と国家の役割分担が不明確になったことが、内乱の一要因だといわれる。本書の英国の例から、タイのことを考えるヒントが得られる。また、日本赤十字社の代々の名誉総裁が皇后であることなどから、日本のことも考えることができる。


 「専門バカではいけない、蛸壺は避けよ」を念頭において、「近代、歴史、ヨーロッパ、世界、日本、現在、他者救済の世界史といったものをたえず意識しながら書いてきた」著者だけに、本書は、英国の近代だけでなく、現代社会がかかえるさまざまな問題を考えるためにも、極めて有効な歴史的事例を示している。歴史学における西洋中心史観からの解放だけでなく、歴史学がほかの分野と協働していけるだけのものを本書から感じた。

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