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『ヘーゲルにおける理性・国家・歴史』権左 武志(岩波書店)

ヘーゲルにおける理性・国家・歴史

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「久々の本格的なヘーゲル論」

 ここ数年は本格的なヘーゲル論をあまり見掛けなかったので、本書のようにまとまったヘーゲル論の刊行は、ヘーゲリアンにとっては嬉しいかぎりである。ぼくもしばらくヘーゲルから遠ざかっていたので、ブラッシュアップになって楽しかった。

 第一章では、ヘーゲルの歴史哲学の神学的な背景を考察する刺激的な論文である。著者は、これまで刊行されてきたヘーゲルの歴史哲学の版では、その基礎となっている三位一体のキリスト教神学の土台が隠されていたために、ヘーゲルの真意が見にくくなっていることを指摘する。

 そして東洋、ギリシア・ローマ、西洋の近代という自由の発展を基礎とした「歴史における理性」の概念は、「一見すると普遍主義的な立場を代弁するかに見えて、実はキリスト教的正統という特定の限られた立場から構想されているにすぎない」(p.10)という疑念は、根拠のあるものであることを認めるのである。

 それと同時にヘーゲルの歴史哲学には、「初期には古代ギリシア、晩年には古代オリエントという異なる他者の文化との接触と対決を通じて得られた、ヘーゲル自身による地平の融合の所産」(p.35)が含まれるのであり、一見するとエスノセントリズムの外見のうにちに、「マルチカルチュラルな洞察」(p.35-36)が含まれることも忘れるべきではないという。

 第二章ではこの問題をさらに深めて、ヘーゲルは「神の人間化というキリスト教起源の思想こそ、一方で神の無際限な感性化、他方で特定個人の排他的神格化という両極の偏向を排し、真に精神の自由を根拠づける普遍的原理たりうる、そしてキリスト教的三位一体をモデルという〈歴史における理性〉の普遍妥当性要求こそ、精神の自由を自覚し実現していく人類史の原動力たりうる」(p.54)と考えたことを指摘し、その帰結として生まれる「改宗かさもなくば征服というアウグスティヌス以来の正戦概念の発動をいかにして回避できるか」(同)という問題、そして異文化の対立はどのようにして「文明の衝突」とすることになく、対話の可能性を維持するかという問題は、現代のわれわれにとってもアクチュアルであると指摘する。

 第三章では宗教改革とその帰結としての国家と宗教の分離、そして世俗化のプロセスについての考察を中心とする。ヘーゲルカトリックと比較して、プロテスタント教会と世俗の関係をひとまず肯定的に評価する。ルター以後は「独身に代わり、結婚が神聖化され、無為に代わり、労働による自立が重んじられるとともに、教会への盲目的服従に代わり、国法への良心による自由な服従が推奨された」(p.73)。

 しかし同時にヘーゲルは、ウェーバーが指摘したようなプロテスタントに固有の精神的な緊張についても意識的である。「ヘーゲルは、マックス・ウェーバーに先立ち、プロテスタントの内省精神が世俗化により引き受けた新たな負荷の本質を的確に言い当てる一方で、こうした内面的な極限状況の恒常化こそ、フランス革命後に現れたロマン主義者たちをカトリシズムに転向させた要因であることを鋭く見抜いている」(p.73)のである。

 第四章は、「ドイツは国家ではない」と嘆いていたヘーゲルが、ナポレオンに侵攻されたオーストリアの帝国の危機にあって、明確に主権概念を確立するために貢献したことを考察する。ヘーゲルは初期の法哲学において身分的な制度を容認していたが、「帝国解体とライン同盟改革という歴史的断絶の体験から」(p.117)、これでは国家の主権を確立できないと考えるようになった。封建的な中間権力を剥奪して、「所有権を私法化することにより初めて、〈人格と所有の自由〉に基づく私的自治の領域」(同)すなわち、国家とは異なる市民社会の領域が確立できることを認識し、他方では統一的な権力を「政治的国家」として確立できることを認識するにいたったという。

 第五章は、若きヘーゲルの共和主義的な理念から、一八〇七年の『精神現象学』にいたるまでの思想的な発展を、「共和主義-プロテスタンティズムという思想史的座標軸を用いて整理」(p.122)したものであり、分かりやすい展望を与えてくれる。

 第六章は、ヘーゲル法哲学は「プロイセンの御用哲学」という戦後ドイツの評価をいかにして克服していったかという論争の歴史であり、詳細な説明が理解を助けてくれる。ヘーゲル法哲学講義はさまざまなバージョンが発表されてきたために、議論も錯綜したものとなっているが、その背景には「学派間の争い」(p.204)もあったという、いかにもアカデミズムにありそうな事情も明かされる。

 第七章と第八章は、ヘルダーリンの刺激のもとでヘーゲルが独自の哲学を構想するようになった経緯を『精神現象学』まで辿るものであり、初期ヘーゲルの思想的な経歴を一瞥できる。とくに第八章の第一節までは、足取りもしっかりとしたものであり、お勧めである。ただ、今回書き下ろしで加えられた第二節は、イエナ時代の中期から後期にかけて、かなり早足で総括する。『自然法論文』『人倫の体系』『イエナ哲学構想』など、この時期の著作について、著者のもっと深い考察が読みたかった。

【書誌情報】

ヘーゲルにおける理性・国家・歴史

■権左 武志【著】

岩波書店

■2010/02/23

■393p / 21cm / A5判

■ISBN 9784000247122

■定価 8400円

●目次

第1部 ヘーゲル歴史哲学の成立とその背景

第一章 「歴史における理性」は人類に対する普遍妥当性を要求できるか?―ヘーゲル歴史哲学の成立とその神学的・国制史的背景

第二章 「歴史における理性」はいかにしてヨーロッパで実現されたか?―ヘーゲル歴史哲学の神学的・国制史的背景

第三章 世俗化運動としてのヨーロッパ近代― 一八三〇年度歴史哲学講義における自由の実現過程とその基礎づけ)

第2部 ヘーゲル国家論と法哲学講義

第四章 帝国の崩壊、ライン同盟改革と国家主権の問題―ヘーゲル主権理論の形成とその歴史的背景

第五章 西欧政治思想史におけるヘーゲルの国家論―その起源と位置づけ

第六章 ヘーゲル法哲学講義をめぐる近年ドイツの論争

第3部 初期ヘーゲルの思想形成

第七章 若きヘーゲルにおける政治と宗教

第八章 イェーナ期ヘーゲルにおける体系原理の成立


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