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『オン・ザ・ロード』ジャック・ケルアック(河出書房新社)

オン・ザ・ロード

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「先見に満ちた旅の記録」

これまで『路上』の名で出ていたジャック・ケルアックの代表作が、原題のまま『オン・ザ・ロード』として新訳で出版された。「オン・ザ・ロード」という言葉には単に道路の上にいるというだけではなく、「旅行中」「家出中」「放浪している」「巡業中」など、動いている状態が含まれていると訳者の青山南が解説している。

「旅」という日本語もかつては「オン・ザ・ロード」の語感に近かったのではないか。よそから来た人は、目的がなんであれ、すべて「旅人」だった。沖縄の古老はいまも出稼ぎに出ていたことを「旅に出てました」などと言うことがあり、そういう表現に接するたびに、旅や旅行が観光の意味に限定されたのがつい最近であることに思い至るのだ。

 

オン・ザ・ロード』はその名のごとく旅の物語であり、徹底した移動の記録である。語り手のサルも、親友のディーンも息つくひまもないくらい、東から西へ、またその反対に車を飛ばす。どうしてそんなに動かなくてはらないのか。

ディーンは歓喜も、怒りも、自意識も、鋭さも、快感の追求も、知識への渇望も、すべてが人並ではない。その過剰なエネルギーは方向性を持たず、ただ一瞬一瞬に放たれるだけだ。経験を積み上げてなにかを産み出すすべを知らない、人生の濃さをたったいま実感できなければだめだと思ってしまう、待てない男なのだ。

サルの移動はディーンに出会ってしまったことで決定づけられた。作家志望の学生で、マンハッタンを望むニュージャージー側におばと住んでいる。これまで彼が出会っていたのは生半可なインテリばかりだった。

「ぼくにとってかけがえのない人間とは、なによりも狂ったやつら、狂ったように生き、狂ったようにしゃべり、狂ったように救われたがっている、なんでも欲しがるやつら、あくびはぜったいにしない、ありふれたことは言わない、燃えて燃えて燃えて、あざやかな黄色の乱玉の花火のごとく、爆発するとクモのように星々のあいだに広がり、真ん中でポッと青く光って、みんなに「ああ!」と溜め息をつかせる、そんなやつらなのだ」

ディーンはまさしくそうした種類の人間だった。本で仕込んだ屁理屈を並べたてるのではなく、社会の中に突進していってパンと愛をひっつかむ。欲望をたくさん抱え込んでいて、それを隠そうともしない。

ディーンをサルは「西部の太陽の子」と呼ぶ。社会をこきおろすばかりで生きる興奮を露にしない、東海岸の学生に欠けている野生味を彼は持っていた。その魅力は未知で抗し難いものだったのだ。東と西のテーマが隠れている。その意味で、東部出身者であるサルがディーンという先達を得ておこなう西部開拓物語という読み方もできるだろう。

すべての出来事が男子の視点で描かれているのも「西部」ふうと言えるかもしれない。女子はつねに彼らの相手として登場し、身勝手ぶりに怒り、愛想をつかし、でも彼の子供を産み、追い出したり受け入れたりを繰り返す。

もっとも彼らの男女関係は束の間のものであっても、おざなりの冷たさがない。肉と肉が触れ合う暖かみにあふれている。忘れがたいひとときにしたい、という人間的な意気込みを感じさせるのだ。サルは言う。

「アメリカの男と女はいっしょにいてもひどく淋しい時を過している。すれてくると、ろくに話もしないでいきなりセックスに入りたがる。まともに口説こうともしない」

第1部の旅はロサンゼルスにいるディーンをサルが訪ね、第2部はひょっこりニューヨークに現われたディーンと共に彼の車でサンフランシスコを目指す。こあたりでふたりの関係は煮詰まり、もはやこれまでかと思われたが、第3部でサルはふたたびディーンに会いにサンフランシスコに出向き、ふたりでニューヨークにやって来る。第4部ではディーンをニューヨークに置いてサルひとりが旅立つが、デンヴァーに滞在しているといきなりディーンが現われ、一緒にメキシコに行くことになる。

このメキシコのくだりは本書の魅力のひとつだ。未知の土地を全身で受容する歓びにあふれている。これはその土地に暮してしまっては目減りする、オン・ザ・ロードにいてこそ体験できる歓喜だ。

「生まれて初めて、気候というものが、ぼくに触れてくるものでも、ぼくを愛撫するものでも、震えあがらせたり汗をかかせたりするものでもなくなって、ぼくそのものになっていた。大気とぼくは一体になっていた」

始原に遡るメキシコの旅に比べると、大陸横断には逃避的なニュアンスがある。モラルへの抵抗、日常の嫌悪、終末の予感が色濃い。現実との折り合いのつけ方がわからず、飢えたようにリアルなものを求めつづける。そのありさまは、現代を生きる私たちの姿にとてもよく似ている。

ケルアックが第1部から第3部までの旅をしたのは1940年代、第4部は1950年に行われ、紆余曲折の後に1957年に本となって世に出た。思ったより早い時期に書かれているのに改めて驚く。『オン・ザ・ロード』が世界中の若者に読まれるようになったのは60年代後半のピッピームーブメント以降であり、その時代の作品のように思われがちだからだ。当時すでに出て十年以上もたっていたのだ。いかに先見的な作品だったかがわかる。

日本でも多くの表現者がこの作品に影響を受けたはずだが、私が思い浮かぶのは写真家・森山大道の仕事である。彼はこの本に刺激されてヒッチハイクで国道を移動しながらシャッターを切った。1968年のことである。登場人物たちの生き方は無意味で、非生産的にもかかわらず、それを読んだ者は生産的になるという創作上の真実がここに見出せる。

本書は作家の池澤夏樹氏が個人編集した世界文学全集の第一巻として刊行されたものだ。世界各地の文学に目を配った興味深いセレクトの作品が、新訳や改訳版でこれから続々と出るらしい。解説も月報も充実している。とても楽しみだ。

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