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マリオ・プラーツ編 『文学、歴史、芸術の饗宴』 全10巻 (うち第1回配本・全5巻) 監修・解説:中島俊郎/発行:Eureka Press

A Symposium of Literature, History and Arts.

Edited by Mario Praz [English Miscellany所収論文集]

A Symposium of Literature, History and Arts

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■第1回配本 (1950年-1967年) 全5巻

 税込価格¥102,900 (本体¥98,000)

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■第2回配本 (1968年-1982年) 全5巻

 税込予価¥102,900 (本体¥98,000)

 (2008年秋刊行予定)

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あのマリオ・プラーツが中心でにらみをきかせた文と学の一大帝国

当ブログ愛好の明敏なる諸氏にはすでに御明察の通り、たまたま最近刊行、落掌の本をただ気紛れに取り上げているのではなく、そういう本で一テーマを構成するように選び、論じるなかなかきつい作業を書評子は続けてきたのである。機械と発明というテーマで16世紀から19世紀末までいろいろ拾ってきた。そういう連続線はなおシヴェルブシュやスティーヴン・カーンの19世紀文化史への評として続いていくはずのところ、ここで初めてどうしても一回、突然ふってわいた事件のため、少し中断させてもらえないか。マリオ・プラーツが精力的に編集した伝説の文学・美術研究誌“English Miscellany”(1950-1982)中の英語論文ばかり約230本を採りだして、『文学、歴史、芸術の饗宴』の名の下、全10巻として刊行しようという大企画がいよいよお目見えしたからで、これは大いに慶賀しなければならない。

なにしろ厖大な量の活字ゆえ、とりあえず今秋は第一期分(1950-1967)の全5巻。本体価格は松岡正剛『千夜千冊』級の10万円弱だが、どう評価するか。一世の大碩学プラーツについて、もはや何か言う必要もないだろうが、編集人、目利きとしても想像通りもの凄いものを持っており、特に英文学とイタリア文学との融通交流を一挙実現させることを目指した“English Miscellany”は、途中からジョルジュ・メルキオーリ他「プラーツ」組の面々に助力を求めながら御大が総力編集の腕をふるった、「名」や「超」の付く大ペリオディクルである。雑誌の性質上、半分はイタリア語論文であるが、なにしろ厖大活字量ではあり、読書人口というものをクールに考えて、英語論文のみ採った。といっても圧倒的な分量である。

1950年第一号、ということは、要するにシェイクスピア同時代の形而上派詩(ジョン・ダン、リチャード・クラショー他)に対するマリニスモ的関心がイタリアで急に盛り上がった時期。マリニスモとは少々耳慣れぬ語だが、マニエリスムの別名である。要するに、マニエリスムバロックから19世紀末唯美派文芸へという、今日むしろ単純に「プラーツ」風と言ってしまえばいっそわかり易いような「負」の系譜からヨーロッパ文学を見ようという御大の「グスト」(“gusto”[趣味])がよく行き渡った雑誌である。「負」を改めて負として際立たせる「正」の系譜――新古典主義――への怪物的な造詣でもプラーツは有名だが、そちらへの目配りも周到で、かつて目にしたことはないが、正負よろしく均衡を得た一大比較文学論集の登場となった。

たとえば先ほど、メルキオーリのことを言った。この博読家の『ファナンボーリ(綱渡り師)』一冊訳された暁には、ペイターからヘンリー・ジェイムズまで、19世紀末にまぎれもない英語圏マニエリスムが存在したことが不動の事実となるはずだ。英訳もされたが、引かれて利用されたのを見たことがない。むろん大プラーツ級とはいかぬにしろ、プラーツ・タイプの何十人もの常連論者がぞろりと並ぶ総合目次には息を呑むほかない。

イタリア文学に強そうなことをしきりと書いていた故篠田一士氏のイタリア文学情報源は主にこの“English Miscellany”であったことを、ぼくは旧都立大英文科の伝説的書庫で知った。他に読む者ありとも思えぬ全30号に、この種の雑誌類には珍しく、すべて丁寧にペイパーナイフの刃先が入っていたのだ。

本当に230本の論文の一本一本が、プラーツ自身大好きな言い方だが、「珠玉」である。たとえば、かつて月刊誌『ユリイカ』が「文学と建築」の特集号を組むにつき、一本翻訳で論文をと言ってよこした時、“English Miscellany”が日本語に移し換えられるとどうなるか、この目で見たくて、第3号(1952)掲載のヨルゲン・アンデルセンの「巨大な夢」を同僚の井出弘之氏に訳してもらって載せたが、建築狂ホレス・ウォルポール、ウィリアム・ベックフォードが何故ああしたいわゆるゴシック小説をうみだすに至ったのかの実に華やかな大論文として日本にお目見えした。1980年代「ゴシック文学」ブームの中で別に珍しくもなくなった視点だが、1950年代にしてこのレヴェルの論文エッセーが満載されている。

別に昨今の英米文学のペリオディクル(“PMLA”、“English Literature”、etc. )を子供と言うつもりはないけれど、「英文学」が「ヨーロッパ文学」というスケールの中で捉えられていた時代の「大人の英文学」に魅了されるのも、カルチュラル・スタディーズ漬けで腑抜けになった英文学に喝を入れるのに好個かもしれない。ちなみに米文学についても姉妹雑誌“Studi Americani”があるが、こちらはプラーツその人の編集ではない。ペイパーナイフも入っていなかった。

ぼくの長年の知人が関西でやっているEureka Pressは、ピクチャレスク関係の復刻など試みるまことに奇特な版元。是非、もっともっとアッという復刻ができるよう、支持してあげたい仕事ぶりである。

期せずして、一時代を画した発明としての編集ということで、先回のエッツェル本の評につながったのが嬉しい。考えてみると、シニョール・プラーツ(1896-1982)だって19世紀人と言えなくもない(!?)


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  1. 『官能の庭 マニエリスム・エンブレム・バロック』 若桑みどり・訳 (ありな書房、1992/02)

  2. 『ペルセウスとメドゥーサ-ロマン主義からアヴァンギャルドへ』 末吉雄二/伊藤博明・訳 (ありな書房、1995/02)

  3. 『綺想主義研究-バロックのエンブレム類典』 伊藤博明・訳 (ありな書房、1998/12)

  4. 『ムネモシュネ-文学と視覚芸術との間の平行現象』 高山宏・訳 (ありな書房、1999/11)

  5. 『肉体と死と悪魔-ロマンティック・アゴニー』 倉智恒夫/草野重行/土田知則/南条竹則・訳 (国書刊行会、2000/08)

  6. 『蛇との契約-ロマン主義の感性と美意識』 浦一章・訳 (ありな書房、2002/03)

  7. 『バロックのイメージ世界-綺想主義研究』 上村忠男/尾形希和子/廣石正和/森泉文美・訳 (みすず書房、2006/06)

  8. 『ローマ百景〈2〉-建築と美術と文学と』 伊藤博明/上村清雄/白崎容子・訳 (ありな書房、2006/09)