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『ハンナ・アーレント -- 〈生〉は一つのナラティヴである』ジュリア・クリステヴァ(作品社)

ハンナ・アーレント -- 〈生〉は一つのナラティヴである

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「やわらかに描き出されたアレントの生と思想」

クリステヴァの女性評伝三部作のうちの一冊で、ほかの二人はメラニー・クラインとコレットだ。ある種の女性は、「精神生活の生き方の天才」(p.11)でもありうるという視点から、この三人が選ばれたようだ。ほかの二冊は未見だが、アレントに関してはクリステヴァはこの天才の描写に成功していると言えるだろう。ときに難解な文章も書くクリステヴァだが、本書はきわめて平明であり、アレントの個性を鮮やかに描きだしている。

とくに大きな印象をうけたのが、アレントの『ラーエル・ファールハーゲン』という書物の、わずかに精神分析的な解釈である第一章第三節「範例の意味」である。一七世紀末から一八世紀の始めにかけてベルリンでロマン主義者たちを集めたサロンを開いていたラーエルについてのアレントの解釈は、アレントの思い込みの強さによって見通しが悪くなっている本だが、クリステヴァアレントがラーエルの生を描写しながら、実はいかなアレント自身の気持ちをこめているかを、アレントの描写の襞に分け入りながら、描きだしている。精神分析者ならではの描きこみだろう。

何よりも、ユダヤ人だったラーエルが直面した同化とパーリアの選択肢は、アレントにとっても重要な問題だったのである。そしてアレントはラーエルの経験をつうじて、一つの解決に到達する。アレントヤスパースに、この書物は「シオニズムの同化批判の立場から書かれている」と語っているが、「疑いもなく彼女の本の背景をなしているこの政治的選択を通して、ラーエルに同行するアーレントにとっては、一人の女性のヒステリーを通過することが重要だったのである」(p.94)というのがクリステヴァの診断だ。

それだけではなく、アレントはこの書物をドイツの教授資格のための論文として認めるように、戦後に損害賠償の訴訟を提起して、一七九一年に勝訴している。これはアレントの思いの強さを示すとともに、これがたんなる一女性の伝記であるだけではなく、ドイツの大学の教授資格の請求論文となりうるものだという位置づけがアレントのうちでなされていたことを示すものであり、クリステヴァはこの論文は「彼女の政治思想の新の歴史=物語」だとまで読み込むのである(p.77)。そして「ラーエルとともに行ったこの自己分析の後、アーレントは概念のベルマとなったのだ。〈職業的思想家〉よ、さらば!」(p.95)という指摘もまた鋭い。

アレントの『精神の生活』における考察において、ポストキリスト教的なプロジェクトの到来が語られる第三章第二節「思考する〈自己〉の対話」も秀逸である。ここにクリステヴァは「生活」というアレントの概念の「ラディカルな変化」を見届けている(p.273)。それをキリスト教と結びつけて考えるべきかどうかは、問題のあるところであるが、アウグスティヌスの愛の概念の考察からここまで、一本の糸がのびていることは間違いないところだろう。

最近は多数のアレント論が発表されていて、アレントのさまざまな概念の詳細な分析が展開されるようになった。しかし本書にこうした分析を期待するよりも、「生は一つのナラティブである」というアレントの生き方と思想の深い結びつきを、柔らかで豊かな文章で描きだしたところを楽しむべきだろう。

【書誌情報】

ハンナ・アーレント : 〈生〉は一つのナラティヴである

ジュリア・クリステヴァ

■松葉祥一,椎名亮輔,勝賀瀬恵子訳

作品社

■2006.8

■329p ; 20cm

■ISBN 486182091X

■定価  3800円

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