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『炎の人(ハヤカワ演劇文庫)』三好十郎(早川書房)

炎の人(ハヤカワ演劇文庫)

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「<劇評家の作業日誌>(45)」

古今東西の名作を廉価で読める「ハヤカワ演劇文庫」の刊行が開始されたのは、2006年、アーサー・ミラーの『セールスマンの死』からだった。


 70年代には角川文庫や新潮文庫でかなりの数の戯曲を読むことができた。寺山修司唐十郎別役実やつかこうへいなど、現代戯曲を身近に感じさせることへの貢献は大きかった。だがその後、戯曲の文庫化は途絶えた。

時折、岩波文庫で刊行されることはあったものの、これは昔の名作の焼き直しか、全集からの余滴であって、あくまで例外にすぎなかった。それが早川書房から「演劇文庫」として刊行されるようになったことは、一つの慶事だと言っていい。ミラーやニール・サイモンに始まり清水邦夫別役実坂手洋二らが次々と刊行され、ついに三好十郎作『炎の人』がこの文庫に加わったのだ。この6月、栗山民也演出、市村正親主演で再上演されることを契機にした出版企画だ。

 三好十郎は1902年佐賀県に生まれ、上京の後、劇作活動を始め、1958年に没するまで、旺盛な活動を続けた。戦中戦後を代表する劇作家の一人である。死後、学芸書林から「三好十郎の仕事」として全4巻が刊行され、60~70年代まではよく知られる作家だった。彼は頑固一徹さとどこまでも「私」性を追求することで、妥協を許さない孤高の劇作家として有名だった。

 その彼が、画家ヴィンセント・ヴァン・ゴッホをモデルにして書き下ろしたのが、この『炎の人』である。初演は1951年の劇団民芸(演出=岡倉士朗)。主演のヴィンセントを演じたのは、名優滝沢修だ。わたしは30年ほど前にこの舞台の再演を見たことがあり、つい最近も、当時のビデオを見直したが、滝沢修のの演技は、今見ても鬼気迫るものがある。まさに新劇を代表する名作だ。

 オランダ生まれの画家ヴィンセント・ゴッホの評伝劇は、世紀末のパリや晩年を過ごしたアルル地方などを舞台に、ゴーギャン(劇中ではゴーガン)やロートレックといった当時の画壇を賑わした実在の人物たちがほぼそっくり登場する。そこで精神に病んでいくゴッホの生活とついには耳を切り落とす惨事に至った実際のエピソードが物語として展開される。敬愛以上の自己犠牲で兄を支えたテオ(ドール)の献身など見るべきところが多い。

 だが一癖も二癖もある劇作家は通りのいい評伝劇を書くわけがない。彼の描いた世界は、貧しかった時代を背景に、飢えと日々のパンにも事欠く困窮の日常が彼の生活を覆っていた。これは1950年代の日本の社会そのものの映しでもあろう。おそらく作者は、ゴッホを50年代の貧しい日本に召喚し、そこに自身を過分に投影させようとしているのだろう。絵画に命を賭けた主人公は、精一杯生きようとする。そこに作者の貌も重なって見える。

 今回の市村=ゴッホは、以前見た滝沢=ゴッホを踏襲しているように見えた。暗い色調のなか、押さえた静謐な演技から、生きることへの誠実さ、真摯さがこの劇のベースになっている。

 若き日のゴッホは、正義感に燃えた宗教家だった。だが彼が関わった労働争議がその裏で世俗化した教会権力と結びついていることを知った時、彼は深い挫折を知って、画家の道を選びパリに出る。だが弟の仕送りに頼る情けない兄は、画家未満にすぎなかった。

 暗い色彩の絵を得意としたゴッホは、パリに上京する。そこで初めて明るい色調の「印象派」が台頭していたことを知り、多大な影響を受け、模倣に走る。オランダやベルギーから見れば、パリは芸術の中心であり、「憧れ」の都市であった。戦後まもなく書かれたこの戯曲では、そうした社会情勢や芸術環境が色濃く投影されている。地方から一途な思いでやって来た者特有の焦り、いまだデッサンが満足に描けないコンプレックスなどが入り交じって、彼はパリの画壇の社交界に馴染めない。それはそっくり三好のそれでもあったろう。

 この劇は一種の芸術論としても展開されている。とくにゴーギャンとの対話など気迫のこもった論争も見せ場の一つになっている。自然のマチエール(素材)を活かすことが絵だとするゴッホと、芸術とはあくまで自分の内部に投影されたイマージュであり、実在とは無関係だとするゴーギャンとは鋭い対立をなす。この対称は、人間の生き方そのものにも還元される。近代的自我が強固な芸術家を登場人物に据えれば、こうした視点が浮かび上がってくるのは必定だろう。一言でいえば、「近代的人間」(キャラクター)が全面に押し出されているのだ。

 だが、この劇にはもう一つの視点が見え隠れしている。

 『炎の人』のラストシーン(エピローグ)は男の語りで締め括られる。

「このような絵を/あなたが生きている間に/一枚も買おうとしなかった/フランス人 やオランダ人やベルギイ人を/私はほとんど憎む」(200頁)

 ここで「ほとんど憎む」とわざわざ「ほとんど」と留保を付けていることにわたしは引っ掛かるものを感じた。しかも同じ台詞がこの直後に二度も繰り返されているのだ。なぜ「ほとんど」という奇妙な副詞が、ここで用いられているのだろう。

 もし生前、ゴッホの絵が少しは売れていたら、もう少し生活は楽になったろうし、ここまで追い詰められはしなかったろう。そのことを語り手(おそらく作者)は「告発」する。作者の怒りは、個人の悲劇にとどまらない社会の暴力へと視点を転換させる。

 それにしても、この作品は通常の戯曲の常識をはるかに超えている。とくにエピローグには、本来ありえないようなナレーションの形でゴッホへの呼び掛けが記されている。これは彼へのオマージュなのか、それとも弔辞なのか。

 このエピローグは、かねてから議論のあった箇所で、作者の「私」性が直接的で突出し過ぎているという指摘がなされてきた。だが蛇足とも言える語りを書き付けた作者の意図は、わたしには痛いほど分かる。彼は決して「芸術家の死」を迎えたわけではなかった。社会に圧殺され、人々の無知に殺されたのである。ここにおいて、個人の死は一挙に社会の死へと拡大する。近代的自我の崩壊は同時に、社会内部のメカニズムそのものの自壊に他ならないのだ。

 かつてアントナン・アルトーゴッホ伝で「社会が自殺させた者」と評したことが思い出される。アルトーによれば、ゴッホは狂気の果てに自殺したのではなく、社会の無理解が彼を扼殺したのだ、というのだ。

 「堕落」し、「腐敗」した社会を憎む作者の声は、やはり戦後まもなく『堕落論』を著わした坂口安吾とも重なってくる。わたしはそこに「戦後精神」の一典型を見る。

 もう一つ気に掛かったのは、「ヴィンセントの声」として登場人物の「内心」の声を台詞に書き込んでいる箇所である。上演ではこの部分はカットされることが多いが、なぜこんなことまで作者は書いてしまうのだろう、という疑問が残った。思いが余って、つい手が滑ったのか。それとも上演する者へのメッセージなのか。上演に際して、カットされることを想定して書いたのか、それともカットするか否かを演出にゆだねるつもりで書いたのか。

 ゴッホの名画がビゼーの名曲「アルルの女」をバックに語られるシーン(第4幕)。有名な絵を見ながら、観客=読者は、解説を聞くようにメロディに耳を傾ける。これも通常の戯曲ではめったに出会えない趣向だ。『炎の人』には戯曲という形式に嵌まらない破天荒な書き方がなされているのである。これは作者の実験精神なのか。それとも過剰な思いに見合う形式なのか。

 こんな劇作家が半世紀前に存在していたことを知っただけでも、若い読者には貴重な贈り物になるだろう。三好十郎が五十年以上も前に放った問いは、現在でもわれわれの喉元に引っ掛かっている。


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