書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

プロの読み手による書評ブログ

『オーケストラ楽器別人間学』茂木大輔(新潮文庫)

オーケストラ楽器別人間学

→紀伊國屋書店で購入

「楽器に潜む人間性

我々の使う楽器には、それぞれの異なる性格が潜んでいる。その楽器と長く共に生きていれば、不思議と演奏家の性格は楽器の持つ性格に似てくる。


ピアノはメロディーと伴奏が同時に弾けるだけではなく、これさえあれば弦楽四重奏曲もオーケストラ曲も弾けるという便利な楽器である。その反面、室内楽を弾くときを除いて、他の楽器との合奏を必要としないために孤独な楽器でもある。

ピアニストは幼少の頃から一人でこつこつと練習する。私の経験から話すと、学校での課外授業などは持ってのほか、終業のベルが鳴ると同時に教科書をカバンにしまい、野球やサッカーをしている友達を遠くに見ながら校門を出る。外で遊びたくても遊べないし、親の目を盗んで家から忍び出る勇気も無い。このような毎日を過ごしていくと、色白で孤独を好む僻みっぽい人間になるのである。この書評ページに登場している今井顕氏は、ピアニストの中でも例外中の例外と言ってよい。

男子に比べて女子の場合、ピアノが弾けるというだけで学校では羨望の的となる。(男の場合、学校ではピアノを弾くことを内緒にしている。)家に帰って母親の手伝いでも始めようなら、「そんなことをするなら、ピアノの練習をしなさい。」と言われ練習に励む。食事時などは、やれ茶碗を持っては手の形が変わる、やれ箸を持っては腱鞘炎になる、熱いものを持っては指が動かせなくなる、食器を洗おうと席を立とうものなら家中が蜂の巣をつついたように大騒ぎ。まるでお姫様のように育てられるのである。ゆえに彼女たちは「世界は私を中心に周っているのね。」と勘違いしながら育っていく・・・と言うのが一般的である・・・一般的であるらしい・・・いや、一般的らしいかもしれない。

ヴァイオリンは必ず高い音域を受け持っている。オーケストラでも聴衆に聴かれやすいパートを演奏している。つまり、常に目立つ立場にいる楽器である。従ってヴァイオリニストにシャイな人は少ない。であるが高音域になると細かい音程を正確に弾くのは難しく、その理由からか、なかには人一倍、神経質で気難しいヴァイオリニストもいる。ヴァイオリンの下にはヴィオラがあり、この高低の差は身分の差、または給料の差にまで反映してくる。例外もあるだろうが、ヴィオリストには性格のおっとりした人が多い。ヴィオラよりもさらに低い音域を受け持つチェリストは、出す音から想像できるように、太っ腹な性格であり理解力がある人が多い。ここにも勿論、例外はいるが、チェロの持つ性格からかチェリストには人から嫌われる人間はいないと言ってよい。

女子がフルートやハープを弾くときは誰でも美人に見える。華麗なドレスを着て演奏するときなどは、舞台一面に高貴な色気が漂う。フルーティストとハーピストが同時に登場すると、あたかも女神が降りてきたように美しく、演奏はそっちのけで容姿にうっとりとしてしまう。この美しさに魅され、演奏後に楽屋に行ってがっかりすることも多いので要注意。

同じ女子でもトランペット奏者や打楽器奏者にドレスは似合わない。打楽器は容姿よりも体力が必要とされるために、ドレスを着ての演奏は無理である。裾の広がった白いドレスを着て、額に汗して大太鼓を叩いている姿は似合わない。トランペト奏者もドレスを着て演奏しているのを見たことが無い。なぜか彼女たちには黒いパンタロンが似合うのである。彼女たちは日常生活でもスカートを穿く機会は少ないのであろう。

楽器の持つ性格が演奏者に反映して演奏家の性格を変えていくのか、あるいは、もともと楽器に似た性格を持つ人間が自分に似た性格の楽器を選ぶのかは分からない。このような楽器別に存在する人間性を面白おかしく書いた本が「オーケストラ楽器別人間学」である。この書によると、ヴァイオリニストの場合、男子は都会派のエリート、家は高級マンションで車は当然ベンツのクーペ。女子はまじめ少女の順調路線、趣味はショッピング、車はナシ。ヴィオリストは素直な性格で、家は都会から40分ぐらいの川のそばにある一戸建て、車は国産の4ドアセダン、とある。なんとなく当たっている演奏家がいるから面白い。

さて、著者の茂木大輔氏はプロの音楽家である。音楽家と言ってもただの音楽家ではない。そのラ音で全楽器の音程を揃えなくてはオーケストラの合奏が始まらない重要な楽器、オーボエを奏している。彼は日本の音楽大学を卒業後、ミュンヘンに留学、シュトゥットガルトフィルハーモニーの第一オーボエ奏者となる。帰国後は、視聴料を取ることで有名な放送局と同じ名前の某オーケストラ(アルファベットで3文字)、彼はそこの首席オーボエ奏者である。

クラシック音楽家の中にも、茂木氏のようにユーモアのある人間がいるのである。貴重な本かもしれない。


→紀伊國屋書店で購入