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『シェリング哲学 : 入門と研究の手引き』H.J.ザントキューラー編(昭和堂)

シェリング哲学

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シェリングの位置」

しばらくチェックしないでいるうちに、シェリング研究がずいぶんと盛んになっていることに気付いて驚いた。なんと邦訳のシェリング全集の刊行まで始まっているのだ。パリのポンピドゥー図書館で、フランスでのシェリング研究がかなり盛んであることに感心したのはもう五年以上も前のことになるが、本書は世界的なシェリング研究の流行を背景に、シェリングの哲学のアクチュアリティを探ろうとする。シェリングの著作や遺作は膨大なもののようだし、こうした入門的な紹介は有益だろう。

シェリングの哲学とドイツ観念論には、ロマン主義的な思考とも共通して、「知と意識を内に含みながら同時にそれを超越している領域として精神を考える」(p.82)ところがあるが、シェリングにおいてはそれがグノーシスプラトン哲学の研究において、「神がかり」のうちに「われわれの内なる神」をみいだそうとすることをきっかけとしたという指摘(同)は納得できる。シェリンググノーシス研究からスタートしていたのだった。

そしてフィヒテシェリングの共通性と違いもそこにあると言えるだろう。「フィヒテが人間の意識における対立から出発して、その対立において前提されるべき絶対的自我にたどり着いた」のにたいして、シェリングは古代哲学の研究から、「神的意識ないし表象能力から出発した」のであり、「フィヒテのように経験的自我から出発しても、自分自身のように絶対的自我から出発してもまったく同じで、同一の三原則に到達する」(p.96)と言えるのである。

またシェリングは、「世界」としての自然と、科学的な自然法則が適用される自然とを分離したままに残していたのにたいして、シェリングの自然哲学はこの問題を解決する手立てを提示しているところも(p.104)、ドイツ観念論におけるカントの問題提起の大きさをうかがわせる。ヘーゲルは論理学と自然哲学を断絶させたが、シェリングは能産的な自然と所産的自然というスピノザの自然概念に依拠することで、二つの自然を通底させる道筋をみいだすのだ。

またカントは、燃焼というプロセスを、まだフロギストという実体的な原素によって説明しようとするが、シェリングの時代にはすでに酸素が発見され、原子の化合と分解という化学的な説明が可能になっており、シェリングは「化学が科として可能であること」の基礎づけを目指していたという指摘も興味深い。カントがニュートン物理学の可能性を基礎づけようとしたのに対して、シェリングは化学の可能性を基礎づけようとしていたのだ(p.133)。

シェリングの悪の概念や宗教哲学など、まだまだ興味深いところは多いが、晩年の積極哲学の議論において神話論に立ち戻るところがおもしろい。シェリングの神話論には次の三つの特徴があるという。

一)神話はオートポイエーシス的である。神話は作られるのではなく、自分自身を生み出し、自分自身の原因であり、有機的な構造をなす。

二)神話は有機的に編み出され、自分自身の原因となるから、自己と完全に一致している。これはシェリングの伝統では神話は「真理である」という結論を可能にする。

三)神話は「自意的」である。神話の真理は神話の内部にあるのだから、神話が意味するのは、神話そのものだけである(p.227)。

シェリングはこの神話のオートポイエーシス性に依拠しながら、主観哲学の枠組みを越える積極哲学の構想を進めるのだ。晩年のベルリン大学に戻った頃から、シェリングの積極哲学の時期が始まる。この時期のシェリングは評判が悪いが、初期のモチーフを失わずに掘り下げ続ける腕力と執念はさすがだ。

シェリング哲学 : 入門と研究の手引き

■H.J.ザントキューラー編

■松山壽一監訳

昭和堂

■2006.7

■288,59p ; 22cm

■ISBN  4812206227

■定価  3800円

■目次

F.W.J.シェリング(生成途上にある作品)-入門

シェリング研究の水準について

シェリングの哲学的始元に対する古代哲学の意義

ドイツ観念論におけるシェリング

自然の哲学

芸術哲学

歴史哲学

神話の哲学

啓示の哲学

シェリングにおける法、国家、政治

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