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『ゲーム理論と共に生きて』鈴木光男(ミネルヴァ書房)

ゲーム理論と共に生きて

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ゲーム理論にかけた人生」

 ゲーム理論はいまや経済学に限らず他の社会科学や自然科学でも広く使われるようになっているが、本書(『ゲーム理論と共に生きて』ミネルヴァ書房、2013年)の著者(鈴木光男・東京工業大学名誉教授、1928年生まれ)が若い頃はそうではなかった。鈴木氏の人生はひとえにゲーム理論の発展と普及に捧げられたといってもよいが、ミネルヴァ書房の「自伝」シリーズの一冊として著されただけに、単に分析手法の解説に終始するのではなく、鈴木氏の人生とのかかわりがどのようなものであったかに重点が置かれた興味深い本である。

 私の学生時代は、鈴木氏の初期の著作『ゲーム理論』(勁草書房、1959年)がまだ版を重ねていたが、いま思い出しても、学問的水準を落とすことなくゲーム理論がどのようなものなのかを丁寧に解説した名著であったと思う。ゲーム理論の先駆的な業績は、例えば、1920年代(ジョン・フォン・ノイマン「社会的ゲームの理論について」1928年)や30年代(オスカー・モルゲンシュテルン「完全予見と経済均衡」1935年)に発表されていたが、経済学の世界にしっかりと根を下ろしていくのは、ノイマンとモルゲンシュテルンの共著『ゲームの理論と経済行動』(1944年)の公刊以後だと言ってもよいだろう(この古典的名著は、いまでは「ちくま学芸文庫」に収録されている)。

 鈴木氏の『ゲームの理論』はそれから15年経過した時点での著作だが、「ゼロ和2人ゲーム」「非ゼロ和2人ゲーム」「協力ゲーム」「非協力n人ゲーム」など現代経済学の教科書にも載っている分析手法をほとんど取り上げている。もちろん、現在では、ゲーム理論自体が当時よりも高度に進化していることは付言しなければならないが(注1)。このように、私の世代は、鈴木氏のことをゲーム理論の専門家として見なしていたのだが、本書を読むと、鈴木氏がゲーム理論に辿り着くまでには紆余曲折があったことがわかる。

 鈴木氏は、山形高等学校理科甲類を経て、1948年4月、名古屋大学理学部数学科に進学したが、まもなく数学の講義があまりに抽象的で、もっと人間的なことを学びたくなった。だが、文学部では何をやってよいのか自信が持てず、数学の先生からは転向は諦めるようにといわれるなど、自分の進路について悩む日が続いた。そんなとき、友人のひとりが、東北大学経済学部に数理経済学という学問を研究している偉い先生がいると教えてくれた。黎明期の日本の理論経済学の発展に貢献した安井琢磨教授(1909-95)である。そこで、1949年2月には名古屋大学数学科を退学し、同じ年の4月に東北大学経済学部に入り直した。そして、安井教授のすすめでゲーム理論の世界へ入っていくことになるのである。

 ゲーム理論の大家となった後年、「なぜゲーム理論家になったのか」と尋ねられるたびに次のような趣旨のことを答えていたという。

「私が数学から経済学に移ったのは、抽象的な世界よりももっと人間的な世界について勉強したいという気持ちからであった。私は天下国家を論ずるというタイプではないので、集団としての社会よりも、個々の人間の行動に関心があって、個々の人間の行動から出発して、集団としての社会現象を理解しようとする気持ちがその基礎にあった。

 そして、それまでのケインズ経済学や一般均衡理論、また、新しく入ってきた投入産出分析や線型計画と違って、ゲーム理論では、人間がプレーヤーとして表面に出てきて、人と人との相互間の行動を直接考えるところに魅力を感じていた。農村工業の調査で、人と人の関係が経済の基礎にあると感じていたことも大きい。高校時代から演劇に興味をもっていたことも、背景になっている。」(同書、161ページ)

 鈴木氏は、モルゲンシュテルンのいるプリンストン大学への留学のあと、東京工業大学に職を得て、その大学の社会工学科の設立と発展に寄与することになるが、鈴木氏がその頃に書いたエッセイ(「社会工学の誕生」『経済セミナー』1968年6月号)の中には次のような文章がみられる。

「科学技術をいかにして、人類の手にしっかりと捉え、それを人間社会の内的存在と化するかという課題こそ、これからの人間社会の最も重要な課題である。資本主義か社会主義かという問題も、そのいずれの体制が、この重要課題に対してより適切な解答をもち、より完全に科学技術を人間社会の内的存在と化しうるかという観点から評価されなければならない。

 諸科学の綜合という困難な課題に対して、工学の立場から、その第一歩を踏み出したのが、わが社会工学である。機械の発明によって人間を手の労働から解放した工学は、科学技術が生み出した社会の急激な変動がもたらす苦悩から、ふたたび人間を解放し、人間が真に人間らしく生きる社会を創造しなければならない。

 われわれの社会工学科は、工学のなかに社会科学的要素を導入して、工学を新しい視点から組織し、社会工学という新しい皮袋にもるという希望から生まれた。それは細分化された諸科学を綜合しながら、より高い次元で、社会と技術との統一的な体系を確立しようとするものである。

 新しい技術、新しい思想とはまさにこのようなものである。技術なき思想は無力であり、思想なき技術は危険である。両者が統一されてこそ初めて現代の思想といえるであろう。」(同書、212-213ページ)

 高度成長期を反映した未来志向の格調高い文章であるが、公害をはじめとする成長の影に隠れていた諸問題が吹き出すにつれて、鈴木氏の関心も情報化社会の矛盾(故郷の崩壊や人間の風化など)へと向かっていく。『社会を展望するゲーム理論』(勁草書房、2007年)は、このような問題意識をもって書かれたが、鈴木氏が指摘した問題はいまだに未解決と言ってもよいのではないだろうか。

 一昔前、一般均衡理論では、均衡解は存在するのか、存在するとすればそれは一意(唯一の意)なのか、そしてそれは安定的なのかということが大問題であったが、ゲーム理論では、有名な「ナッシュ均衡」のように、均衡点が複数存在しうる。おそらく、そのような世界に長くかかわってきたがゆえに、鈴木氏はある対談の中で次のように発言したのだろう(注2)。

「私は、均衡点がただ一つ存在し、しかも、それが極めて安定であるような社会に不安を感じた。ただ一つの強安定な均衡点を持つ社会では、希望が持てない。もしそのような社会ならば、それを変革する運動が起こるのは必然である。均衡点がただ一つとは限らず、そしてそれが必ずしも安定でない社会こそ、人間的な社会である。」(同書、230ページ)

 鈴木氏のようなゲーム理論家からこのような問題提起がなされたことは重要だが、逆に言えば、当時、経済理論家の中にはそんなことをいう人はほとんどいなかったということでもあり、ある意味で恐るべきことである。「多様性」を失った「人間的な社会」などは存在しないからだ。鈴木氏は、のちに東京工業大学の工学部社会工学科から理学部情報科学科へと移籍し、そこで定年(1988年3月)を迎えるわけだが、東工大を去るに当たって、「情報科学科をどのような学科にしたいですか」という質問への回答にも同趣旨のことを繰り返している。

「去る者は言わず、と言いますから、多くのことを言うのは差し控えます。願わくば、多様性のある学科であってほしいと願っています。さまざまな分野があって多様な花を咲かせ、どの分野でも日本の指導的立場に立って研究を進めるような学科になることを期待します。」(同書、282ページ)

 鈴木氏は、東工大を定年したあと、東京理科大学(工学部経営工学科や経営学部)で教鞭をとることになるが、1980年代はゲーム理論が飛躍的に発展し、経済理論のメインストリームの中にも入っていった時代なので、新たにゲーム理論のテキストを執筆する必要性を感じていたらしい。その成果は、『新ゲーム理論』(勁草書房、1994年)となって現れたが、この本を読んでも、鈴木氏がゲーム理論の研究者としてばかりでなく教育者としての使命感を持っていることがひしひしと伝わってくる。

 東京理科大で二回目の定年(2000年3月)を迎えたとき、鈴木氏は大学を去るに当たっての言葉の中で次のように述べている。

 「日本は明治以来今日まで役に立つ知識の量を一生懸命に増やして来ました。確かにわれわれの知識の量は増えました。しかし、それによって日本の社会が知性的になったと言えるでしょうか。むしろ役に立つ知識の量を増やすことに熱中している間に、日本人が本来持っていた知性や感性を失ってしまったのではないでしょうか。インターネット社会は、日に日に飛躍し、グローバル化はますます進行し、人々の心はこの新しい社会に適応することができず、混迷を深めています。われわれは、今、失った知性や感性を取り戻さなければなりません。」(同書、315ページ)

 正直に言えば、私は鈴木氏のゲーム理論の本しか読んだことがなかったので、この方がこのような考え方をするとは認識していなかった。ミネルヴァ書房の「自伝」シリーズが、著者の学問的遍歴ばかりでなく「人間性」を伝えるような企画となっているとすれば、本書は稀にみる成功例のひとつではないだろうか。

 昔の経済学の大家は、ジョン・ヒックスにせよポール・サミュエルソンにせよ、ゲーム理論の可能性に対しては懐疑的であった。日本のある大家などは、「遊戯の理論は理論の遊戯である」とまで言ったという(ゲーム理論は日本への導入期に「遊戯の理論」と訳されたことがある)。だが、本書を一読すれば、そのような「逆風」のなかでゲーム理論がどのように日本に受容され、発展し、ついには経済学のメインストリームにまで食い込んでいく、まさにその過程を辿ることができるだろう。難しい数学などは一切出てこないので、数学が苦手な読者にも一読をすすめたい。

1 『ゲーム理論』の付録には「不動点定理」の解説が載っていたが、鈴木氏は、この部分はゲーム理論自体に批判的な人たちにも好評だったという。実際、私も学部時代は一般均衡理論を勉強するゼミに属していたのだが、その分野で使われる不動点定理の理解に役立ったことを覚えている。

2 対談の一つは、『週刊東洋経済』の企画「幸福と社会科学」(対談者は岡本哲治氏)、もう一つは、『週刊東洋経済臨時増刊 近代経済学シリーズ』の企画「真の豊かさとは何か―福祉の文明論考察」(対談者は、江藤淳、大木英夫、公文俊平の三氏)だが、どちらも『経済学との対話』(東洋経済新報社、1972年)に収録されている。

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