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『冷たいおいしさの誕生 日本冷蔵庫100年』村瀬敬子(論創社)

冷たいおいしさの誕生 日本冷蔵庫100年

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新鮮でないものをわざわざ食べたくないもんねーという感覚を喪失した100年

数年前の暑い夏、冷蔵庫が壊れた。それまで代々友人からの譲り受けをつないで使っていたので、新品を買うのは初めてのこと。ごく普通のものは思ったより値段は安く、いっぽう光パワー野菜室やら保湿冷凍室やら満載の新商品はえらく高い。本体価格と年間消費電力量はほぼ反比例しているから寿命を10年としてその総費用を比べてみよ、と聞いて計算したり、なんとか室は自分の暮らし方に必要なのか考えたりでずいぶん迷った。あれほどたくさんの冷蔵庫を見て回ったのは、もちろん初めてのことである。

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家庭の中に冷蔵庫が入ってきたのは、いつごろなのだろう。『冷たいおいしさの誕生』によると、明治31年刊行の『家事教科書』の中に「肉や魚の低温貯蔵の方法」として「氷箱」の文字が記されており、このころが家庭内冷蔵庫のはじまりと考えられそうだ。「冷蔵庫」という名称が知られるようになったのは明治36年に開かれた第5回内国勧業博覧会で、アンモニアガス冷凍機を利用した食料の冷蔵施設だったそうである。その4年前に中原孝太という実業家が、「Cold Storage」を「冷蔵」と訳したのがその名称のはじまりで、家庭用の「氷箱」と区別して使われていたようだ。

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『冷たいおいしさの誕生』の魅力のひとつは、こうした事業家の丹念な紹介だ。中原孝太はその後、冷蔵技術を凍豆腐の製造に活かして成功したとか、天然氷の採取業を創業した中川嘉兵衛が函館から横浜に運んだ氷は、明治7年にボストンからの輸入氷をしのいで「我が国の一産物」になったとか、戦後の家電メーカーの技術者の逸話にいたるまで、後述する日本人の「冷蔵」への不審と戦いながら、「日本冷蔵庫100年」をつないできた人たちの思いと行動が綴られている。

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枕草子』にあてなるものとして「削り氷」が書かれたように、冷たいおいしさはずいぶんなじみのものである。牛肉の保存を視野に入れて中川嘉兵衛が始めた製氷業だったが、実際は飲食用に供されたというのもうなずける。第5回内国勧業博覧会で展示された冷蔵庫は、アンモニアガスで冷やすのは衛生上いかがなものかと不評をかい、氷箱も、氷で冷やすとまずくなると風評がたつなど、日本では「冷蔵」への理解がなかなか浸透しなかったという。季節に育つ野菜や魚を食べ、冬のために保存食を作り、肉や乳製品をとる習慣がなかったのだから、貯蔵のための冷蔵なんて日常からはほど遠いものであったのだろう。

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家庭で主婦が家事を担うようになると、よりよき「家庭料理」のための新しい台所道具として、婦人雑誌が冷蔵庫をとりあげるようになる。やがて冷やしの原動力は氷から電気へ。まことしやかに宣伝されたが、夏場にビールやトマトを冷やすのには便利だろうけれど魚でも野菜でもとにかく新しいものが食べたいだけだ、というのが多くの考え方だったようで、昭和33年の電気冷蔵庫の普及率は3%である。なにもかも激変するのはその直後のこと。冷たいおいしさが誕生したこの100年は、新鮮でないものをわざわざ食べたくないもんねーという感覚の喪失の100年でもある。


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